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縁は人間関係でつながっていく

インターネットの走りの時代、つまり1990年代後半からになる。このとき、自分のホームページをもって、かつサイト登録し新たな商売を立ち上げた過去がある。

その際に、「インターネットをすることの魅力、そこでの優位性とは何になりますか?」とサイト運営者に尋ねたところ、『口コミです』と、担当者は端的に答えた。


僕はそのとき、意外性と同時にいささかの違和感を感じながらも、あぁこれからの時代はそうなるのかな、そうならざるを得ない必然性があるのかもな、と、そんな風に自分の意識を変える必要に迫られた記憶があることを鮮明に覚えている。

以来、30年弱が経ち、もともとアングラとしての存在に特別な価値があったインターネットが、生活の根幹とも言えるインフラになって久しい時代の中に生きている我々であるということは言うまでもない。

新たな「縁」をもたらすインターネット、このことを踏まえた視点から見れば、インターネットは、社会を変えたというより人間関係を変えたのであり、だからこそ社会が変わったといえる。そんな中でひとの生き方が変わってきた。

情報そのものが武器になるということより、深く言えば、その情報、それが切り口になって広がる生活野が、新しい体験世界を誘惑する期待感を寄せるようになったということがその本質なのだろう。その裏側に人間関係があるということが実際なのだという意義を見落としがちではなかろうか、そんな思いがしてこの記事を書いている。

物質的豊かさがまずもっての前提であるのは違いないが、より一層、その質へと転換した時代を迎え、興味そして情緒を満足させる価値へとシフトされている昨今。この活動の根幹をインターネットが支えており、情報発信としてその人が体験したリアルな現実を表現する。言ってみれば情報発信とは、「口コミ」そのものなのだ。

口コミとは、自分だけの閉じられた世界から脱皮し、公的な世界へと飛び出すことを意味する。世界は、個人主義というこれまでの大きな流れのうねりから、つまり「ニヒリズム」の影からなんらかの形で脱皮しようという働きが無意識の中から呻き声をあげており、共有、シェアすることで喜びを感じたい欲求にかられているのだろう。

こうした情報と自分がどう、結びつくか。そもそも発信しているその言葉や表現自体が、その人の価値観、ひいては世界観から生み出されていることは間違いないだろう。これが、現実の社会的立場などの社会構造の縛りを越えて意識の世界へと大きく広がることのチャンスをつくった。このことがインターネットの大きな功績であるとも言える。

しかし、バーチャルな世界の扉を開いたとしても、その中身を作るのは人間そのものであることは間違いない。ひとがどんな価値判断を生み出す世界観を持っているのか、意識的であれ無意識的であれ、そうしたなんらかの生き方が反映されている、その足跡が口コミであるということが言える。

こうして、人の生き方、つまり人格主義が時代の主流だということを教室で生徒さんに向かっては何度も耳にタコができるぐらい僕は言っているが、それは今回、横に置いておく。

どんな口コミに出会うか、そしてそれをどう理解し解釈するか。

ネットでつながるこうした出会いも、そのまま人間関係である。大量のビックデータを処理し、大衆の動向に今まで以上に敏感に晒されているのも今の時代。また閲覧履歴などから関連する情報が必然的にポップアップされて選択肢の中に示されるのも、当たり前の時代。

こうした関連情報という「縁」の海、それがインターネットである。

その情報の背後に、いわばその影に「人(ひと)」が住んでいる。

情報を作る側と受け取る側、その人と人との人間関係の縁が新たな体験世界を創造している。

様々な情報には、最後「人」が絡んでくるということ、これを忘れてはならない。

その時、人は人とどう向き合うか、それが問題となってくる。

こうした時代背景に生きている我々であるからこそ、
縁を生み出す自分のあり方、
「自分がどう生きるのか」がより深く問題視されなければならない、と思う。



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