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外乗体験記。大分県九重にて

4頭が一列に並んで歩く。のどかな九重の景色は美しく、心地の良い風は頬を撫でる。

私にとって、久しぶりの外乗だ。2年振りくらいだろうか。1年前に馬には乗ったけれど、それはスポーツ流鏑馬。外乗とはまた勝手が違う。

『ゆき』の背に揺られて、私は馬との思い出をまたひとつ増やした。


乗馬クラブに到着、出会い

落っこちないといいなぁ、という気持ちを胸に、前日申し込んだ九重のとある乗馬クラブの外乗。2時間コースを駆足で走るという内容だった。

福岡から車で約2時間。辿り着いた場所は、自然豊かで物静か。いかにもウエスタンなクラブハウス。馬場を一望できるテラスがあって、白木で作られていて。蹄鉄を使ったアートらしきものがたくさんあって。

クラブハウス前の馬場に出ている馬は数頭。どの馬も大人しく馬場の柵につながれていた。アメリカンクオーターホース、アパルーサ。遠くに見える小柄な馬は道産子だろうか。

「この子は『ゆき』ちゃんです。」

スタッフから呼ばれ、自分が乗る馬の前に立つ『ゆき』。彼女はおそらくアメリカンクオーターホース。サラブレッドよりがっしりとした体を持つ、世界で最も登録数の多い馬。アメリカ開拓時代に活躍し、今でもさまざまな競技で活躍している品種だ。

茶色の体、黒のたてがみを持つ鹿毛の体は美しい。しなやかな筋肉は柔軟な動きを予想させる。サラブレッドのように繊細に作られた彫刻のような体よりも、がっしりとした『いかにもパワフル』な馬が好きな私にとって、いつまでも触っていたい体だった。

あまり馬にべたべたと触るわけにもいかないし、撫でまわすために来たのではない。私は泣く泣く触ろうと企む自分の両手を落ち着かせ、鐙に足をかけた。

手は鞍にくっついているホーンをつかみ、鐙を左足にかける。そしてその足に体重をかけ、体を持ち上げる。右足を馬の右側に回し、鐙を足の中心よりやや前にセット。

ウエスタンの鞍ではホーンがあるけれど、これはブリティッシュにはない。ブリティッシュで乗馬の基礎を学んだ私にとって、この馬の肩の後ろにあるホーンは『とても画期的な突起物』という認識だったりする。馬上でバランスを崩しても、とりあえずこのホーンを握ればなんとかなる。命綱的なものである。

足を鐙に乗せ、鐙革の長さを確かめる。ちょっと鐙の上に立ち上がったり、脚を突っ張ってみたり。なんとなく短い気がしないこともないけれど、まぁなんとかなりそう。スタッフに大丈夫ですと告げ、手綱を握った。

”鐙革”は鞍の両脇に鐙をぶらさげるときに使う革の紐だ。これは長すぎても短すぎてもダメで、個々人にあった長さで乗ることが望ましい。たまに鐙革が長いと『脚が短いのかな』と若干ショックを受けることもあったり、なかったり。

私は鐙から足が外れてしまったことが何度もある。そのたびに馬の胴を足の力だけで挟み、なんとか耐え抜いてきた。『鐙がなくてもやっていける』というのが自論。馬から落ちる可能性が盛大に上昇するため、この考えは真似しないことをおすすめする。

私以外の参加者、2名の準備も終わった辺りにようやく馬場を歩く。馬たちの説明が始まった。

「僕の声、後ろまで聴こえていますか?」

最後方となった私が手を挙げる。その合図を確認したスタッフが、にこりと笑った。

「『ドン』はせっかちです。『フラン』はマイペースな子で、『アーモンド』は頑張り屋さん。『ゆき』は真面目な子。動きが悪い子たちではないので、安心してください。」

「先頭の馬が走り出せば、大体みんなその動きを始めます。でも、もし始めなかったり走らなかったりしたら、お腹を蹴ってください。それか舌鼓、舌を鳴らして。そしたら走りますから。」

一頭一頭の情報を教えてくれる乗馬クラブは、それだけ馬への理解があるということだ。馬と言えど、性格は十人十色。癖もさまざま。馬ごとに食の好き嫌いもある。馬同士の相性だってある。そう考えると、馬はまるで人間のよう。馬というのは、本当に奥深い動物である。

