ピープルフライドストーリー (32) エッセイ⑨ 

【作者コメント:  もう六月。年内に完成させたい気がかりなモノ・コトがいくつかある。YouTubeに一つ出したいのがあるが、さてどうなるか……。(斉藤さんへ。という訳で思案中です。現時点ではちょっと難しい模様です。かなりデジタル音痴でアクセススキルが低いという事もあるのですが……)】

      第32回
(エッセイ)

いじめないで・入れ墨・映画・歌

            by 三毛乱

 1980年代に、東京で暮らしている叔父さんの車に同乗して、あちこちの道路上にいた時である。都内のどこでだか分からないが、前の車が軽トラックで(…と思う。もしくははダンプカーだった……)ほんのしばらく、その車の荷台を見ながら走る事になるが、その荷台には「お父さんをいじめないで下さい」と大きくはっきりと、でもどちらかと言えばたどたどしい文字づらで黒く書かれていた。叔父さんの顔を見ると、何とも表現しにくいが、…まぁ笑顔にはなっていた。僕もまぁ笑顔になって前を向いた。その時以後は、その車は見た事はないけど、あれはどういう気持ちで書かれていたのか?その車の運転手は日々仕事で疲れており、あおり運転をいつも受けていたので、何とか回避出来ないものかと苦肉の策であんな文字を荷台に書いたのかもしれない。あるいは長年運転しているけどあまり運転技術が上手くないのを自覚して、自分の運転技術を大目にみてね!とまぁちょっとオチャメな気持ちで書いたのかもしれない。今でも存命ならあの運転手(顔は見ていない)に気持ちをうかがってみたいものである。

 …で、突然入れ墨の話になる。アイヌ民族とかいろんな民族が習慣伝統などで入れ墨をしているけども、とりあえずここでは日本の普通(?)の人の入れ墨の話をしたい。日本では「粋」を見せつけたいとか、犯罪者に罰として入れ墨をさせられたとか、一転「漢」らしさを見せつけたいとか、戦国時代には雑兵が氏名生年月日を入れ墨したり、まぁいろんな歴史があるけど、僕は現在の入れ墨をしている人は基本的には嫌いである。でも「ぼくをいじめないで」といった文字の入れ墨がいかつい感じの男の背中などにあったら、そのギャップにちょっと好きになるかも……。「いじめちゃいや~ん」とか「摩訶般若波羅密多心経」とか「人間だもの…」といった文字やパンダなどの可愛い絵柄が彫られていたら結構人気者になるかもしれない。お尻の2つの山にパンダの顔の絵柄🐼があったら、それこそ女性からも人気となるかもしれない。とにかくいかつい男の背中や手や足にいかつい(虎、龍等の)柄が合わせられても何とも面白く感じないのである。もっと独自の個性といったものを感じさせてもらいたいと思うのだが…。
 女性の30才程で普通のΟlふうな人の両腕にびっしりタトゥーが彫られてるのを渋谷の街で見た時は、「ど、どうしたの?」と思わず訳を訊いてみたくなった事があるけども、…それとは別に、性的装飾というか、背中から腿へと大蛇が描かれた30代の(顔も自信ありげな)適度に肉付きのいい女体のヌード写真を見た事があるけど、これはこれで異様な魅力というか、なかなかの迫力もある作品として魅了された。男と違ってやわらかいフォルムの女体だからこその、ぬめぬめしつつ毒をはらんでいそうな危険なイメージの蛇との合体が映えるのであり、男に危険なイメージの蛇が合体しても僕などはちっとも意外性を感じないせいか面白くも魅力も感じないのだ。昔から毒蛇伝とか白蛇伝とかは多くは女性と関連されて来たと思うけど、写真を見た時は、蛇ってやっぱり女性が(…絵柄としては…)似合うなぁという感想をもってしまった。まあネチネチした男は嫌い、といったセリフが舞台や映画にも使われるから、蛇が女性の専売特許という訳でもないけれども…。
 蛇のような危険な男のイメージで三谷幸喜は「マジックアワー」で佐藤浩市に殺し屋を演じさせてナイフを舐めるシーンを作ったと思う。ちょろちょろと蛇が舌を出すイメージではないのだが、僕はかなり気に入っている。
 …入れ墨の話に戻すと、米映画の「狩人の夜」でロバート・ミッチャムが悪人で右手の指の第1間接のところに入れ墨をしていて、拳を握り締めると相手からは地獄の四文字HELLが見える寸法になっている。そんな入れ墨の奴とはグータッチはとてもしたくはないと思う。とにかく印象に残っている入れ墨だ(スパイク・リーが自作映画でそれを流用した事もある)。映画はそんな悪人と子供達を守る為にライフルを持ったお婆さん役のリリアン・ギッシュとの対決となるのだが、対決前にどちらもキリスト教関連の同じ曲を家の外と中とで歌って歌声が合わさってゆくシーンとなるのだが、それが僕の一番気に入った箇所だった。
 日本映画で歌というと「真空地帯」(原作野間宏)がある。主演の木村功が政治的主張や信条からというよりも、軍隊という組織が嫌いである・性に合わないというふうに見える動機だけで何度も何度も一人で脱走を試みるという映画だ。そして遂に南方への船に他の兵隊と一緒に乗せられる。ラストで、その男は一人である歌を甲板で歌うのだが、それが何とも晴れ晴れした顔と形容してもいいくらいの顔で、あるいは諦観というか、やりきった果てというか、何とも明るくも見える顔で歌うのだが、まあ的確には文字に出来ない顔・表情をしているのだけれどもこれも強く印象に残っている。
 さて、入れ墨からまた離れて少しもまとまらないが、まとまらないままにこの辺で今回のエッセイは終わりとしたい。

                終
 


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