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自他境界線(バウンダリー)があやふやな母

★はじめに

母の事、母から発せられる言葉、母の所業については若い頃から散々悩まされて来て、それらを口にすることも何故か憚られて、それでもどうにか自分の中では折り合いを付けて来たつもりではいた。

たまには物理的にも精神的にも一切の連絡を断ち、関わらないようにしたりもした。
ただ両親共に年老いてさすがに命に関わる懸案も出て来たので、それはまずいと思い、少しずつ連絡を再開させてみたものの、やはりこたえる。母の何が私の心の中をこんなにも踏み躙るのだろうと考えたとき、このバウンダリーと言う概念がしっくりと来たので書いてみようと思う。

★母は世界の中心であり、絶対的な正義である


と、本人は思っている。これは母自身の生育環境や持って生まれた性格もあると思うが、やはり長年連れ添った父の責任でもある。父はいわゆる昭和のモーレツサラリーマンで、仕事人間。家事や育児は全て母任せ。もちろん親戚付き合いやご近所関係、PTA、しまいには自分の両親の介護なども全て母に委ねていた。

一方母はそのことを負担に思うどころか、自分には裁量権があると感じたのだろう。誰に何か言われる事もなく、伸び伸びとそれらをやってのけた。ただし、自分が一番正しい!と信じた方法で。
我が家では母は事実上絶対君主であった。
母に逆らう者は子ども達なら「親不孝者」、父なら「恩知らず」と断罪されるのだからたまったものではない。

そして父や子どもである私や弟達との人格の境界線、いわゆるバウンダリーが彼女の側からとろとろと溶けていったのではないかと思う。
母に限らず、自分と他者の境界線が曖昧な人は多くいる。ただ多くの場合、そのことにより、かなりの数の人が生きづらさを感じているのに対して、母は生きづらさは感じていない。そこが母のやっかいなところだ。


★境界線(バウンダリー)があやふやな具体例

母は自分の家族(父、私、弟二人)が母とは違う別人格である事は頭では理解している。
が、本当のところというか、本心では何も理解していない。

同じテレビ番組を見ても、同じ本を読んでも家族が5人いれば5者共別の感じ方がある事を根本的に理解出来ていないのだ。

まず、母の感想があるとしよう。それに同調したり、共感する意見はまあ、受け入れるが、反対や異議を唱える意見はバッサリ拒否される。
拒否だけならまだマシな方だ。それは人間として間違っているとか、常識がないとコテンパンにやられてしまうのだ。何故なら母は正義だからである。母は父であり、私であり、弟達なのだ。

あかん。

書いていて文章として成立していない。

めちゃくちゃな感じになって来たが、もう少しお付き合い願いたい。

これが本当なのだから困る。

もちろん家族の中に秘密や隠し事は許されない。それらは全て詳らかにされ、母が掌握しなければならないのだ。

っておかしくないか?

子どもなんて、配偶者なんて、なんだかんだ言っても嘘をついたり隠し事をしながら、何とかやっていくものなのではないの?

と、思うのはどうも私だけのようで、母は一切意に介さない。

それでもまだ私達が子どもだった頃はよかった。大体に於いて母の判断は間違っていなかったし、常識から大きく外れることもなかった。
世の中全体がそう言う「肝っ玉母さん」的なものを称賛していた時代でもあったからだ。

ところが私や弟達が結婚して新たな家庭を築くとその母の暴君ぶりがどうも悪目立ちするようになる。

私の配偶者、弟それぞれの配偶者達、その親御さん達。それぞれに異なったバックグラウンドを持つ人達がそこに加わると、その数だけ「常識」の基準が増え、ここは許せる、ここは譲れないの線引きがそれこそ倍々ゲームのように膨れ上がっていく。また、世の中もこの頃から多様な価値観を認めましょうと言う雰囲気に変わっていった。
共働きもいいし、結婚してもしなくてもいいし、子どもだって持ちたくない人はそれも一つの生き方だよね。もちろん同性同士のカップルも増えたし、日本にルーツがない人の存在も増えた。

結婚した私達当事者同士でもそのお互いの実家同士の擦り合わせはかなり大変な作業だ。(別の言い方をすればそれが夫婦の醍醐味であり、皆そうやって夫婦の形を作っていくのだが)

そんなこんなで二人があくせくお互いの実家から持ち込んできた価値観の擦り合わせをしているところに、母はズカズカと土足で上がり込み、母の持っている正義でぶった斬る。

それはもう、綺麗に研ぎ澄まされた日本刀のように、バッサリと、スッパリと。

いやー!

