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狛犬 その1

A君は山陰地方の、
とある山間部の小さな町の出身だ。
その町ではちょっと奇妙な風習がある。
町中で狛犬(こまいぬ)を祀っているのだ。

神社にはもちろん堂々とした狛犬が参拝者を出迎えてくれるし、
境内でもいたるところで、
たくさんの狛犬が祀られている。
二車線の普通の車道沿いにも小さな祠がいくつもある。
そこでは当たり前のように、
小さな狛犬様が鎮座している。
それが当たり前、というところでA君は育った。
だから都心部に住んでいる今でも、
たまに社寺におもむいて狛犬を見るようにしている。
A君にとって狛犬は、
懐かしくて頼もしいもの。
父と母のような存在らしい。


例えば昔、こんなことがあった。

A君の家の漬物はすごく美味しい。
それを食べて育ったので、A君は無類の漬物好きになった。
一人暮らしをはじめてからも、
小さな冷蔵庫の中に常に漬物をストックした。
切らすと不安になるそうだ。
でもその味はとてもA君を満足させるものではなかった。
お母さんの漬けたものとは比べ物にならない。

そこでA君は実家に電話し、レシピを聞いてみた。
お母さんの答えはごく平凡なものだった。
特別なことは何もしていない。
これなら俺にもできるかも、と思い、
お母さんから聞いた手順で漬物を漬けてみることにした。

結果は散々だった。
フタを開けてみると、蛆虫が運動会をしていた。
その後もう一度試してみたが、また虫が湧いた。
結局何かが違うんだろうな、と諦め、
あの味はお袋の味、だから実家に帰った時のお楽しみにする、
ということで気持ちに決着をつけた。


それから数ヵ月後。
ひょんなことから、A君は味の秘密を知る。
A君のお母さんから電話があったのだ。

話はこうだ。
A君の実家で法要があった。
その時にお母さんはお茶と一緒に、
お坊さんに自慢の漬物を切って小皿に盛り、お坊さんに薦めた。
その漬物を食べたお坊さんは一言。

「うまい。この世ならざるものの味がしますなあ」

そしてお坊さんはお母さんに、

「漬物石を見せて欲しい」

と言った。
不思議なことを言う人だと思いながらも、
お母さんは樽から漬物石を取り出して持ってきた。
掌にちょうど乗るくらいの、白い、つるりとした石だ。
漬物石に丁度いいと思い、
近くの川から拾ってきたものらしい。
その石を一目見たお坊さんはあんぐりと口を開け、
やがて大声で笑い出した。

「うまいはずだ。こりゃあなた、狛犬の頭ですよ」

今度はお母さんがあんぐりと口を開けた。

「きっとどこかの神社で欠け落ちたものが、
たまたま川に流れ着いたんでしょうな」

川を流れるうちに角が取れ、滑らかな丸形になったのだろう。
そんなものを持っていることが不安になり、
神社かお寺で供養でもしたほうがいいのか尋ねた。
するとお坊さんは首を振った。

「狛犬とは供養しなければいけないものではないんですよ。
実際こんなにうまい漬物ができているのだから、
せいぜい漬物石としていつまでも大切に使ってやってください」

お坊さんはお茶と漬物の礼を言い、立ち去った。


お母さんの漬物は、
作り方をまねするくらいでうまくなるはずがないものだったのだ。
A君は漬物を自分で漬けるのを完全に諦めた。
<つづく>


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