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ばんこく逍遥

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メガロポリスと化したバンコクでの日々と、立ち寄った万国の片隅でゆれうごめくよしなしごと。おもに移動してます。
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記事一覧

輪郭

輪郭

 

 現代の都市生活にあってリアルへのとば口は、都心の閉鎖空間にこそ開く。ふだんは気にもしないブロック塀を抜ける朽ちかけた木扉や、マンション地階のごみ収集場から地下へと降りる階段の先で、真実はつねに口を開けている。そこは精霊の現れぬ森であり、自我の輪郭は森奥でどろりと溶けだすときを待っている。
 
 線路際まで迫るスラムを列車が走り抜ける光景は、いまやバンコク近郊の観光資源になって久しい。東京以

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夢七夜

夢七夜

 
 とめどなくイメージや言葉があふれ出てくるので、
 幾らかを書きつけておこうとおもう。

 映画について。ミニシアターについて。映画をめぐる人々と言葉について。 

 きのう3日目を終えた、全国18館のミニシアター連携企画『現代アートハウス入門 ネオクラシックをめぐる七夜』。
 (公式HP: https://arthouse-guide.jp/#theater

 第1夜が『ミツバチのささ

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乳の雨ふる

乳の雨ふる

 さうしてこの人気のない野原の中で、
 わたしたちは蛇のやうなあそびをしやう、
 ああ私は私できりきりとお前を可愛がつてやり、
 おまへの美しい皮膚の上に、
 青い草の汁をぬりつけてやる。
 (萩原朔太郎 「愛憐」)

 闇を厭い、光を求める。生存本能がそう欲する。闇を恐怖する。真の孤独は光からこそ生じるのに。視野へ見とめたわずかな昏がりを闇と錯覚し、ただひたすらにそれを恐れる。その闇は影であり、

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水圏

水圏

 目覚めの小一時間を、ふだんより大切に過ごす試み。として、まずは丸ごと執筆作業に充ててみる。手洗いやコーヒーを淹れるなど最小限の作業のほかは、寝覚めの空白のまま言葉の空白にただ向き合う。これまでにもたぶんくり返し思い至ってきたことだけれど、この作業には見通しがなく、キリもない。井戸から水を汲みだしつづけるようなもので、湧きでるかぎりいくら汲みだしても際限はなく、いつ水が涸れるかもわからない。ただ近

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人生の奴隷

人生の奴隷

    
 マリファナはタバコや酒に比べ有害か、という議論をたまにみるけれど、状況や属す社会により害の定義は変わるので当然どちらともまずは言える。即効性の観点からは砂糖こそ、お手軽さも込みでマジックマッシュルームと並んでヤバさの極みと個人的には感じるけれど、中毒者が多数派を占める社会ではもちろんのこと中毒である状態が「健全」になる。また依存性や紊乱性の観点からアルコール摂取の社会リスクこそヤバヤバ

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馬鞍山

馬鞍山

 
 今回の香港・深圳滞在は、域内のキリスト教会取材が主目的となる。
 そのうえで自身の抱える障害は主に2つ。

 ひとつには、広東語も北京語も喋れないという困難。

 ふたつ目には、(社会的ポジションとしての)信仰をもたないという困難。

 これらはぼく個人が一方的に抱えている困難で、したがって乗り越えたければ勝手に乗り越えろという話に過ぎない。しかも乗り越えて何の得があるのか、常識的に考える範

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青衣島

青衣島

 

 二階建てバスの二階の先頭席は、事故のとき一番死ぬから香港人はあまり座らないんだよ。

 嬉々として先頭席に陣取ったぼくの隣に腰をおろして、そう教えてくれたのは誰だったろう。美蕾かな。いやdelphineか。はっきりと思い出せない。隣席からこちらをのぞき込む、いたずらっ子のような瞳の光と声の反響だけが脳裡によみがえる。