パカパカ、馬らしい足音。この音と同時に揺れる体。ああ私は馬に乗っているのだと改めて感じ、私は笑みを浮かべた。

私の本日の相棒、『ゆき』によろしくねと告げる。この馬と一緒に真夏の九重を満喫するのだから、仲良くすることは大事なことである。


乗馬クラブを出発

「公道に出ます。車に注意して行きましょう。」

乗馬クラブから、公道へ。コンクリートの道路を歩く馬たち。いつも脚を痛めはしないだろうか、と私は気がかりである。人間だってコンクリートの道よりも地面の方が脚に負担が少ない。人より重い体重を細い脚で支える馬にとって、負担はいかがなものか。

雑学になるが、馬の脚は”ガラスの脚”とも表現されるほどだ。この表現はサラブレッドに使われるが、馬全般に言えることだと思う。

脚1本でもダメにしてしまえば、もう馬は生きていけない。義足を付けようが、最高の手術をしようが、3本脚で体重を支えることは不可能なのだ。

『骨折で安楽死だなんて』

競走馬に関して、そう言われることが多い。しかし逆に言えば、骨折が致命傷なのだ。

随分昔に、『バルバロ(Barbaro)』と言われる名馬がいた。彼はとても愛されていて、骨折して安楽死となるも馬主からの強い要望で生かされた。

その結果、バルバロは最先端の手術から回復の兆しを見せるも、蹄葉炎となった。馬主はもう一度手術を願うも獣医師は首を横に振り。安楽死。

日本でも事例がある。『テンポイント』、日本ダービーを勝利した馬。美しい栗毛の馬体で、流星の貴公子と呼ばれた。

彼もまたレース中に骨折、安楽死処分となるはずだった。しかし、ファンは助命を願った。開放骨折と言う、皮膚から骨が突き出るまでの骨折。それに対して数時間におよぶ大手術を受け、テンポイントは一命をとりとめた。

そして、と書きたいけれどこの馬の最期に関しては、涙なしには語れない。乗馬から話が逸れてしまうことは確実。テンポイントに関してはここまでとして、”馬の骨折は人の骨折と同程度ではない”という話を終わらせようと思う。

公道をパカパカと行進し、1列になって九重の山を見る。絵に描いたような空に、なだらかな山の曲線が映える景色だった。


馬と歩く

「馬同士が近くなっているので、距離には気を付けてくださいね」

 スタッフからの言葉に、私は手綱を軽く引いた。私の前を行く『アーモンド』に、『ゆき』が随分と迫っていたからだ。『アーモンド』が虫を払おうと尻尾をぶんぶん揺らし、その毛が顔に当たっても気にしない『ゆき』。

馬と言うのは不思議で、あの大きな体に虫1匹が付こうものなら尻尾を使って払う。虫がついた部分の筋肉を細かく揺らし払う。肩回りの神経が驚くほど発達している馬は、ピンポイントで筋肉を動かすこともできる。さらにピンポイントで『ここに虫がいる』と分かる。

大きくて速い、という印象が強い。レースでは大きなファンファーレをものともせず、堂々とターフを駆け抜ける。戦争映画や時代劇などを見たことがある人から見ると『動じずに走り続ける』という思いすらあだろう。

けれど、彼らはものすごく繊細なのである。見慣れないものがあったら動けないし、ちょっとした環境の変化でも狼狽えてしまう。そこが私を惹き付けてやまないのだが。

そんな繊細さを持ちながら、いかにもダメージがありそうな尻尾からのビンタは気にしない…馬とはなんとも不思議な動物である。虫より尻尾の方が気にするってもんじゃないの?

『アーモンド』の尻尾のぶんぶんが激しさを増す頃、スタッフが笑いながら振り返る。

「『アーモンド』、すごく虫を嫌がっているでしょ?この子ね、うちの馬たちの中で一番虫が嫌いなんです。」

脚をあげ虫を払い、尻尾を鞭のようにして虫を払い。とても忙しい『アーモンド』。乗り手はバランスをとるのに苦労しているらしく、虫のこと本当に嫌いみたいですね、と返事。

そんな他愛のない会話をしていると、森の中へ足を運ぶ。私たち一同は手入れのされていない環境で生きる、逞しい植物たちからの洗礼を受けることとなる。


けもの道へと突入

「ここを歩くときはですね、馬たちは大変なんです。どこを見てもご馳走があるんですから。」

どこを見てもご馳走。スタッフの言葉に、私はぐるりと辺りを見まわす。草、草、草。”草食動物”という文字通り、草を主食とする馬。確かにご馳走しかないのかもしれない。

「馬たちはどんな草でも良いってわけじゃないんです。お気に入りの草があって、食べごろも理解しています。」

私たちにとっては”草”以外の何物でもないが、馬たちにとってみたらさまざまな料理のフルコースなのだろう。そう考えると、大自然がブッフェに見えてきた。想像力とは不思議なものである。

