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駐禁と吹き溜まり

「花の色は うつりにけりな いたづらに」と小野小町が詠ったように、桜というのは本当にあっという間に散っていく。
花のそのすぐ後ろには、緑が小さく待機していて、花が散っていくのと反比例してぐんぐん伸びる。と思ったらその緑はすぐ濃くなり、雨水にぎらりと光るようになる。

ひとりでいたいなぁというのは、昔からずっとそうで、何をするにも黙々と鍛錬のようにひとりで行うのが好きだった。
人形遊び、ザリガニ吊り、木登り、一輪車、ジグゾーパズル、バードウォッチング。お絵描きでも、その時に好きな動物を繰り返しひたすら書き続けた。猫、オコジョ、マンボー、フクロウ、ジュゴン……。
あまり人のことを信じられなくなってからも長く、地層のようにこれまでのひとりでの鍛錬が、私の中に堆積されている。

4月の校内を歩けば、駐禁スペースには桜の花びらが吹きだまっている。アスファルトのグレー、花弁のピンク、そして警告表示のオレンジ。通りがかりにきれいな配色だなと思った。しかもいくら目立つ色で警告したところで、桜の停滞は止められないという皮肉もまた一興。私が小野小町だったら綺麗な歌にしただろう。でも小野小町でない私は、仕方なくiPhoneを構えて写真を撮り、時間をかけて歌を詠むことにする。

4月なので入学式の受付なんかをした。なにかの受付を任された時は、いつも以上にしっかりと相手の目を見て会話することを意識する。これによる新入生たちの反応の違いが面白い。学科によっても違いがある。経済、教育系はハキハキした子が多い。目を見つめ返し、受け答えも明快だ。逆に生物系の学生はうつむきがちに小さな返事をするか、野生動物のように警戒心が瞳に光っていることが多い。そういう子には無理やり目を合わさせ、聞き取れるような声で返事するよう、誘導してあげる。これから生き物と関わり続けたいなら必要なことだから激励代わり。
受付での遊びを終えてしまうと、休憩時間は暇なので会場周りを散歩する。坂を下り、少し行くとため池があって、冬眠から目覚めた亀が、気持ちよさそうに甲羅干しをしている。横をあるくと様子を窺うようにこちらに首を伸ばすのがなんともかわいらしい。脇にある農道をそのまま舗装したような道を進んでみる。すると茂みの先には、屋根が落ちて完全にしゃちほこ型になってしまった、廃温室が横たわっていた。ガラスは割れ落ちツタが絡んでいる。温室の骨組みからは花瓶から出る花のように、青々とした緑があふれ出ている。その温室はもう、人工物というにはおこがましいほど、自然によく馴染んでいた。

土に還るって何だろうか。
最近は大きさ数ミリの化石片を砂の中から仕分けする仕事などをやらせてもらえたので、そんなことを考える。どんなに小さくても、顕微鏡で見れば、鉱物と骨のかけらは見分けがついてしまう。土に還る、と言いうと、分解されて姿かたちがなくなってしまうイメージだけれど、ただ本当に小さな破片になったに過ぎないのかもしれない。われわれは水のように、地に浸透することはできない。だとすると、生物の体と、温室の骨組みの金属、その差は何かあるだろうか。「土に還る」、「空に還る」は嘘で、「土に還らない」、「空に還らない」が本当。ものの「死」は、その活動を終えてしまうことに加え、環境への「擬態」行為なのかもしれない。自然に還ることはできないけれど、誤魔化し紛れることはできる。その努力、かわいい。でも、たまにめざとい奴には見つかって、考古学とか古生物学とか銘打って表に出されてしまうこともある。かわいそう。そんなことを考えると、博物館に展示されているものは、なんだかちょっと愛おしいきもする。そして私は絶対もっと上手く微細になって誰の目にも留まらないようにしてやると密かに決心する。私の地層を見つけられたくないし、4月は何かを決心するにはうってつけの季節だから。

もし気に入ってくださって、気が向いたら、活動の糧になりますのでよろしくお願いします。