中学時代に作ったまぼろしの「ペタンク部」とは!?
こんにちは。
ペタンク大学生、鵜飼 樹(ウカイ イツキ)です。
今日もペタンクの話をさせてください。
僕は現在22歳。
小学5年生の11歳の時ペタンクを始めたので、今年で12年目になります。
産まれてから人生の半分以上ペタンクをしています。
当時小学5年生の僕は、陽が暗くなるまで毎日サッカーをしており、寝る時も枕の横にボール置いて寝るほどのサッカー少年でした。
小学校のクラブチームの他に地元のユースチームに所属するほど熱心に練習も参加していました。
そんなある日、僕はペタンクと出会ったのです。
放課後、小学校のグラウンドで友達とサッカーをしていました。
するとグラウンドの端の方で、鉄のボールを転がしている集団が目に入りました。
それがペタンクとの出会いでした。
一度参加させてもらってから、どハマりし所属していたサッカーチームをすぐにやめて、放課後の遊びもサッカーからペタンクに変わっていきました。
今回は、そんな僕が中学生になる時の話です。
□中学生は全員部活に入りなさい!?
僕が進学した公立中学校では、半ば強制的に部活に入ることを強いられました。
僕の頭のなかでは、部活なんて入ってしまえば、
ペタンクできなくなるやん、、。
という思いでいっぱいでした。
そこでヒラメキました。
そうやペタンク部を作ったらいいやん!!!
そしたらペタンクはできるし、部活動にも所属してることになる。
それから同級生をたくさん呼び込んだら盛り上がるに違いない!
もしかしたら、かわいい女の子も入ってきてくれるかも!!!
夢の中学生ライフが始まる!?!?!?
一気にやる気に満ちた僕は、すぐさま行動に移しました。
□ペタンク部創設に向けて校長に直談判へ!
けど、新しく入ってきた中学坊主が、いきなり新しく部活をつくりたいなんて主張しても学校は真面目に受け止めてくれるんかな???
ましてや、認知度の少ないペタンクで、、。
初めてペタンクの鉄球ボールを見た人は、これ危ないんじゃ、、。
って思われるのではないかと心配しました。
そこで僕は誰か大人の力を借りないといけないと感じ、地元のペタンクチームの方に協力していただき、校長先生に直談判するために校長室へ向かいました。
応援にペタンクチームの代表の方に加え、ここからは本当に謎なのですが、父親とおじいちゃんとおばあちゃんも駆けつけました。
ビシッとスーツをキメたおじいちゃんと、化粧ばっちりに大きめの真珠のネックレスをしたおばあちゃん。
二人の張り切り具合が、当時思春期の僕にはとんでもなく恥ずかしかった、、。
うちの家族は父親、祖父、祖母もペタンクをしており親子三世代のペタンク一家なのです。
みんなペタンクの部活を作ると聞いて、ウズウズして耐えきれずついてきてしまったのです。
おもしろい家族なんです。
校長先生は驚いたと思います。
僕と代表の方二人で相談にくると思っていたでしょうからね笑
その話はさておき、早速ペタンク部の創設について相談してみました。
そこで校長先生は、こう言われました。
「部活動の創設については認めます。グラウンドの空いているところで練習をおこなってもなって構いません。しかし勧誘活動はしないでください。」
えっ???
勧誘活動は無し、、?
それじゃあ部員僕だけやん、、。
友達は?かわいい女の子は、、。?
どうやら、やはりペタンクについて理解してもらえなかったらしく、集団で中学生が鉄のペタンクボールを投げるのは危ないと思われたみたいです。
□その後
僕は、ペタンク部の創設は諦めました。
放課後はすぐに帰って、市内のペタンクチームで練習することにしました。
まぼろしとなった、おそらく全国初であろう中学校のペタンク部。
ペタンク部があれば、、。
楽しい夢のペタンク中学校ライフが、、。かわいい女の子が、、。
すべてまぼろしになりました。
その結果、僕は中学時代少しペタンクから離れることとなり、ジュニアの部で日本代表として国際大会に出場する機会を失ってしまいました。
今思えば、すこーし後悔しています。
だから今は後悔しないために、全力でペタンクやりますよ!
全力で楽しみますよ!!!
今回は、中学時代の少し苦い思い出話でした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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