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宇宙とは何か vol.10「量子論と宇宙論」松原隆彦

高エネルギー加速器研究機構 素粒子原子核研究所(KEK素核研)で宇宙論の研究にあたる松原隆彦教授による、「宇宙とは何か」の講義をお届けします。最終回となる今回は、現代の宇宙論を理解するうえでは避けては通れない、量子論(量子力学)の紹介です。

※この原稿は、2024年1月7日発売の『宇宙とは何か』(松原隆彦/SB新書)を元に抜粋しています。

量子力学の登場

宇宙とは何かを探るのに、避けて通れないのが量子力学です。宇宙はどうやってできたのか。物質はどうやって生まれたのか。始まりは、ミクロの世界です。原子や素粒子の振る舞いについて調べる必要があるのです。素粒子とは、クォークや電子など物質を構成する最小単位のことです。

量子力学は、原子や電子といったミクロの世界での力学を記述する学問です。

それに対して、量子力学が登場する前の力学を古典力学と呼んでいます。ニュートンが万有引力の法則を発見し、近代物理学の規範を作りました。その後、マクスウェルが電磁気現象を扱う法則を整理しました。当時知られていた力は重力と電磁気力だけだったので、これにより世界のあらゆる現象を説明できると思われました。物理学は完成したのではないかと思われていたんです。

しかし、1900年前後になると、古典力学で説明できないおかしな現象が確認され始めました。技術が進んで、ミクロの世界について実験できるようになってきたからです。

小さいものにだって、大きいものの力学がそのまま通用するだろうと思っていたのに、うまくいきません。これはどういうことなんだ、とみんな頭を悩ませました。そして新しく出てきた力学が量子力学ということになります。英語では「quantum mechanics」。クオンタムというのは量子、粒々という意味です。

これを完成された学問としていったん提示したのは、ドイツの理論物理学者ハイゼンベルク。1925年のことです。量子力学はここ100年くらいの学問なのです。

――量子論という言葉も聞きます。量子力学とはどう違うんですか?

「学」は、完成されたイメージなんです。物理学、古典力学とか。「論」がつくと、まだ完成される前段階で、いろいろみんなでアイデアを出し合って、理論を深めていくような、そういうイメージなんですよ。だから量子論というのは、未知の世界と既知の世界との境目を、うろうろしている、そういうダイナミックなイメージがあるんです。

だから最先端研究になると、量子力学っていう完成された体系から一歩出て、もうちょっとオープンに、量子論という言い方になる。昔は、量子力学自体が、量子論だったんですよ。昔は完成されてなかったから、みんながああでもないこうでもないとやりあっていた。今はある程度、量子力学は完成されています。

光は粒子か波か?

量子力学の重大なトピックの1つは、「粒子と波動の二重性」です。

粒子か、波か。

光が「粒子か波か」というのは、はるか昔から議論になっていました。古代ギリシャでは、多くの科学者が「光は粒子だ」と仮定する一方で、アリストテレスが「光は波だ」と言っていたようです。あのニュートンは「光は粒子だ」と主張しており、同時期に「光は波だ」と言っていたホイヘンスと反対の立場を取っていました。何世紀にもわたって謎だったのです。

――ちょ、ちょっと待ってください。そもそも、粒子と波って?

粒子は、まあ、粒です。とても小さいボールだと考えてください。投げると、ボール自体が飛んでいきます。

波は、振動が伝わっていく広がりです。たとえば、水面の波をイメージしてみてください。あるところが揺れて、今度はその隣が揺れて、またその隣が揺れて……というように振動が伝わっていくじゃないですか。ボールのように、そのもの自体が物体として移動しているわけではないですよね。

金属に光を当てると、電子が飛び出してくる現象があります。光電効果と言います。光のエネルギーが、金属の原子から電子を引き離し、電子が外に飛び出るんです。

光が波であった場合、電子を飛び出させるほどにならないはずです。ところが、同じエネルギーであっても、粒がバチっとぶつかって押すなら電子が飛び出しやすくなります。ビリヤードみたいに、球が球をはじき出すイメージですね。

となると、光は粒でしょうか。一方で、粒では説明がつかない現象もあります。

たとえば、「波の干渉」という現象です。波には山と谷がありますね。複数の波の山が合わさると波の高さが大きくなります。逆に、山と谷で打ち消し合うとゼロになります。

言葉で説明するよりも、図で見てもらった方がイメージしやすいでしょう。

上の図のように、二重スリットを通してスクリーンに光を投影します。そうすると、スクリーンに「干渉縞」という縞模様ができるんです。2方向から波が来ているため、波の強め合った部分は明るくなり、波が弱め合った部分は暗くなるからです。これは完全に波の性質であって、粒なら下の図のようになるはずです。

