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カムバック

東京に戻ったAは神様の話をするようになった。
古代ユダヤと日本の関連性を話し、現在の状況を自分の都合の良いように解釈し、近い将来に救世主、メシアが現れるのだと得々として語るようになった。別の友人には自分こそはそのメシアであると、博多から東京までの車の中で延々とやってのけたらしい。転勤で数年ぶりに東京に戻ったAは釣りに行く車の中で口を開けばそんな話ばかりするようになった。

釣りに行くときのはずんだ気持ちも台なしである。最初は適当に受け流していたが会うごとに話がエスカレートしていくAに対して私はついに高速道路を運転しながらこう言い放った。
「今度そんな話をしたら車を降りてもらうぞ」
それ以降、Aには神様の話をさせることはなかった。

Aの話はあまりに不自然で飛躍があり荒唐無稽なものだった。私としては「その手の話」は全く興味がないという訳でもない。よくできた話なら聞くだろう。しかし昨夜読んだ他人の書いた予言本から自分の都合のよい部分を抜き出しつなげて得意げに話すAには思春期の高校生を相手している気分になり、げんなりした。少なくとも釣りに行く前には勘弁してもらいたかったのだ。

もともと人のコミュニケーションが不得手で、不器用なこところがあった。友人も少なく時に相手をギョとさせるようなことを言うことがあった。まだAが東京を離れる前のこと、私とAは家が近かったこともあり週末はたびたび連れだって釣りに行っていた。あるとき釣りの帰りの車中で、車をもっていなかったAに車を貸して欲しいと言われた。Aの運転に一抹の不安はあったものの、当時私の乗っていた車は友人からもらったポンコツであったこともあって、ガソリン満タン返しを条件に貸してやることにした。しかしAは車をぶつけた場合の話を持ち出したのだ。人から車を借りるのにぶつけた場合の話をするのはどうかとも思ったが、それは自分の運転の未熟さを自覚したAの思慮深いやさしさだと、私は自分ためにそう理解した。
「どうせボロだしちょっとぐらいぶつけたって動けばいいよ」
と答えた。すると今度は
「ぶつけた場合の上限の金額を決めませんか」
ときた。つまり十万円ときめたら車が大破しても十万円以上は払わないということか。誰がそんなことを言われて車を貸す人がいるだろう。普通ならこの時点で友人関係は終わりである。彼はやさしいというよりはただ異常に気が小さいだけなのだ。もしそこに損得勘定が絡んでいたら本当に私たちの関係は終わっていただろう。損得勘定ができるほど彼は「太く」はなった。もしそうならAはあんなふうにはならなかったはずだ。
ただ釣りに関してはAは人の誘いを断ることはなかった。ノーといえず仕方なくついてくるのではなく、車をもっていなかったAは週末が近づくと釣り仲間に電話をして釣りに連れて行ってくれる相手を探した。運悪く誰の都合もつかないときは電車、バスで出かけた。必然的に近場に釣り場を求めることになり、多摩川の鯉のフライフィッシングにもかなり早い時期から慣れ親しんでいた。釣りに行く金がなくとも時には借金をしてまでも来た。釣り仲間の間では、Aの釣りばかぶりを呆れながらも評価はしていたのだ。