斬られた方は痛いよ!

お母さん、それ、間違っていますよと指摘する前にバッサー斬りよるから、繊細な人はたまったものではない。

傷つく。

文字通り涙する。

なのに、母は何故かそれをやめない。

何故なら母にとって、私達の配偶者はもう家族だから、身内なんだから。
何を言っても許される身内!The MIUCHI!!

こうやって母は他者とのバウンダリーを溶かして溶かして、どこまでが自分の自我であり、どこまでが他者の自我であるのかすら明確ではないままなのだ。

昨今叫ばれている「多様性」などと言う言葉は母の辞書にはない。


もちろん、母だけが理由とは言えないが、その要因が多分にあり、弟達二人は最初の結婚に失敗した。バツイチになった彼等は最近二人目のパートナーを見つけて、母とは充分過ぎるほど距離を置くようになった。

★歳を取れば丸くなるは嘘


それでも私は一縷の望みを持っていた。
人間、歳をとれば少しは角が取れて丸くなるのではないかと。
ちびまる子ちゃんに出てくるおばあちゃんのように慈悲の心に包まれた優しいおばあちゃんになるんではないかと。

しかし、その期待は見事に裏切られた。

丸くなるどころか、どんどん先鋭化しとる。

尖っているのだ。シャキーン!

散々弟達の配偶者やその家族の悪口を言いたて、関係性を拗らせたかと思うと、今度は私の息子にまで口出しする始末だ。

流石に祖母と孫の関係には境界線はあるかと思っていたが、それも見事に溶けた。

アトピーは良い医者に診せて治してもらえから始まり、どこかヤバいところで借金しているんじゃないかとか、どんな女の子と付き合っているのかとか、どこに就職した方がいいとか、
親の私でもいちいち気に留めない事を散々言ってくるようになったのだ。

たまらん。

息子が結局、マレーシアで就職したのも母にしては相当気にいらない。手元に置いとけ、遠くても東京どまりとか、もう意味がわからん。

そう、母にとって、子どもや孫や、子どもの配偶者は全て所有物なのだ。
自分の意のままに動かすことが出来るマリオネットのような所有物。

人間として、一人の社会的な尊厳を持った人格として見ていないのだ。
それぞれが違う考えや意見を持っていて、それを口にしても誰からも批判される事のない自由で開かれた個人としての尊厳。

あれ?なんか政治家の口調みたい。許して。

うう!


それにしてもきついな。

★私の方からの境界線を強固にする


だから、私は私や夫、息子を母と言う暴君から守る為に私の側のバウンダリーを固める。

漫画「進撃の巨人」だとすると、壁をものすごく高くする。壁の外は不用意に覗かない。壁の外には遊びに行かない。

結局物理的にも精神的にも距離を置くと言うが、それをもっと意識的に強い気持ちでやらないと、少しでも隙を見せるとヤバくなる。

母は「愛情」だとか「思いやり」、或いは「心配だから」とか綺麗そうに見えるパッケージに彼女の毒を隠して、スライムのようにスルスルと私達の生活に入り込んでくる。

白蟻が内側から家を寝食するように、母の毒は私達を内側からしっかりと腐らせ、夫婦関係や親子関係にいとも簡単にヒビを入れることが出来る。

強い気持ちで離れる。

全力で離れる。

母のバウンダリー溶解はどうやっても戻せない。
だからといって、私の人格、私の領域、夫や息子の世界にまで母をこれ以上無責任に立ち入らせるわけにはいかない。

高い壁はどうしても必要不可欠だ。

ここまでお読みいただきありがとうございました。



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