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夢と出会うために

みーちゃんはもうすぐ7歳になる。
この数ヶ月で二つの重要な変化があった。

一つ目は一人称が「みーちゃん」から「わたし」になったこと。ちょっぴり寂しい気もするが、こうして少しずつ大人になっていくのだ。

二つ目は僕の呼び名が「パパ」から「パッピー」になったこと。もちろん英語のpuppy (子犬)とかかっている。つまりペット扱いである。父親の威厳なんてどこへやら。

そういえば僕がちょうど今のみーちゃんと同じ歳のころ、ボイジャー2号の海王星フライバイがあった。もう6万回くらい書いたり話したりしたので読者の皆さんは聞き飽きているかもしれないが、1989年8月のボイジャー2号の海王星フライバイが僕の人生の原点のひとつになった。以下は10年ほど前に書いた文章である。

「…天文マニアの父は毎週末、テレビにかじりついてボイジャーのニュースやそれを特集した番組を見ていた。そして僕も父の隣に座り、父と興奮を分かち合った。

人類がその時はじめて間近に見た海王星は、透き通るような青い色をした、美しい星だった。その青は地球の海の色とも空の色とも違っていた。モルフォ蝶の青い羽のように神秘的で、青の時代のピカソの絵のように孤独だった。六歳の僕の心に刺青のように彫り込まれ、その後に僕を宇宙工学の道への導いたのは、あの青だったのだ。」
(『宇宙を目指して海を渡る』 プロローグより)

文章にロマン主義的な装飾が多いのは、明かに当時傾倒していた三島由紀夫の影響である。それはそれとして、当時7歳になる直前だった僕はこれがきっかけで宇宙にどっぷりハマり、そのまま40歳の今に至るまで突っ走ってきた。

Image: NASA/JPL

この本を出した前後に方々で講演会をしたのだが、何度も親御さんから聞かれた質問がこれだ。

「どうすれば小野さんのように勉強する子になるのですか?」

僕の答えはいつも決まっていた。

「夢を持たせてあげることです。夢中になれるものを見つけてあげることです。勉強しろとガミガミ言って素直に勉強する子などいません。外から勉強を強制しても、強制する親がいなくなったら勉強をやめてしまうだけです。でも内側から湧いてくるモチベーションは決して消えません。」

今から思えば、子育て経験もないのに先輩パパやママに偉そうなことを言ったものだと思う。もちろん自分が言ったことは今でも正しいと思っているが、しかし自分がパパ・・・いや、パッピーになってみて、子育ての現実はそう単純ではないと日々思い知らされる。

みーちゃんが小学校一年生になり、学校から毎日宿題をもらってくるようになった。テストもある。土日には家で漢字の読み書きも教えることにした。

「みーちゃん、宿題をやりなさい!」
「ゲームは宿題を終えてからでしょ!」
「漢字ドリルはやったの?」

気づけば僕は毎日そんなことをガミガミ言う教育パッピーになっていた。10年前の自分の言葉がブーメランのように返ってくる。もちろん分かっている。大事なのはガミガミ言うことではない。夢を持たせてあげることだ。夢中になるものを見つけてあげることだ。

でも、それは簡単に見つかるものではない、ということも、最近わかってきた。大人になっても夢にまだ出会えていない人もたくさんいる。6歳で一生の夢に出会えた僕は、果てしなく幸運だったのである。

みーちゃんが今のところ夢中になったものといえば、ディズニープリンセス。それと最近はRobloxというネットゲームである。もちろん夢に貴賎はないが、しかしそれが一生かけて追い求めるものなのだろうかとも思う。

夢は与えられるものではない。出会うものだ。運命の人は出会うまで誰かわからないように、夢も出会ってみるまでそれが何か分からないものである。親が夢を与えようとするのは、親が結婚相手を子に押し付けるようなものだ。

だから、親にできることは一つしかない。いつか我が子の心の固有周波数とピッタリ共鳴する何かが見つかるまで、色々なものを見せたり、体験させたりするだけだ。

そう思ってみーちゃんを色々な場所に連れて行き、色々なものを与えた。天体望遠鏡を買ったり、学研のような工作キットを購読したり、一緒に結晶を育てたり、色んな本を読んだりした。もちろん子供だからその時は興味を持つのだが、しかしだいたい1週間もすれば忘れてしまう。僕は6歳の頃、来る日も来る日も宇宙と電車に夢中だった。残念ながらミーちゃんは、まだそのようなものに出会えていないようだ。

僕はふと立ち止まって考えてみた。結局自分は夢を「与え」ようとしてはいまいか。自分が興味ある方向に導こうとしているのではなかろうか。そうではなく、みーちゃんが興味を持つものをもっとさせてあげればいいのではないか・・・。

ちょっとしたアイデアが閃いた。みーちゃんが今はまっているRobloxというネットゲームは、正確に言うとゲームというよりゲームのプラットフォームで、誰でも自分でゲームを作って公開することができる。ユーザーは他のユーザーが作った様々なゲームで遊ぶのである。そしてゲームを作るツールも無料で公開されている。

そこで冬休みに一緒にRobloxのゲームを作ってみることにした。CADのようなツールで3Dの世界を作る。数時間練習したら簡単なことは自分でできるようになった。もっと複雑なことをするにはプログラム言語が必要で、さすがに6歳児には早すぎる。そこで僕がプログラムを組み、みーちゃんが自分でパラメーターを書き換え、たとえばブロックが動く速さを自分で変えられるようにしてあげた。

これがなかなか楽しくて、僕自身もはまってしまった。そして狙い通りみーちゃんも吸い込まれるようにパソコンに向かっている。シメシメと思い、口や手を出したくなるのをグッと堪え、できるだけ好きなようにさせた。もしかしたら30年後くらいに「あの時パッピーと一緒にゲームを作ったのが原点です」なんて嬉しいことを言ってくれるかな、なんて期待しながら。

ところが結局、1週間くらいして熱は冷めてしまった。結局はいつものパターン。そうこうするうちに学校も始まり、また「宿題しなさい!」とガミガミ言う日々に戻った。子育ては本当に難しい。日々、理想と現実のギャップと戦い、悩む日々である。

そんなある日、ふとミーちゃんが嬉しいことを言ってくれた。

「わたし、大人になったらNASAではたらく!」

「どうして?」

「だって、パッピーが仕事から帰ってくるとき、いつも楽しそうだもん。」

それを聞いて、僕は嬉しかったと同時に思い直すことがあった。僕は必死に何かを見せたりさせたりしようとしていた。そうか、そんなことをしなくても、自分が楽しんだり夢中になったりしている様子を見せればいいんだ。思えば僕が6歳の頃、父がボイジャーの番組を見ていたのも、僕に見せるためではなく自分が見たかったからなのだ。

そう思うと、少しだけパッピーの肩の荷が降りた気がした。

小野雅裕
技術者・作家。NASAジェット推進研究所で火星ローバーの自律化などの研究開発を行う。作家としても活動。宇宙探査の過去・現在・未来を壮大なスケールで描いた『宇宙に命はあるのか』は5万部のベストセラーに。2014年には自身の留学体験を綴った『宇宙を目指して海を渡る』を出版。
ロサンゼルス在住。阪神ファン。ミーちゃんのパパ。好物はたくあんだったが、塩分を控えるために現在節制中。

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