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人の喜びを、喜べる人間だったとは。

自分に対してそう思うことが、ここ最近何度もあったので。

連休中に、友人から出産報告があった。彼女が妊娠していたことは知っていたし、そろそろだということも分かっていたのだけど、いざ写真と共に「産まれました」という文字を見たら、涙が込み上げてきた。嬉しかったのと、無事でよかった~という安堵の気持ちと、小さな生命への感動が入り交じってました。

2年ほど前、彼女の結婚式に参列しました。入場してくる時、彼女がお母様と言葉を交わす場面があって「見送られる娘、送り出す母」という構図にうるうるしちゃいました。

感動だけでなく、楽しい演出も随所にあって、すごくいいお式だったな~~と感じた私は、友人たちと撮った写真をしばらく待受画面にしていた。見ているだけで、あの日の幸せな空気感がよみがえり、癒される気がしたから。「親戚のおばちゃんと同じ目線じゃん笑」と突っ込まれたりもしたっけ。

この結婚式の半年後、地元で一番仲の良い親友が結婚したので、式に参列しました。親友に関しては結婚報告も挙式のことも妊娠も、彼女の人生の転機になりそうな大きな報告をされる度、私は泣いてしまった。とんでもなく嬉しかったから。大切な親友が、大切と思える人に出会えて、一緒になれて本当によかった……!

最近では、結婚や出産以外のトピックにも感動するようになった。例えば、親しくしてもらっている着物屋さんのスタッフ(私の担当みたいな存在)が、そのお店のなかで、希望のポジションに近付けたと話してくださったこと。これもめちゃくちゃ嬉しかった。彼女がどんな志をもってそのお店に入ったのかを、前々から聞いていたから。

夢に近付いたんだね。おめでとう!! と、胸に込み上げるものが確かにあった。本当に嬉しかったのです。


こうやって書きながらもつくづく思うのですが、私は、私が、他者のハッピーなニュースに喜べていることにすごく驚いています。

自分の幸せとか、自分にとって都合の良いことしか考えてこなかった自己中極まりない私が。自分が得をするなら他人なんて別に……みたいなタイプでもあったし、他人の幸せを妬んだ経験の方が多かった私が。 

他者の幸せを素直に喜べるようになったのは何故だろう。

友人と親友の結婚が大きかったのかな。「人のことなのに、私もすごく嬉しいな」と思った感覚が今も残っているし。人の笑顔とか幸せな空気に満ちあふれている空間に居られたり、その一部に自分もなれていることがすごく嬉しかった…

きっとそれまでの私は、超近視眼的に自分のことしか見ていなくて、「いま目の前にある自分の幸せ」しか考えていませんでした。それが少しだけ、周りにも目を向ける余裕ができたのかな。

最初からそうできている人だって、たくさんいるとは思います。でも私は、30歳を超えてからやっと「人の幸せに幸せを感じられるだけの余裕(もしくは視野の広さ)」をもてました。

私が周囲からたくさんハッピーのおすそ分けをもらっているのと同じように、「ピーターが幸せそうにしてると、私まで幸せ」なんて言葉を言ってもらえるような存在になるぞ。

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