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いるかいないか

 『れいこいるか』という映画を観た。好きな映画監督が、Twitterで勧めていて興味が湧いた。派手な映画ではないし、何もなければ観てなかったかもしれない。でも、これがどえらく良い映画だった。
 阪神淡路大震災で愛娘を亡くした夫婦が、その後どう生きているか描いた映画だった。この題材ならば感動モノにするのは容易いと思う。でも『れいこいるか』は、映画らしく味つけられた部分が一箇所もなくて、あまりの自然さに圧倒された。特別な台詞なんてひとつもなかった。でも強く惹きつけられた。それは、ひとの口癖や何気ない一言が、人生の歴史のなかで、途方もない意味を持つ瞬間が描かれていたから。そして、その人生のすぐ脇にあるのは、ずっとなんとなく使ってる紙袋と、思い出のぬいぐるみだったりするのだ。スクリーン上にあるのは、感傷的でも悲観的でもない、リアリティ、ただただ漠然とした宛てのない寂しさだった。すべてをとっておく人は優しくて寂しいし、すべてを受け入れる人は優しくて寂しい。もういない人とまだいる人。れい と いち しかこの世にはなくて、その両方が一緒にあるから、おかしくて苦しくて安心する。
 映画を見終わったあと「感動した!」なんて言えなくて、ただ「あぁ、まだ生きてるんだな」と思った。私も、映画の中の人も。

 バスで帰るのも味気ないので、歩いて帰ることにした。川べりに降りると、明かりもないので人の顔が認識できないくらいに暗い。山並みも湿度でふやけて、輪郭が空に溶けている。夜になると木々は真っ黒に見える。葉の光の吸収率はすごいなと思う。水の生っぽい香りに包まれて、自分から匂う香水がここでは不似合いで、異物だった。車は川と垂直に、橋の上を走っていく。橋の下を通ったとき、光が弾けた。子供が匂いを花火で焼いた。なんだか、生きてる違和感をちょっと燃やしてくれた感じがした。水中を息を止めて生きてると苦しいね。イルカが水面に上がって、ぱっと息継ぎをする瞬間、その瞬間は幸福というものではないけれど、きっと安心ではあるね。

2020/8/20

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