ここで取り上げた2つの現象だけによって結論されたわけではないのですが、結局、「光は波でもあり、粒でもある」という、非常にわかりにくいことになってしまいました。

光は、あくまで例です。光に限らず、ミクロな世界では粒子が波の性質も持つのです。

プランク定数

古典力学は、イメージと現象がぴったり合っているからわかりやすかった。ところが、量子力学はイメージできません。「波であり粒である」というのは日常の実感にはないことなので、数学的な計算によって現象を説明するほかありません。

「いや、もっとちゃんとイメージしやすい説明があるはずだ!」と、頑張って理論を作ろうとした人はたくさんいました。でも、ことごとく失敗です。実は、アインシュタインもその1人です。アインシュタインは量子力学を生んだキーマンの1人ですが、その曖昧さにどうにも納得がいかなかったんです。

古典力学は間違っていた……?

いや、古典力学は、現在も有用な力学です。確かに、量子力学はミクロの世界のみならず、すべてに通じているというのは科学者たちが感じていることです。だからといって、大きなものの運動を量子力学で説明するのは複雑すぎて現実的ではないんです。たとえば新幹線の動きを量子力学で説明するなんて、ナンセンスです。古典力学で考えた方がはるかにいい。

粒子を増やしていくと、つまり大きい物体になると、徐々に波の性質が薄れていって、量子力学で説明するような現象はほとんど見えなくなっていくんです。

どこまでが量子力学で、どこからが古典力学と明確に区切りがあるわけではありません。

ただ、その境目にはちゃんと数字が与えられています。プランク定数です。プランク定数は、光の粒子が持つエネルギーと振動数の比例定数として説明されます。光の粒子を「光子」と呼びますが、光子のエネルギーは振動数と比例関係にあるのです。何のことかよくわからないかもしれませんが、ここではいったん、そういう定数があるのだと思ってください。

プランク定数は量子力学を特徴づける基本的な定数で、量子力学の計算ではよく使われます。

このプランク定数を、粒子の質量と速さで割った値をド・ブロイ波長といいます。質量がゼロでない粒子について、これくらいより小さい世界の振る舞いは量子力学で記述しないといけない、ということです。普通に投げた野球のボールのような大きなものを考えると、そのド・ブロイ波長は10のマイナス34乗mというとんでもない短さで、人間にはとても測ることはできません。

電子はどこにあるのか?

ともあれ、ミクロの世界では、古典力学はまったく使えません。もう考え方からして違っていて、「電子がここにありますよ」という記述すら、間違っています。

原子は、原子核と電子で構成されていると、学校で習いました。

上の図の左一方が、学校の教科書に載っているような原子モデルです。でも、これはわかりやすく描いただけで、誤解を恐れず言ってしまえば噓ですね。電子は右のように、ぼやーっと広がっちゃっています。なぜなら、波の性質を持つからです。粒と違って、波って場所がよくわからない。それと一緒なのです。

――でもたとえば水素なら電子が1個みたいに、数はわかるわけですよね。

そうです。数は数えられます。なのに、場所はわからない。これがもうみんな、それこそ物理学者から何からもうみんな、わけがわからなくなってしまい、「そんなバカなことがあるのか」みたいなことを散々議論したわけです。しかし実際そうなのだから、最終的に「もうこれを受け入れるしかないよね」というのが、量子力学なのです。

――科学者たちでもそうなら、聞いている私がよくわからないのは当たり前ですね……。場所はわからないって、どういうことなんでしょう?

位置がない、というのが正しいです。位置がわからない、のではなく。位置があって、それを知らない、というわけではないのです。変な言い方ですが、「神様はどこにあるか知っている」ということですらないんです。神様もどこにあるかを決めることはできない、ということなんです。だから、誰にも決められない。

――どこにあるかなって観測できないんですか?

