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「自信がない」とどう向き合うのか

僕たちは、「自信がない」という言葉とどう向き合ったらいいのか。

正直なところ、表立って「自信がない」と口にしたことはない。

だけど、目のまえにチャレンジ要素満載な出来事が現れたとき、心のなかで「できるかわかんねーな」「できる自信ないな」と唱えている自分がいることには気づく。

いつしかそれが癖になっていて、気が付けば何年も経過している。

いい加減、いい歳になって気づくのだ。


「あれ、自信がないとか言っている間に、俺は1mmも成長していない」という、残酷なまでの事実に。

そんなことを言っても、実際自信がないんだから仕方がないじゃないか、と思うかもしれない。

何を隠そう、こんなことを書いている自分自身がそうだった。

今の会社で働き始めるまえ、営業として仕事をしていたけれど、結局、新規で仕事を作れた数は、正直なところ数えるほどだ。

何年やったところで、初対面の苦手さとうまく話せるかわからない自信のなさを理由にしていた。

プロフェッショナルの風上にも置けない思考だが、当時は当時で切実ではあったのだ。

だけど、いくら切実ではあっても、そこでその自信のなさと付き合いながら何らかの努力を果たしてやり切れたのか。

正直なところ、疑問が残ると言わざるをえない。

目の前にある、楽に数字を作れることに流され、中長期の視点で仕事を作ることからは、なんだかんだで逃げてしまっていたと思う。


そう、結局のところ、自信のなさを理由にするのは、どこまで言っても「自分に甘いだけ」と言わざるを得ない。

残してきた結果と、何よりそれだけの年月をかけて振り返ったときの自分の成功度合いを観れば、悲しいかなそれは明らかなのだ。


自信がないのもわかった。

できなかったときが不安なのもわかる。


でも、いつまでもそうしていても、そこには成長もなければ成果もない。

それは身をもって体感し、痛いほど実感してきたはずだろう。

だとしたら、あのときの屈辱をくやしさを、同じことを繰り返してもいいのだろうか。


マッチョな思想をまき散らしてしまったけれど、もう少し考えてみたい。

自信がないという言葉の前提だ。

自信がない、と思う、言うという前提にあるのは、「チャレンジすることは決まっている」ということだろう。

すなわち、見方を変えれば、本音の部分では「自分自身に対して誰よりも期待している」ということでもあるんじゃないのか。

そうでななければ、「自信がない」などとそもそも思う前に、「やらない」と即断できているはず。

ちょっとでも「やってみたいけど…」と思う根底には、小さいけれど、確かな自分自身への期待がある。


「期待をするな」

なんて風潮があるけれど、自分が期待しなかったら、じゃあ一体誰が期待してくれるというのだろう。

自分に裏切られるかどうかは、自分のことなんだからわかるでしょう。

裏切らないように、自分のポテンシャルを発揮するための努力をすればいいだけのことだろう。

それもしないというのであれば、それは自信がないというよりは、ただ怠慢なだけと、己にフィードバックをくれてやればいい。

自信がない、だからやってみる。

自信がない、だからこそ挑戦してみる。


そうして頑張ってみた先にしか、成果や成長なんてものはないし、人生を変えたいと息巻くのであれば、そんなことを言っている場合ではないでしょう。


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