大学を卒業後、都内で金融関係の職を得たAは飛び込みで外回りの営業を始めた。釣り仲間のおおかたの予想を裏切りAの成績は良かった。時には社内で表彰を受けるようなこともあったようである。そのことを得意げに話すAには微笑ましさを感じたものだ。その頃のAは自信にあふれていたように思う。都内で二年ほど働いたあとにAは郷里に近い九州に転勤になった。
しかし九州でまっていたのは惨憺たる営業成績だった。東京ではユニークとられたAの言動、態度もそこでは奇異に映ったようである。支店の中でも浮いた存在になった。東京での成績を聞いていた上司も首をひねるばかりだった。一向に成績が上がる兆しが見えないAを見かねた上司はAのために就業前の勉強会をはじめた。Aは勉強会に出席し、さらに支店で一番の成績を上げている営業について「営業技術」を一から学ぶことになった。
Aの話によるとその人はネイビーのジャケットに白いシャツ、レジメンタルのネクタイがよく似合う「清潔」「さわやか」な営業マンだったようである。つまりAとは全く違うタイプの人だった。
Aの風体といえば、慎重178cmの体躯に、今まで特別何かしてきたわけでもないのに、妙にごつい体つきをしている。たしか高校の時は将棋部で、得意科目は日本史だったはずである。筋肉質で力は強いが、スポーツで鍛えられたというよりは何か労働によって培われたものと思わせるような身体つきであった。さらにAの頭髪は年齢の割には薄くしかし体毛は濃かった。それがまた独特の風格を与えていた。学生時代から言われ本人も認めていることではあるが、魚にたとえるなら雷魚である。濁った水に浮かぶ丸太のような魚、悪食なわりには結構神経質なあの魚である。もちろんAは学生時代から今日にいたるまで断じておしゃれだったことはない。Aは服を買うような金があるなら、釣り具に、釣りに行く旅費に回していた。言い換えれば根っからの釣り師ということでもある。
東京での営業成績は、Aの今っぽくなさ、言葉をかえれば強烈な個性が経営者にウケていたのだろう。その持ち味を捨てさわやか営業のマニュアル通りにこなそうとしても無理だし、それは大きなストレスになったに違いない。
九州転勤を機に車を購入したのにもかかわらず、Aの釣りにいく回数は減った。もともと地図を眺めて自分で釣り場を開拓するようなタイプでもなく、また九州はフライフィッシングの釣り場と情報も少なかったことも釣りに行かなくなった一因だったとは思う。しかし一番大きな理由は、釣りに一緒に行く仲間がいなくなったことと仕事のストレスだった。Aの頭の中は仕事と数字でいっぱいになり釣りは追いやられてしまった。
Aはあれほど好きだった釣りに行かなくなった。そのことがAの精神のバランスを崩す方向に向かわせた。Aは釣りに逃げずにひとりよがりの「神様」の中へ向かっていった。彼は本の中に、会社の人間、他者の理解できない世界の住人になっていった。
Aは転勤で再び東京の戻ったあと、見かねた友人のひとりが「逃げるなら釣りにしておけ」と言ったが何の効力もなく、次第にAからの連絡は途絶えはじめた。
ある日たまたまこちらからAに電話をかけた。するとAは唐突に、
「明日から田舎に戻ります。ひょっとするとずっと田舎で暮らすことになるかも知れません」
と言った。びっくりして事情を聞いた。
Aには大学時代に交際していた女性がいたが、三日前にこの女性が自殺をして他界したことを知った。その日からAはその女性と「会話」ができるようになったというのだ。その声のせいで全く眠れなくなり、さすがにつらくなり病院にも行ったが、相手にされなかったらしい。何科に言ったのかは不明ではあるが、とても仕事ができる状態ではなくなったのは事実だろう。声が聞こえ始めてから三日で故郷に引っ込む算段をしたという。
それにしても三日というのはいかにも短い。普通ならばもう少し時間をかけるとは思うが、意識的にしろ無意識であってもそうなることを望んでいたのだろう。

死者と話ができることについては、私は否定も肯定もする気はない。正確にいえば興味がない。自分がそんな目にあったこともないし近くにそういう人は初めてだったが、別にそういうことがあってもいいのではないかという程度には思っている。たとえば渓流釣り師ならば誰だって森の渓の暗闇に、なにか気味の悪い、バツの悪さを感じたことが一度くらいあるのではないだろうか。
しかしAにとってそれはあるまい。小心と繊細さは表面に現れる言動は似ているが根本的に違うものだ。Aは気は小さいが繊細とはかけ離れた人間である。霊感のようなものに至っては何をかいわんやである。

Aは言葉のとおり東京を去った。Aの事情を釣り仲間に伝えたところ、しばらくは様子を見るしかないということになった。遠くに行ってしまったので実際にできることもない。ただ可能なかぎり一緒に釣りに行ってやろうということにはなった。
一方、元釣りフーテンをしていたひとりが、Aが本当に霊的なものにとり憑かれていた場合に紹介できる人がいると申し出た。グアテマラで知り合った日本人のバックパッカーの話である。その人は霊にとり憑かれた人を救う、つまり除霊のカウンセリングをボランティアでしているというのだ。
「もしインチキなら金をとるだろう?ボランティアで金をとらないから多分信用できると思うんだ」
というカルト趣味でもない元釣りフーテン氏の言葉には説得力があった。その人が除霊のカウンセリングを始めたきっかけは、自身も憑依された経験があり病院に入院してひどい目にあったことによるものだという。当然だが霊的なものを認めない西洋医学では治らないということらしい。その人とコンタクトをとることは可能だが、条件が2つあった。1つは本人にその意志があること、そして病院に入る前であることだ。
さっそくAの実家に手紙を出すと、Aの返事のかわりにきたのは医師から電話だった。すでにAはわれわれが簡単には会えない場所にいた。
「今は具合が悪いので手紙を渡すのはAさんの状態が良くなってからでいいですか?いそぎますか?」
と医師は聞いてきた。医師が私の手紙に内容を見たかどうかは定かではない。しかしさすがに、急いでいるのでお願いしますとは言えなかった。ただその医師の、のんびりした口調に少しだけ安心した。

それから半年後、入院中のAから会社に電話があった。
「キ〇〇〇病院に入院しているAです!」
思わず吹き出してしまった。事実であったしゃれになっていないAの捨て身のブラックジョークである。しかしA本来の明るさがそこはあった。

