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運命

占いをする。運命を知る。自分を知る。

皆、当然のことながらそんな感覚で、「占いする」と思います。


そこから得た知識、その情報を自分が解釈し
納得する、しないという体験があると思います。


それは大切なことであり、そのこと自体をあえて否定するつもりは毛頭ありません。

ただし、占い、その探求すべき正体である「運命」とは、そもそも自分ではコントロールできない対象である、というのが今回のノートの主旨になります。


納得できる、または「当たっている」とニコニコ笑っておもしろおかしな対象として利用されがちな「占い」

ま、一般的であり、イベントまたはエンターテイメントを担っている。

しかし、ここでデス。本来ならば…、

日常生活で、当たり前の感覚で共有してる前提で語られた、言葉。でも、その中味、概念について、占われた人、その人の理解の仕方や解釈、そして世界観から生まれる言葉の定義やその使い方のニュアンスなど、このあたりを本来ならばきっちりと正しく他人との違いを吟味した上で読み込まなければ、本当の意味での他者理解にならない、伝わらない。これは占い師にも、お客さまにも、どちらにも当てはまります。

その上に立ち、「運命」について一言申し上げておきたい、と思います。

運命とは、
・自分の思量や意志ではコントロールできないもの

自分の考えや意志を超えたもの、と定義します。

こうした超越的な力によって生かされているということの自覚から、その未知なる世界に挑むことが占うという行為であるはずです。

そもそも、運命とは、自己理解の延長線上にあるものではなく、自分の理解を超えたところにある、そうした大きな視野に立ち、そこから何らかの普遍的法則性を見出しつつ、その中で与えられた自分と自分の人生を、現在の自分の見方と異なる、もっと大きな意識に立って、そこからあえて自分を客観視することができる、それが本来の占い鑑定であるはずです。

こうした考えに基づくと
運命とは、いつの時代も、誰にとっても、
厳しいものがあります。


なぜなら、人生にはどこまで行っても困難に絡め取られて苦労が付きまとい、常に忍耐が必要となってくるものが、あるからです。

こうした中で「幸福」であることの本当の意味での実感とは、老境に至ってからなのだ、とショーペンハウアーは言いました。

虚妄への虚無感から、初めて本当の人生の幸福感を味わえる。
そこから豊かさの意味、その内実を味わい、
全体を総括する展望を得て
他者へ信頼感を与えることができる、と。

このような老境に至って、
さてそこから
どんな機会に幸福を感じるのか、その答えは3つあると思っています。

一つは、「いのち」が与えられて、恵みであることの実感
二つ目は、「美しさ」の実感。
最後に、三つ目は、「他者」とのほんとうの心を通わせることのできた実感。「愛」の体験。

こうしたきっかけを契機として人生の恵みを受け取ることができること

これらが合わさって、幸福である、と言えるのではないでしょうか。


こう考えると、日常のことで右往左往する中でもがき苦しみながら、人生を達観する、そのことが、根源的な上記3つのことに裏打ちされていれば、はかり知れない運命の向こう側に、幸せがやってくると思うのです。







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