見出し画像

自由で自立した子が育ちそうといわれるわが家/ルールと制度が多いわが家

連休明けの今日は、のんびり過ごす日(ということにした)。

連休明けって、別になにしたってわけでもないのになんとなく疲れてるんだよね。平日とのリズムの違いかしら。

つい最近、友人に言われて「たしかにそうかも!」と思ったこと。


ルールが多い。


ゲームは20分、大人がいる時間のみ。
家事代行制度。
一日3つまで自由に食べられるおやつコーナー(余りが中途半端なもの・賞味期限が怪しいもの・小さいものが入っている)。。。
実験予算制度(月315円で子供の実験用品を購入できる。自己申告制の繰り越しあり)。

まだあるかも??
でも、書き出してみるとたいしてないな。

ちなみに大人には大人のルールがあります。主に補助金関係が(笑)。
マンガ含む書籍費2000円/月まで支給とか。
そして当然のごとくお小遣い制。基本趣味に使う分がお小遣い。


一日にドリルを何ページ進めるとかそういうルールは一切ないけど、たとえば家事代行メニューの「食器洗う」を予約しておいてやらなかった場合、翌日はその仕事をやることはできない(チャンス喪失のペナルティ)とかってルールはある。

そんなシビアなルールがあって、子供たちはどうやってるかっていうと、ふつーにルールを理解してふつーに日々生活している。
もちろん、ルールは子供たちと相談しながら作るし、マッチしていないものはどんどん変えるか破棄する。だから、ふつーにやっている。

そんな子供たち(というかわが家)は、自由で自立しているとよく言われる。ありがたい褒め言葉。

私が育ってきた環境がどちらかといえば対極にあったので、自立ありきの自由に過ごせる環境っていうのは理想だ。
自分がやりたいことや、考えたことを好きなだけできるってなんて素敵なことだろう。


自由で自立した環境と、ルールの多い環境って真逆のように聞こえる。

なので、友人に言われるまであんまり意識していなかった。

たしかにわが家は、行動に関わるルールがそれなりにある。

でもその基底にあるのはやっぱり「個人個人が自由に過ごすための」ものなのだ。
私もいちいち、ガミガミ注意するの嫌だし。ずーーーっと子供に張り付いてみているのは大変すぎる。
子供が親の顔色をうかがうことなく、自分の頭で考えて判断していくために必要な条件はルール化してしまう。なぜならぶっちゃけ、それが一番ラクだと思うからだ。


ちなみに、ルールが多いと言った友人も「君のうちは、自由で自立する環境」と言ってくれている。ありがとさん。


ルールを考える時、私はたまに自分が子供だった時のことを思い出す。

何がダメで何がOKなのか、ちゃんと決まっていれば顔色をうかがうこともなかったのに。
その日の親の気分で、怒られたりすることもなかったかもしれない。
親自身が子供にとってのルールそのものだったから、いつも振り回されてそのたびに疲れたり傷ついたりした。

そういうことのないように、「やっていい」ことは徹頭徹尾OKとGOを出し続けたい。


たぶん、自分自身「誰かを振りまわしたり、誰かに振り回されたりしないこと」って指針があるから。

それがそのまま、ルールに現われているのかもな。

子育てや夫婦関係のことって、ちょっと掘り下げていくとどーしても自分の幼少期(主に実家関係)が出てくるな・・・強力な反面教師になってる。

よっぽどストレス抱えて過ごしてたんだなーと思いつつ、自分の子供たちがすくすく育っているのを見て癒される。


自分の頭で考えて、好きなことをやっていくんだよ。

足を引っ張るような真似は、けっしてしないから。


こんなところまで見てくださり、ありがとうございます。サポートは印刷費とイベント活動費として活用させていただいています。