顔が牛に似ているので、牛(ぎゅう)などと呼ばれていたAだが、あるときこんなことを聞いてきたことがあった。
「人面魚というのが流行っていますけど、私の場合、人面牛ですか?それとも牛面人ですか?どちらですかね」
悔しいが、腹がよじれるほど笑った。

「あと少しで退院できます」
と言ってAは電話を切った。

その電話から1ヶ月後にAから手紙が届いた。二年後の誕生日までは保険が出るので働かないとのことだった。Aの会社の上司が気をきかせて便宜をはかったのだろう。その後かれからの連絡は途絶えた。
ごくたまにこちらから電話をすると反応はその時によってまちまちだった。やたらに陽気か暗いか、躁か鬱かである。数度のやりとりでもし申請すれば公的な年金を受け取れることができるという話を聞いた。しかしAは笑いながら
「でもそれだけはしないでおこうと思っているんです」
と言った。Aにとってそれを受け取ることは社会復帰への道を閉ざしてしまうことを意味したのかもしれない。
われわれはAがこちらに手を差し出せば、いつでも手を貸すつもりだった。それはAが手を差し出さなければ手を貸さないとうことでもある。こちらから行くにはAの故郷はとおく、それぞれが自分の釣り、仕事、日々の日常でそこまでの余裕もなかった。また言い訳でもあるが、こちらから出向いて釣りに連れ出すことがAにとっては「押しつけ」となり、良いことなのか判断がつきかねたということもある。

Aから電話があったのはAが再び東京を去ってから一年後のことである。退院後のAは週に一度リハビリのためのバレーボールに通い、二週間に一度医師のカウンセリングを受ける生活を送っていたらしい。釣りはまったく行ってないが、最近無性に釣りに行きたいのだと電話の向こうでAが言う。よし。さっそく友人たちに声をかけて北陸の釣行を企画した。Aとは現地集合である。

夏を引きずった九月の日差しはAを釣り師の顔に戻した。真っ黒な顔でAは現れた。フリーのAは約束の一週間前に来て渓流に入り浸っていたのだ。はたして一体どんな風に接すればいいのか若干の戸惑いのあった私たちは安心した。以前と同じように接すればいいのはAの顔を一目見れば理解できた。好天に恵まれた三日間、朝から晩まで釣りをした。

初日にAがいない間に開拓したとっておきの渓へ連れていった。もっぱらAを先行させ釣らせた。サイズはともかくいつも必ず連れるポイントにさしかかった。砂地でバックもとれる左岸に立ち距離をとってサイドから上流にカーブキャスト、そしてメンディングという釣り方でいつも釣っている場所である。
ところがAはジャバジャバとプールの端を歩き、歩き落ち込みの真上の、瀬のど真ん中に立った。もったいない、近づきすぎ!と思っていると、やおらかがんだ。いやいや今更かがんでもそれストーキングじゃないし。上流向いている魚からはすでに丸見え、投げないうちからポイントを潰してどうする?と思って見ていると、Aはダウンクロスで目の前の落ち込みにフライを流した。パシャっと出たのは30センチのヤマメだった。サビがすこし出ていたが立派な尺ヤマメである。思いがけない「祝福」にAは放心状態である。この一匹によってほんの少し残っていたAへの遠慮は消し飛んだ。
夜は釣りに疲れた身体にムチうってたき火を囲んで宴会である。Aは自分の入っていた病院をきわどいジョークにして楽しませてくれた。
「深夜にトイレに行ったらお風呂場に電気がついてたんです。そっと覗くと釣り糸をたれている人がいたんです。こわかったけど聞いたんです、何か釣れますか?って。そしたら風呂場で釣れるわけないだろ!って言われちゃって」
「まあ私の場合半分妄想の中で生きているようなもんですからね」
Aはもはや神様とは無縁の男のように見えた。

九月の渓の吹く風はひんやりと火をゆらした。ひとしきり笑いあって話が途切れるとAはポツリポツリと話し始めた。
「実は申請してお金をもらうことにしたのです。そのお金でできるだけ長い時間釣りをするつもりです」
私たちは手を叩いて喜んだ。全肯定。拍手喝采である。
「いいじゃん。おれたちが払っている税金、おまえがそうやって回収してくれるなら全く問題ないし、文句もない」
というと、
「思う存分使わせていただきます!」
笑顔でAは答えた。

私たちはAの決断をポジティブなことと受け取っていた。Aの状況は一般的には幸福とはかけはなれたものだろう。しかし不謹慎承知でいわせてもらえば、釣り師の理想的な生活を手に入れたAをみんな少しうらやましく思っていたのだ。そもそも「一般的な幸福」など存在しないのだ。
Aは神様とは手を切った。そのかわりに今度は釣りの神様としっかりと手を結んだのだ。私はAのカムバックを確信した。もちろん釣り師としてのだ。しかしそれ以上に何を望もうか。それで生きていく理由、根拠としては十分ではないか。たき火の炎を見つめながらそう思えた。

(フライの雑誌 1997年初春号)

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