観測すると、1か所に決まるんです。でも、観測する前からそこにあった、という考えが、成り立たない。この次、1ミリ秒後にどこに行くかはわからない。つまり位置が決まると速さがわからなくなってしまうという性質を持っています。どこに向かって動いているのかが決まらなくなるのです。

逆に、どこに向かって動いているかを観測することはできます。この場合、こっちに向かって動いている、とわかるのですが、そうすると今度は今どこにあるかわかりません。

電子雲というのは、電子がその位置に存在する確率が雲のように広がっているということです。

電子がどの位置にありやすいか、どれだけの速さを持ちやすいかという確率は、「波動関数」であらわされます。波動関数は、オーストリアの物理学者シュレーディンガーが発表した方程式により求めることができます。

シュレーディンガーは、粒子が持つ波の性質を数学的にあらわす方程式を探し当て、量子力学を発展させました。

ただ、方程式を見つけた当初は、その「波動関数」が何をあらわしているのかわかりませんでした。「確率をあらわしているのだ」という解釈をしたのはマックス・ボルンという理論物理学者です。いつ、どこで、粒子が見つかりやすいかを教えてくれる関数なのだということです。

しかし、逆に言うと、確率しかわからないというのが、奇妙に感じます。

古典力学では、理論に基づいて物体の運動を確実に予言することができます。ところが、量子力学では、確率的に予言することしかできません。あるのは波動関数という確率の波だけ。それも、位置や速さがはっきりとあらわされるわけではなく、どの位置にありやすいか、どれだけの速さを持ちやすいかという漠然とした情報です。

ただ、人間が観測した瞬間に、複数あった可能性が1つの結果に決まります。たとえば電子の位置の確率は雲のように広がっていたのに、測定した瞬間に、見つかった位置の確率が1となり他の位置にある確率が0になります。

シュレーディンガーの猫

シュレーディンガーの名前は、「シュレーディンガーの猫」という有名な思考実験で一般に知られています。非常に難しい話ではありますが、なるべく簡単に説明してみましょう。

量子力学の世界では、すべては確率的なものであって、人間が観測した瞬間に1つの結果が決まるということがわかりました。これを世界全体に広げてみると、実はすべてのものが複数の結果が重ね合わさった状態にあり、人間が「見る」ことによって1つの確定した世界だけを選び取ってしまうのだと考えることができます。

人間の意識が測定値を判断するまでは、複数の結果が共存して重ね合わさっている状態なのだ。数学者のジョン・フォン・ノイマンや、物理学者のユージン・ウィグナーはそのように考えました。

そこで出てくるのが「シュレーディンガーの猫」です。シュレーディンガーは、彼らの考え方に対して「いや、それは変じゃないか?」と言うために、こんな思考実験を例として挙げました。

ラジウムなどの「放射性元素」は、放っておくと放射線を出して崩壊し、別の元素に変わってしまうという性質があります。いつそれが起こるのかは量子力学的な確率に左右されるため正確に予言できません。これを使って、ある装置を作ります。放射性元素から出た放射線を検出したときに毒ガスが出るよう設定した箱です。そこに猫を入れます。

箱を開けてみるまで、猫が生きているのか死んでいるのかわかりません。この装置をセットして一定時間を置いたときに、放射性元素が崩壊している確率、つまり毒ガスが出ている確率が50%だったとしましょう。

人間が見ることで1つの結果に決まるが、見なければ複数の結果が重ね合わさった状態であるなら、箱を開けるまで猫の生死も決まった状態にないということになります。生きている猫と死んでいる猫が重なり合っていて、箱を開けて見た瞬間にどちらかに決まるわけです。

「そんなおかしなことがあるだろうか?」というのが、シュレーディンガーが言いたかったことです。

私たちの常識に照らして考えたら、そんなことはありえないと言いたくなりますね。箱を開ける前からそこには、死んだ猫か生きた猫のどちらかがいるわけです。死んだ猫と生きた猫の重ね合わせだなんて! しかし、量子力学的な解釈では確かにそうなります。どっちなのでしょうか。

電子だったらいいんです。目に見えないミクロの世界の話なら、直感とズレていても別に構わない。でも、猫となると、直感と合わないことがどうしても気になります。

ただ、2023年になって、肉眼でギリギリ見えるサイズでの実験が成功したと報じられました。スイス連邦工科大学の実験では、原子を1京個集めた塊を量子的な重ね合わせ状態にできたというのです。

それなら、猫のような大きさでも確かに量子力学的な重ね合わせが起きるのではないか。そう考えることも、間違いではありません。

――重ね合わせ状態は、どのように確認するのですか?

