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火事ばか

火事場の馬鹿力、というものを、
果たして人間が本当に持っているかという疑問はかねてからあった。
僕自身は経験がないからだ。
小人を見たりタタリにあったりしているくせに、
火事場の馬鹿力の存在は疑っていた。

という話を友人にしたら、俺の友達ですごいのがいるぜという。


くだんのW君というのは、身長が180センチくらいあるのだが、
体重はどう見ても60キロなさそうだ。
アンガールズのようにひょろっひょろなのである。
顔も青白いし、たまに体調を崩して仕事を休むらしい。
女の子と目を合わせない。
おにぎり一個でおなかがいっぱいになる。
リアル草食系男子だ。
そんなW君は、お酒は大好きなのだ。
家でも、たまに意識を失うくらい飲む。
どんなに酔っぱらっても家なら安全、というわけだ。
たまに外で飲むと、事件が起こる。

W君はワンルームマンションに一人暮らしなのだが、
痛飲した翌日に目覚めると、
W君のとなりに白髪頭で白スーツを着た大柄のおじさんが寝ていた。
何度目をこすっても、白髪頭に人の良さそうな眼鏡ヅラは消えない。

もちろん答えは一つ。
酔っぱらったW君が、
某フライドチキン屋の店頭に立っていたこのおじさんを地面からむしり取ってきたのだ。

持ってみると、ものすごく重い。
W君のマンションは四階建てで、エレベーターがない。
W君は二階に住んでいる。
どうやって運んだのかW君にはまったく思い出せなかった。
すぐにW君は友達を三人呼び、
四人がかりで近くのフライドチキン屋までおじさんを運んだ。
酒の上でのことで、と謝り倒して許してもらったらしい。

別の日。
久しぶりの同窓会ということで、W君はまたかなり飲んだ。
その日もどうやって帰ったのか覚えていない。

気がつけば朝方。
五時を過ぎた頃だ。
のどがからからになって目が覚めたのだ。

小さな冷蔵庫を開けてみたのだが、W君が望むような飲み物は何もない。
水道水を飲もうと思ったのだが、
季節は夏なので水は生ぬるいはずだったし、
W君の住んでいた辺りはこと水がまずかった。
ご存じの方も多いと思うが、飲み過ぎた翌日に飲む一杯の水とは甘露なのである。
まずい水でのどを潤したくはない。
そこのところはW君も譲れなかった。
とはいえのどの渇きは我慢できない。

仕方なく、W君は小銭をポケットに入れると部屋を出た。
マンションを出てすぐのところに自動販売機がある。
まだ眠い目をこすり、あくびをしながらW君は階段を降りた。

とんっ。

とんっ。

W君はペットボトルのスポーツドリンクを買い、
その場で一気に半分くらい飲んだ。
頭はまだ酔っていた。
しかし、二階の自室に戻ろうとして、W君はふと考えた。

今、何歩で階段を降りたんだろう。
一階と二階との間には二十段ある。
でもW君の記憶では。
とんっ。とんっ。くらいだった。

狐につままれたようだった。
もちろんW君はたっぷり二十段あがって部屋に帰った。


こんな経験をW君はいくつか持っているらしい。
これを火事場の馬鹿力というのかはわからない。
しかし、人間というのは無意識下において特に超常的な力を発揮することがあるようだ。

もう少し脳をコントロールできたら、
この馬鹿力はかなり便利なものになりそうだ。
でも体にはたぶん悪いんだろうな。
だからコントロールできないようになっているんだろうな。



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