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ブランコ

Yさんがそのアルバイトに就いた理由は三つ。

まず昼間は就職活動をしたいので、
夜にびっしり働ける仕事がよかったということ。
もうひとつは時給。
夜間のアルバイトなので高額時給なのは当然だが、
それでもガテン系くらいの時給は必要だった。
そしてもう一つの理由。
彼は当時シナリオライターを目指していたので、
できれば夜中、
仕事の合間を見つけてシナリオが書けたらなと思っていた。

今から三十年近く昔の話だ。
そんな都合のいい仕事なんてそうそう見つからないよ、
と友達には言われていたのだが、彼は見つけた。
小学校の夜間警備員だ。

週何日か決まった日だけ、
宿直室に泊まって何時間かおきに校内を見回る。
朝、八時になると交代の人が来る。
仕事そのものは全然きつくない。
何よりYさんの望んだ通りシナリオは存分に書けるし、
何だったら仮眠も取れるし、
それでいてバイト料はガテン系くらい貰える。
願ったりかなったりだった。
それでもそのバイトはあまり人気がなかった。
それが時給の高い理由だ。

ご察しの通り、
夜の学校というのはとてつもなく怖いからだ。

その小学校は郊外にあった。
郊外だということも手伝ってか校舎は古い。
コンクリート造りの新校舎とL字型になって、
木造の旧校舎がぼろぼろに朽ちながらも残っていた。
山に面した側に新校舎があり、
海に面した側に旧校舎がある。
旧校舎はもう長く使われておらず、取り壊しが決まっていた。
アルバイトの先輩からは

「旧校舎は使われていないので見回る必要はない」

と言われていた。
Yさんはほっとした。
仕事自体は楽でも、
この大きな学校を自分一人で守るというのはなかなかのプレッシャーだったし、
第一朽ちかけた木造の旧校舎など、
普通の神経の持ち主なら誰も見回りたくなどない。
ただし、普通の神経の持ち主なら、である。
Yさんは少しばかり、神経の構造が変わっている。
恐怖心よりも好奇心が少し勝っているのだ。


「旧校舎はな、出るぞ」

その先輩は両手を胸の前でだらり、とたらした。

「冗談でしょ」

「ばか。何度も目撃されてんだよ」

「うわさ話が一人歩きしてるんですよ」

Yさんは取り合わなかった。
それどころか、
あわよくばその時書いていた怪談モノのシナリオの肥しにでもできれば、と考えていた。


その夜もYさんは新校舎だけを見回った後、
宿直室でこつこつと原稿用紙のマス目を埋めていた。
午前三時過ぎ。
さすがにうとうとしてきた。
今書いているシナリオは今日明日中に上げなければいけない。
眠気覚ましを兼ねて、
Yさんは旧校舎を見回ることにした。

旧校舎に一歩足を踏み入れた時から、
すでにYさんは後悔しはじめていた。
月は明るいのだが雲がかかっている。
Yさんが持っている懐中電灯の明かり以外、
木造の校舎内で光るものはなかった。
真っ暗なのだ。
歩くたびに床がぎいい、と鳴る。
それでもYさんは最上階の三階からスタートし、
二階、一階と順々に見回った。

一階の廊下。
ここを端まで見れば、それで終わりだ。
もう眠気なんてどこかへ行っていた。
早く終わらせたい。それだけ考えていた。

二つ目の教室に差し掛かったとき。
雲が切れたらしい。
廊下の右手にある教室の中が、外からの月明りに照らされて、
すりガラス越しに浮かび上がるようにはっきり見えた。
教室の向こうはすぐ堤防になっている。
その向こうは海。
つまり、教室の中に動くものなど見えるはずがない。


だがYさんには見えた。
それはちょうどブランコのように、
教室の真ん中でゆーらゆーらと大きく揺れていた。

誰かが教室の天井からロープでぶら下がり、
ブランコ遊びをしている。

Yさんは割れたガラスの隙間から教室を覗いた。

ぶら下がっているのは小さな女の子だった。

ロープは、女の子の首に何重にも巻きついていた。


足音が響こうが知ったことではなかった。
Yさんは全速力でその場を離れた。
そして宿直室に飛び込み、
鍵をかけてふとんにもぐりこんだ。
震えが止まらなかった。
自分の好奇心をぶん殴りたかった。

まんじりともしないまま朝になり、
Yさんはすぐにバイトを辞めるむねを伝えた。
それから何十年も、この話は誰にもしなかった。

「君にしゃべったのが初めてだ」

Yさんは僕にそう言った。
聞いておきながらこう言うのもなんだが、
それはそれで迷惑な話である。




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