波の干渉効果を見つけるようなことをします。原子の塊ですから粒ですが、同時に波であることを確かめるんです。昔は、原子を10個、100個と増やしていけば、重ね合わせなんて実現できないのではないかと思われていました。しかし、そうではないことが最近わかったわけです。

さすがに猫が波の性質を持っているかどうかというのは、現在の技術では調べることができません。でも、原理的には持っていても不思議ではありません。粒子の数を増やしていったとき、どこかで突然、量子力学が当てはまらなくなるというのもおかしいでしょう。粒子が集まるほど波の性質が見えにくくなってしまうだけだと考えられます。

――なんだかスピリチュアルですね。

いいえ、科学の話です。ただ、量子力学は私たちの常識を超えているので、そう感じる人も多いでしょうね。生死の重ね合わせ状態なんて、確かにスピリチュアルな響きがあります。実際、スピリチュアルな理論として量子力学を語る人もいます。「量子力学的願望実現」とか。もちろん、科学的に根拠のない話です。

不思議な量子もつれ

さらに不思議な話をしましょうか。

そもそも力は、普通は接触しなければ伝わりません。万有引力は時空間のゆがみで伝わる力なので、見かけ上は「離れているのに伝わる力」のように感じますが、時空間を見れば接触しています。そして、力も情報も、伝わるスピードはどう頑張っても光速を超えることはできません。

ところが、何かの情報が遠く離れた場所に一瞬で伝わったらどう思いますか。テレパシーだとかサイコキネシスだとか、超能力のように感じませんか。これも、スピリチュアル方面に量子力学が悪用されてしまう1つの理由なのでしょう。

 まず、粒子を2つに分裂させます。ちょっと抽象的な言い方になりますが、粒子には「上向き」「下向き」という状態があると思ってください。粒子を分裂させたとき、片が「上向き」なら、もう片方は「下向き」というように、必ず逆の値を取るようにします。その状態で分裂させた粒子を、はるか遠く離れた場所に置きます。

片方の粒子が「上向き」か「下向き」かは、観測するまでわかりません。観測前の、重ね合わせの状態ですね。それが、片方を観測した瞬間にどちらかに決まります。同時に、はるか遠くにあるもう片方の粒子が逆向きであることが決まるのです。

そんなことは、他の物理法則ではありえません。

この不思議な現象を言い出したのはアインシュタインなのですが、彼自身「そんなことはありえない」と否定する立場を取りました。量子力学に基づくとこんなにおかしなことがある。だから、量子力学は間違っていると言っていたんです。この現象は量子論の「不気味な遠隔作用」と言われ、評判が良くありませんでした。

以前は実験して確かめることが難しかったのですが、近年、確かめられるようになっています。実際には、間違っていたのはアインシュタインで、量子力学が正しかったという
ことがわかりました。

――ちょっと待ってください。それってそんなに不思議な現象なんですか? だって、こっちが上なら向こうは下って、最初からそういう設定なんですよね。情報が光速を超えて伝わっているわけではないと思うのですが。

古典力学的に考えれば、当たり前ですよね。たとえば、赤と黒の玉があって、2つの箱にそれぞれ1つずつ入れました。そして、2つの箱を遠く離して置きます。Aの箱には赤と黒のどちらの玉が入っているのかわかりません。Aの箱を開けて見たときに「黒」だったら、遠くにあるBの箱に入っているのは「赤」です。これは別に、瞬時に情報を伝えているわけではなく、元々そうだっただけです。

これと同じなら、何も疑問はないんですけどね。ただ、量子力学の場合は粒子が重ね合わせ状態なので不思議なんです。

上向きか下向きかというのは、知らないのではなく決まっていません。こっち側も重ね合わせ状態なら、向こう側も重ね合わせ状態。それが、こっちを観測した瞬間に向こう側も逆向きに決まるのです。向こう側は観測しなくても決まります。光のスピードを超えて、情報が伝わっているように見えるんです。これを「量子もつれ」と呼びます。ただし、一見そう見えているだけで、量子もつれにおいて光のスピードを超えて本当に意味のある情報を伝えることはできないことも知られています。

2022年のノーベル物理学賞は、この「量子もつれ」の研究者であるフランスのアラン・アスペ、アメリカのジョン・クラウザー、オーストリアのアントン・ツァイリンガーの3人が受賞しました。「量子もつれ」の現象を実験で確かめて正しさを証明するとともに、この効果を利用して情報を伝える「量子テレポーテーション」の実験によって、量子情報科学の分野を開拓したことが評価されました。

なお、「量子もつれ」を実験で確かめる方法を思いついたのは、北アイルランドの物理学者ジョン・スチュワート・ベルです。1990年に62歳で亡くなってしまったのですが、生きていたらノーベル物理学賞を受賞していたはずです。

ベルは実験物理学者なので、量子論を考えるというのは趣味でやっていたことでした。1960年代、70年代頃、量子論の基礎研究は虐げられていたんです。確かに粒子は奇妙な振る舞いをするけれど、その意味をいくら考えても得るものがない、これまでさんざんやってもムダだったから、という雰囲気があったんですね。

ベルは、量子論の基礎を研究していることを公に言うとバカにされるから、普段は堅実に素粒子の実験をし、夜に家に帰ってから趣味的に研究を進め、論文を書いたんです。それでみんな驚いたんです。量子もつれを実験で確かめられることに。

