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私の家族はぬいぐるみ

家族は血縁や結婚によって関連づけられた集団だ。これは「客観的な家族」と呼ぶことができる。

一方、主観的な家族も存在する。自分が思う主観的な家族が、客観的な家族と異なるケースもあるだろう。

客観的家族と主観的家族

たとえば「何十年も会っていない親戚」と「毎日を共に過ごすペット」を比べてみよう。多くの人にとって親戚よりもペットの方が「家族感」が強いだろう。主観的な家族は、血縁や婚姻関係に依らず「家族感」の強い集団と定義できそうだ。

生物以外とも家族になれる?

さらに深めると、主観的家族のメンバーは人間でなければならないのか、あるいは生物でなければならないのか、との疑問が生ずる。

A. 人間でなくても良い

具体例を考えてみる。たとえば、ペットを主観的家族の一員としてカウントする人は少なくない。したがって、主観的家族のメンバーは人間である必要はない。

A. 生物でなくても良い

では、そもそも生物である必要はあるのか。これも具体例を考えてみると、故人の仏壇や墓を家族のように大事にする人がいる。仏壇や墓が生物でないのは言うまでもない。仏壇を通じて故人に思いを馳せているとしても、故人は「元」生物であり、その時点では骨だけになっている。つまり、家族としての思い入れを抱ける対象であれば生物である必要もない。

「親戚」よりも「ぬいぐるみ」の方が大事な家族

私にとってぬいぐるみは主観的家族に他ならない。何年も会っていない親戚や、婚姻関係の締結により家族化された人間(妻を除く)よりも、ぬいぐるみを愛している。


家族をランク分けするという暴挙に出てみると、
 Aランク:妻、ぬいぐるみ
 Bランク:両親、祖父母
 Cランク:その他の客観的家族
となる。


事実、私たち夫婦は我が家のぬいぐるみたちを「ファミリー」と呼んでいる。ぬいぐるみは私が幼少期の頃から共に過ごしてきたし、今もなお一緒だ。年に数回しか会わない親戚とは違う。婚姻関係で家族化された「新入り」とも違う。しかも、ぬいぐるみは人間のように愚かしい干渉もしてこない。

家族旅行でパリに行ったとき

私は「これからの家族のかたち」として「ぬいぐるみ」を提案したい。

#これからの家族のかたち

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