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変化することと、乱れることは違う。

「美しい生活」という言葉がよく、頭に浮かぶ。
いま無意識にテーマになっていることなのかもしれない。

私は、生活リズムについては「整っている」ということに美しさを感じるらしい。
仕事の流れもそうだけど。こう考えると、最初就職した時に進行管理のポジションで仕事ができたのはすごくありがたい。否が応でも流れの良さみたいなものを意識できたから。

整っていることが好き、そういうふうに仕事するとか生活したいっていうと、一部の人は「頭硬いやつ」「くそ真面目ちゃん」「つまらないやつ」という目で見てくる。
なんなら「事務作業が好きなんだね」「細かい作業が好きなんだね」と言って、そういう役割を求めてくる。いやいや、そういう意味じゃねぇよ。

あほか、と思うのだけど「自分は変化が好きで得意な変人☆」みたいなことを公言している人は「無茶ぶりや行き当たりばったりに対応する」ことこそが柔軟性だと思っていたりする。
また、そういうものは「管理できない」と思っているから、スケジュールや仕事は乱れるのが当たり前という意識があったりして。


いやいや、そういうことじゃねぇよ。


乱れてドミノ倒しにすることと、変化をいっしょにするなと思う。

私は変化がないと「死んでるのかな?」と自分自身が不安になる。
だけど乱れるのは(というか乱されるのは)ものすごいストレスだし、異常値にあると思っている。常に不安。


変化って、自分の中から湧き上がってくるものなのかなと。
こうなりたい、こんなことがしたい。そういうの。
外から持ち込まれたものに、そういうきっかけが一切ないとは言わないけど。
だけど無茶ぶりに対応すること=柔軟性ではないよね。それが通るなら「管理とは?計画とは?」みたいなことじゃん。仕事の場では無しでしょ・・・。

自分が思う「美しい生活」をつくっていきたい。
そのためのお手入れは日々欠かさないよ。

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