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衝動的移動と滞在の1週間

お越しいただきありがとうございます。

「カウンセリング先、変えます」書き途中でかなり時間が経ってしまいました。
前後編では終わりそうもないので、そちらはいくつかに分けて書き進めていこうと思います。

衝動的移動滞在

5月後半からひとりであちこちに移動していた。
観光したわけでもないので旅というには語弊があるため「移動」「滞在」の表現が適切かと思う。

きっかけ

コロナ禍が落ち着きリモートワークができなくなるというのと、初海外に行ったことで国内移動のハードルが下がったせい。

それにしても不安障害、対人恐怖を抱える自分がなぜ急にあちこちへ移動することを決めたのか正直、今でも理解できない。
歩いて数歩のコンビニですら行くことを何日もためらうくらいの引きこもり生活なのに。

ただ、物理的にも心理的にも息苦しい毎日、ひとり暮らしなのに緊張し続ける毎日、今いる場所から逃げたかったのかもしれない。

果たして逃げたところで楽になるのか、逆に具合が悪くなるのではないか、発作で動けなくなるのではないか、懸念事項はいくつもあった。
それなのになんの保障も確証もなく、衝動的にホテルの予約と新幹線のチケットをとった(改めてインターネットって便利)。

約1週間の移動滞在

滞在先は、10年来の友人が住む街。
場所も本当になんとなく決めたから、何があるのかどんな土地なのか予備知識ゼロ。
日中は仕事をしていたので、友人と特に毎日会うということもなく、ホテルで自分のペースで過ごすことができた。
幸い天候に恵まれ、オフシーズンのせいか観光地なのに人出も少なかったため、夕方はレンタサイクルで近場を走った。
街並みが予想を超えて好みだった。
あと、食への関心が薄い自分でも食べ物が美味しい土地だということがわかった。

ふたつめの滞在先は週末の京都。
仕事も休みで2日間自由時間。京都は何度も来ている場所なので、地図がなくても目的地へはだいたい難なく行くことができる。
海外からと思しき観光客の子供に足を踏まれながら繁華街を抜け出し、人気のない場所を歩き、喉が渇いたら喫茶店でコーヒーを飲んだ。

あといくつか遠出したのだけど割愛。

ここまで読まれて、普通に旅じゃないかと思う方もいらっしゃるでしょう。

でも私にはずっと違和感がついて回っていた。

「行動と気持ち(感情)が一致しない」

時間をかけて移動して、これだけ心動かされる風景や出来事が目の前にあるのに、気持ちがついてこない。
楽しんではいけない。幸せと思ってもいけない。なんなら疲れたとも思ってはいけない。

結局どこへ行っても何をしても、もう1人の自分に監視されているようだ。

思考のクセはそう簡単に直らない。
逃げられない。
ということを再確認した1週間だった。


いつか心から楽しめる旅ができるのだろうか。

つたない文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。

【追記】
京都に何度ものくだりで、昔は旅行楽しめたか思い返してみた。その時も一緒にいる人が楽しんでいるかばかり気にして無駄に陽気に振る舞って今たのだった。冷や汗でる。