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水の陰に棲むもの

子供の頃の話なので、記憶も少しあいまいだ。

家の近所に古い、大きな団地があった。
その団地の裏にはちょっとした広場があった。
幼い僕達の格好の遊び場ではあったのだが、
三方をぐるりと防風林におおわれたそこは日当たりが悪く、
一日中じめじめしていた。
水捌けも最悪だったので、雨なんか降ろうもんなら、
何日も湿地帯のような状況から復旧しなかった。

幼稚園児だった僕は、
幼馴染のM君とよくそこで遊んだ。
その日も何か水棲の、
珍しい昆虫か何かを捕まえようと思っていたのだろう。

僕とM君は補虫網を手に持ち、
裸足になってそろそろと水に入っていった。
ふくらはぎくらいの水位だ。
泥水なので透明度はゼロ。
僕は息をつめ、
網を水に浸してゆっくり左右に振っていた。

M君が僕から十メートルくらい離れ、
僕におしりを向けて土をさらうのに夢中になっていた時だ。

それを見た。

僕のすぐ足元で。

確かに三十年以上前の話ではあるのだけれど。
でも、僕は見たのだ。
最初、僕にはそれが掃除機のホース部分に見えた。
色といい(くすんだ灰色だった)、太さといい、
それは掃除機のホースにそっくりだったのだ。

一センチ間隔くらいに、節のようなヒダがあった。
ヒダからは真っ黒な毛のようなものがびっしり生えていた。
そしてもちろん、ゆっくりと動いていた。
鯨が深海に潜ろうとする時のように、
背(であろう部分)を弓なりに曲げ、
静かに水の中に身体を滑り込ませる。

「…………。」

僕は何も言わず、
ゆっくりとM君の方に視線を向けた。
M君の足元で、そいつは鎌首をもたげていた。
目も口も鼻も何もない、
ミミズのようなつるりと丸い顔だった。

M君は気づいていない。

「M君!」

僕の鋭い呼びかけにM君が振り向くより速く、
ばしゃっ! という大きな音を立ててそいつは水中に身を隠した。
M君はぽかんとしながら言った。

「なんかおった?」


そのあと一時間くらいかけて、
僕とM君はそいつを捜した。
だがどこへ行ったのか、
水の中を逃げ回っていたのか、
そいつを見つけることができなかった。
僕達はそれっきり、そこで遊ぶのをやめた。

それから何年間も、
その広場は湿地帯のような不気味な様相を呈していたが、
僕が二十歳くらいの時にきっぱりと埋められた。

団地もきれいに建て直され、
広場はこじんまりとした公園に生まれ変わった。


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