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No.118 1981年 原点としての私立小学校教育起点の授業 3年生総合学習「人間と社会」初等科教師1年目の実践

 私が私立小学校の教師になろうと考えた1つの契機は、「No.86 1976年~ 『林竹二・授業の中の子どもたち』に出会って」でご紹介しましたように大学4年生の時に『林竹二・授業の中の子どもたち』を読んだことでした。

 1981年4月に初等科3年の担任をすることになり、林竹二氏が日本女子大学附属豊明小学校3年生に行った「人間について」の授業をなんとかしてみたいという気持ちになりました。初等科3年生のようすを見ていて「人間について」だけでなくもっと多様なテーマを設定して総合学習(1つ1つの教科に分けないですべての学習を1つにまとめて行う学習。一定の生活題材を中心にさまざまな学習を結びつけて行う)を実践したいという意図がありました。ですから「人間について」だけでなく「人間と社会」という課題で10のテーマを設定して実践していきました。この実践については「『人間と社会』授業実践―林竹二氏の授業を実践を通して考える―」という研究報告を『立教大学教育学科研究年報』(第26号1983年3月)に執筆させて頂きました。私の初めての論文でした。この原稿を基に今回のエッセーを書きます。ライフワークの1つである私立小学校教育の原点になる授業をご紹介致します。

1.研究課題
 林竹二氏が問題提起した授業論を一層具体的に自らの日常の授業実践において検討し、発展していくために「人間と社会」というテーマの自主教材を作成し実践しています。なぜ、「人間と社会」の授業をするのか、授業テーマと構造、児童の感想を中心とした授業の記録を通して、「人間と社会」の授業の概略を紹介し、児童にとって「人間と社会」の授業実践とは何かを考えていきます。
 
2.「人間と社会」授業実践
1)なぜ「人間と社会」の授業をするのか
① 子どもたちに人間とは何かを考えさせることはなぜ学習するのかを考える有効な方法であり、集団の中で人間としての自分の行動を考え学級づくりの1つの方法とすることです。
② 学問と教育の接点を求め、専門書からの知識と子どもたちの発達段階を結合し、自主的な教材づくりを目指します。
③ 学習の多様な方法(レジュメ・映画・写真・アニメ・児童の作文・身体での表現・実験・予想)などを考え子どもたちにとって楽しい授業を追究します。
2)授業のテーマと構造
人間固有の特性
①  人間と他の動物との違い
②  人間は人間によって教育される
     ↓ 人間至上主義ではない
人間の弱さ
③  人間と錯覚(心理的)
④  人間とパニック(心理的)
⑤  人間と戦争(歴史的)
⑥  人間と公害(社会的)
     ↓ 人間は弱さだけではない
人間の弱さの克服
⑦  人間にとって文化とは(文化)
⑧  人間にとって学校とは(教育)
⑨  人間にとって科学的とは(考え方)
⑩  人間にとって正しく考えるとは(考え方)
       ↓
   人間とは何か
3)授業の記録(全20時間)
 各テーマの簡略した授業のポイントを提示します、
①  人間と他の動物との違い(1時間)
林竹二氏の6年生での実践の追試です。人間の本質、人間とビーバーの違い、人間は道具を使う、ケーラーの実験、本能の意味について考えました。
②  人間は人間によって教育される(2時間)
ルソーの『エミール』1762年の次の箇所を読みます。「私たちは弱い者
として生まれる。私たちはなにももたずに生まれる。私たちには助けが必要だ。私たちには、ものごとをみわける力をもたずに生まれる。私たちには、はんだん力が必要だ。生まれた時に私たちがもってなかったもので大人になって必要となるものは、すべて教育によってあたえられる。」この文章は人間が成長するために必要なものは何かを考えるきっかけをつくることができました。J.Aシング著『野生時の記録1狼に育てられた子』1977年、福村出版。を参考にカマラとアマラの話を取り上げましたが、現在科学的にこの話題は信ぴょう性に欠けるとされています。
③  人間と錯覚(1時間)
 人間は決して万能ではないことを考えます。心理学にある眼の錯覚や反転図形を見てもらい眼は正確に物を見るか考え、色々な角度から物を考えること、もっと複雑な社会の出来事はよく注意して観察することの必要性学びました。


④  人間とパニック(1時間)
ル・ボンの「人間はひとりでいる時と大勢の中にいる時では、全くちがった
ものになる」という言葉はどういう意味か考え、パニックについての動物実験の話、マナグア地震、熊本大洋デパートの火災、物不足パニック、新潟地震などを通してパニックの人間の心理やデマの影響について考えました。
⑤  人間と戦争(3時間)
1981年2月25日、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が広島で発表された
平和アピール『人間性のため、全世界に向けての生命アピール』の中で「戦争は人間のしわざです」「過去を振り返ることは将来に対する責任を担うことです」と訴えています。子どもの戦争の聞き取りと発表、『アンネの日記』と『原爆の子』の読み聞かせと話し合い、ローマ教皇来日の映画、アニメ『ピカドン』を通して戦争や原爆の恐ろしさ、人間の弱さについて考えました。
⑥  人間と公害(2時間)
戦争がなければ平和かといえば必ずしもそうではないでしょう。ユージン・
スミス氏の写真なども使い水俣病の実態を学び、科学技術の発達が人間に及ぼす影響を考えました。また、サリドマイド事件を取り上げ、公害においては防止が最も重要であることを考えるとともに、当時20歳前後のサリドマイド事件で被害を受けた人々の現在の意識(1982年1月16日の「朝日新聞」の記事より)、辻典子さんや吉森こずえさんの生きる姿を学び、現代社会の中での人間の弱さと強さを考えました。
⑦  人間にとって文化とは(2時間)
人間の弱さの克服に入っていきます。文化とは何か。読書からどのような事
が得られるか。おもしろいマンガとは何か。遊びはどのような意味を持っているか。テレビが与える悪い影響。「子どもは動く広告塔」という意味。今日の子どもは砂糖づけの体とされる意味などを学習することにより、自分たちの生活の中にある文化は人間にとってどのような意味があるか考えました。
⑧  人間にとって学校とは(5時間)
1981年9月に国語の授業で『窓ぎわのトットちゃん』を学習しました。
取り上げたのは「窓ぎわのトットちゃん」「もどしとけよ」「大冒険」「本当は、いい子なんだよ」「さようなら、さようなら」の5つのお話でした。この5つをコピーし印刷して冊子に綴じひとりひとりに配りました。
 