 窓外は雨のぱらつく濃い曇り空で、弾丸道路がランタオ島の北側を貫通して

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接十分鍾的吻

接十分鍾的吻

 

 香港。

 “世界一危険な国際空港”として知られた啓徳空港が健在の1997年、初めて当地へ降り立った。99年間の租借を完了し、英国から中国への返還が行われたまさにその年、香港の街はそこらじゅうに異様な興奮と不安が渦を巻いていた。

 九龍の高層建築すれすれを旅客機が飛んでゆく様は、着陸寸前の機内の窓から見るだけでも想像以上の迫力で、シートベルトをはずす前からぼくのテンションは最高潮に達して

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時間の体温

時間の体温

 

 モニターを前にすると、寸前まで体感したようには言葉が出なくなる。

 茫漠とした想念のなかで言葉により確定し、論理と音律により展開させる思考はしかし立体的多次元的で、文章は単線的だ。それは一筆書きで彫像を仕上げるようなものだから、この思考をこの文章へと引き写す試みは端から不可能“的”になる。途方に暮れる。だからこそやり甲斐はあるとも言える。表現が個的にならざるを得ないのは、析出される思考の

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タメライセン

タメライセン

 

 こころが傷を負う、という。

 心に実体はないから物理的に傷つくことはなく、傷口から血を吐きだすこともない。「傷」はあくまでメタファーだ。実体をもたないから「傷だらけだ」と気づいた瞬間に、心は傷だらけにもなれる。

 ひさびさに、今朝はミルクティーを飲んでいる。珈琲豆が切れていた。いまは一時帰国中で実家にいて、ミルクティーの入った陶器のコップはムーミン柄の十年もので、よくみれば細かい傷やひ

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クリスマスをめぐる冒険

クリスマスをめぐる冒険

 

 TwitterやFacebookでは、あたかもまだ日本にいるかのような書き込みを続けているけれど、これはSNS用に頭のなかで用意したネタの投稿が追いつかないからで、リアル身体がバンコクへ着地してからすでに一週間ほどが経つ。

 クリスマスの今夜は、近所の華僑寺院から響いてくる粤劇興行の甲高い雄叫びやら銅鑼やらが色々うるさい。クリスマスの夜にちょっと張り切りすぎだろうとおもう。というか、表通

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トツキトウカ

トツキトウカ

 

 雑踏のむこうに、目の覚めるような美人がひとり立っている。彼女は横を向いて、なにかを見つめている。遠くからでも不思議と惹きつけられるその表情にしばらく我を忘れていたところ、ふと気づけば目が合っていた。

 記憶よりも彼女はかなり痩せていて、だから目が合うまでわからなかったのだけれど、むかしつきあっていた女の子そのひとだった。ぼくのほうで記憶を呼び起こすのにしばらく時間がかかったように、ゆきか

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無数の愛

無数の愛

 

 海では浮力が強くはたらくから、大きく息を吸いこむと、そのぶんだけ潜るのに力を使う。

 深くまで潜りたいからたくさん息を吸いこむのに、これではなんだかあべこべだ。けれどすこしだけ力をふりしぼり、ある見えない均衡線を超えたとき、海底へと垂直に沈んでいくのがぐっと楽になる。

 得意なことの大半は、放っておいても巧くできてしまうことなので、何ができているかをきちんと自覚することはなく、なぜ得意

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無原罪マリア長崎ペルム紀ジャンヌ!

無原罪マリア長崎ペルム紀ジャンヌ!

↑トップ画像:イーダ(ダーウィニウス・マシラエ) オスロ大学自然史博物館蔵 4700万年前

 一時帰国中、京大院でキリスト教学を研究する友人が学会で上京するのにあわせ、周辺の友人たちと一晩呑んだ。それに先立つ夕刻すこし時間ができたので、彼を連れ東京国立博物館の特集展示へ出かけてみる。

[link] 東博特集展示: キリシタン関係遺品にみる聖母マリア信仰

 新聞社やらテレビ局やらとの提携で、街

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