残念ながらベルは亡くなってしまいましたが、ベルが遺したものを引き継いで、見事に実験が成功したのですから喜ばしいですね。科学はいつもそうやって前に進んでいます。

量子論なしでは語れない「宇宙の始まり」

この講義のテーマは、「宇宙とは何か」でした。量子力学について少しわかってきたところで、宇宙の話につなげましょう。

現在の宇宙は途方もなく大きいですが、昔は小さかったという話はしましたね。ごく原初的な宇宙では、小さな空間に物質がギュっと押し込められていて、粒子同士が頻繁に相互作用します。それはもちろん、量子力学で記述されます。

もっとさかのぼると、宇宙全体がミクロの世界になります。量子力学で宇宙全体が記述されるというところまで考えられています。

さらに極限までさかのぼって、宇宙はどうやって生まれたのかを考えてみます。

時間も空間もない「無」から突然ポコっと宇宙が生まれるなんて、古典力学ではありえません。しかし、量子力学は、位置や速さが決まらない性質を持っており、曖昧模糊としています。確率的なゆらぎから時空間が生まれるようなメカニズムを持っているんです。実験できないので理論的予想でしかありませんが、宇宙は量子的効果で生まれたという説があります。

無からの宇宙創成論を、物理学者のビレンキンが唱えたのは1982年のことです。「ビレンキン仮説」と呼ばれ、有名になりました。

ところで、無とは何でしょう。 

物質が何もないのは当然として、時間も空間もない状態です。宇宙が始まる前はどうなっていたのか、と考えたくなりますが、「無」には時間が流れていないわけですから、そういう問題は関係ないのです。「始まり」とか「〜の前」というのは時間があってこその概念です。

空間も時空も何もないけれど、宇宙が生まれる可能性を秘めた存在、それが「無」です。想像するのは難しいですね。私たちは時空のある枠組みの中でしか思考することができません。「無がわかる、イメージできる」という人がいたら、そちらの方が特殊ではないでしょうか。だから、よくわからなくても安心してください。

量子トンネル効果で宇宙が生まれた?

ビレンキン仮説によると、宇宙の誕生は「量子トンネル効果」に関わりがあります。量子トンネル効果も、量子力学の不思議な現象の1つです。

たとえばボールを箱に入れた場合、当たり前ですが、そのボールを箱から取り出すには手で持ち上げなければなりません。放っておいてボールが勝手に箱の外に出ていたとしたら、不思議です。ところが、ミクロの世界ではこういうことが起きます。箱の中に入れておいたはずの粒子が、ある一定の確率で外に出てきてしまうのです。まるで、壁にトンネルができて、そこを通ったかのようです。

ここまで量子力学の不思議な現象についていろいろお話ししてきたので、何となくわかるのではないでしょうか。

粒子は決まった位置を持たないので、箱の中に入っている粒子の位置もぼんやりと広がっているのです。箱の壁で隔てられているはずですが、箱の外にまでぼんやり具合が広がっているから、観測したときに一定の割合で箱の外にあるわけです。

量子力学は確率の世界ですから、必ず外に出てくるわけではありません。しかし、いったん外に出てしまえば、自由に動けます。

ビレンキンは、宇宙の大きさがゼロの量子的な状態から、量子トンネル効果により小さな宇宙が忽然と姿をあらわしたという考え方を提示しました。

イメージするのは難しいですが、とにかく「無」から時間や空間が生まれる確率を量子論に基づいて計算します。すると、宇宙ができたっぽい数式が得られたんですね。それでビレンキンは1つのシナリオとして「無からの宇宙創成論」を唱えたわけです。

翌1983年には、ビレンキン仮説に乗っかりつつ別のやり方で、ジェームズ・ハートルとスティーブン・ホーキングも「無からの宇宙創成」を導いています。

観測も実験もできないので、本当かはわかりません。将来は確かめる方法が見つかるかもしれませんが、今のところは無理ですね。あくまで数学的トリックを使った提案と受け止めておくのがいいでしょう。「理論的可能性がある」といったところです。

《note連載は今号で最終回です。続きは書籍でお楽しみください》

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松原隆彦
1966年、長野県生まれ。高エネルギー加速器研究機構 素粒子原子核研究所(KEK素核研)教授。博士(理学)。京都大学理学部卒業。広島大学大学院博士課程修了。東京大学、ジョンズホプキンス大学、名古屋大学などを経て現職。専門は宇宙論。日本天文学会第17回林忠四郎賞受賞。著書多数。

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