 トモエ学園での自分でスケジュールを決めて自由に学習する方法はドルトン・プランに似ていると話すと子どもたちから「やりたい」という声が出ました。それで、ひとりひとり「アッサイメント」をつくって計画を立ててやってみようということになりました。
 3時間のスケジュールをひとりひとり決め、全く自由に学習する初めての経験でした。ある子どもは次のような「アッサイメント」をつくって学習に取り組んでいました。場所は旧幼稚園の教室でひとりひとり好きな学習スタイルで学んでいました。


 「人間にとって学校とは」を学び子どもたちから次のような言葉が出てきました。「私にとってとてもよい勉強になりました。なぜなら学校のことについて今まであまりまじめに考えたことがなかったからです」「学校は人間にとって大切な所だとつくづくかんじました。わたしはずっと学校も勉強もすきになっていたいなと思います」「かならずどこかでやくにたっているはずです。学校があってよかった!」「学校とはどういうものか、よく考え毎日学校に通いたいです」「みんなの学校をたいせつにして、みんなでつくっていくことがわたしはとてもたいせつなことだと思います」
④  人間にとって科学的とは(1時間)
現代社会では情報の量が多く、テレビやその他のマスコミの権威に弱いと思
われます。スプーン曲げ事件を通して科学的に物事を考えたり判断したりするにはどうしたらよいか考えていきました。
⑤  人間にとって正しく考えるとは(1時間)
人間は誰でも考えます。現代の情報時代では知ることがあまりに多いため、
知ろうとすることに追われ深く考えることができないのではないでしょうか。ハイデッカーの「人間は日常ひとの立場に立っている」という意味を考察し、流行現象について考えました。また、正しく考える事とはどうすればできるか批判的精神を持つという観点から学びます。
 
4)子どもたちにとって「人間と社会」の授業とは(1時間)
 最後に1時間とり学習の「アンケート」と「学んだこと」を書いてもらいました。「アンケート」ではどのテーマの授業に興味をもったか書いてもらいました。
最も興味を持ったのは「人間と戦争」のテーマでした。39名の子どもたちの内21名が挙げています。特に視覚に訴えたこともあり人間とは何か、人間の弱さを強烈に考えさせくれたのだと思いました。
 子どもたちの「学んだこと」に次のような文章がありました。「わたしはこの人間についてをやる前は、人間とはどういうものかぜんぜんきょうみもなく知りませんでした。今では、きょうみもあるし、よく知りましたというか、わかってきました。人間とはえらいと自分で思っているけれど、本当はすごく弱い心を持っている動物だと思いました」「そんな弱い人間の心、わたしだってそういう弱い心を持っています。でもそれだけじゃなくて、なおそうとしなければいけないと思います」
 人間の弱さとそれを克服せねばならないという認識が感じられます。他の子どもが書いたものも常に普段の生活との結合があり、不思議に思うことがあり、自分なりに発展させて考え問題提起がありました。
 
3.終わりに
 研究課題とした「児童にとって『人間と社会』の授業は何か」を十分明らかにすることはできなかったと考えています。4年生になってもこの授業は続いています。4年生では社会科の中に「人間」という視点を特に意識して導入し、「人間と環境」を軸にした社会科授業を構成しています。「人間と水」「人間と緑」「人間とエネルギー」「人間とゴミ」「人間と地震」「人間と交通」「人間と遊び場」「人間と人口問題」「人間と食糧」などのテーマを設定し、子どもたちの調査活動も含めて実践しました。このような教科書にない教材で自由な授業をすることが「子ども」という存在を再発見させてくれるのではないでしょうか。今後ひとりひとりの子どもにとってこのような授業がどのような意味を持っているのか実践者として一層追究していきたいと思います。
 林竹二氏は「私立学校教育が普通公立学校教育と違う道を追求するものとなって、突破口を探る以外に本当の教育の期待はないのではないかと思う」と述べています(日本私立小学校連合会「会報」No.146、1982年4月)。私にとって林竹二氏の授業を発展させることが現在の課題です。
 
 教師1年目の20時間の実践、これが私の39年の聖心女子学院初等科教師として勤務できたエネルギーになったのです。
 
 エッセーNo.93でご紹介しましたように、この実践については依頼があり教師2年目に研究発表をしています。
研究発表 日本私立小学校連合会 全国教員夏季研修会「『人間と社会』授業実践―自主教材と多様な方法による社会認識の形成―」1982.8.20 西熱海ホテル
 当時東京・熱海・関西でローテンションを組んで毎夏私立小学校全国教員夏季研修会が開かれていました。3年に1回熱海の隣来宮にあった西熱海ホテルで開催されました。社会科部会では広い和室に座椅子をおいての研修会が行われ、温泉に入りながら全国の私学の先生との会話がとても懐かしいです。現在西熱海ホテルは取り壊されマンションが建っていますが、代わりに新横浜プリンスホテルが3年に1回の会場になっています。

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