馬たちの状態を人間に例えてみると、どうなるだろう。

働いているときに、横に素晴らしい腕前のシェフたちが料理を持って構えているような状態だろうか。イタリアンもあればフレンチもあり、スパニッシュもあり、アジアンもあり…。横目で見つつ、働き続けなければならない…。

とても過酷である。馬たちの勤勉さに感謝するしかない。

ちなみに、馬たちは14時間ほどを食事に費やす。10kgから20kgの草を毎日食べる。つまり、どの時間もほぼお食事中。

空腹を抱えながら、外で働き、豪華な食事の誘惑に打ち勝たなければならない…

二度目になるが、とても過酷である。外乗をやっている方、そしてやってみたい方。馬が動かなくても、草ばっかり食べていても、指示なんて知りませんな顔されても、ちょっとばかりは許してあげてほしい。誘惑に打ち勝ちながら働いているのだから。

…と言いつつ、馬に乗っている際は私がボス。『ゆき』が草に向かっていくと、ちょっとばかり手綱を引いて合図を送る。『私はあなたを見てますよ』という具合に。

耳を私の方に傾ける『ゆき』。

「馬の耳を見てください。僕の乗っている『ドン』は前を向いてますよね。『フラン』と『アーモンド』はくるくるしてる。『ゆき』は乗り手に向けられてる。これは馬たちがどこに注意を払っているかを示しています。」

スタッフが体ごと後ろを振り返りながら、馬の解説を始める。この解説、とても勉強になるものばかりで、馬好きとしては聴いていて飽きない。むしろもっと話してほしいと思うくらい。

「ドンは先頭の馬なので、結構緊張してます。人で言うと、『お化け屋敷で先頭を任されちゃった』みたいな感じですから。」

ドン、結構大変な心情で歩いていたのか。白馬に近い小柄な馬体が、ちょっと緊張しているように見えた。頑張れドン、負けるなドン、と応援したくなる。

「耳がくるくるしているのは、いろんな情報をキャッチしようとしている感じです。まぁ集中してないっていう風にも言えるんですけどね。」

真ん中2頭の状態が暴露されてしまった。マイペースと頑張り屋さん、思いのほか余裕だった。スタッフがしゃべるときにはスタッフに向けられる2頭の耳。先生にバレないように、瞬間だけ集中する子どものようでいて可愛らしい。

「『ゆき』は乗り手の指示を一生懸命聞こうとしていますね。すごく集中してる。」

私の圧でも強すぎたのだろうか。『ゆき』は私に集中してくれているらしい。確かに、ちょっとした指示にもすぐに反応し、如何にも『真面目な子』であった。

しっかりと働いていてえらいねぇ、と声を掛けながら『ゆき』の首筋を撫でる。ちらりとこちらを見つめる『ゆき』と目が合う。大きな黒い目がす、と放された。

馬の首筋を撫でる。もしくは軽く叩く。これには実は意味がある。

『愛撫』と言われるもので、馬に感謝を伝える、または肯定を伝える、そんな意味を持つ動作だ。コミュニケーションのひとつとも言える。

『よくやったね』『その反応は合ってるよ』『指示に従ってくれてありがとう』

そんな意味を持つ、と書くと分かりやすいだろう。

なんでもかんでも愛撫すればいい、というわけではない。

もしいつでも愛撫してしまうと、馬は『正しい行為だったのだ』と学習してしまう。褒めすぎはダメ、褒めなさ過ぎもダメ。人間に対しても馬に対しても、教育とは難しいものである。

「もう少し行ったら、おいしい草の場所があります。そこで一旦休憩しましょう!」

スタッフの声が響く。蜘蛛の巣に背を屈めたり、枝を避けながら進み、開けた場所へと足を運んだ。


休憩時間と食事スタイル

「ここです!一頭一頭場所を決めて食べさせてあげましょう。『ゆき』はそこ、『アーモンド』はこっち。『フラン』はそこで。『ドン』はここら辺にしようか。手綱を緩めてあげてください。」

決められた場所で草を食べさせる。馬同士がくっつき過ぎると喧嘩の原因にもなるし、とにかく良いことは起こらない。

『アーモンド』に若干領土(?)を浸食されつつ、『ゆき』は草を食む。私は手綱を最大限に緩めた。

「馬たちの汗も注目してみてください。『ゆき』は明らかに分かりますね、首元の汗がすごいでしょう?」

愛撫をしている段階で、私自身驚いていた。手を置くだけで分かる、汗のかきっぷり。代謝がめちゃくちゃいいのではないかと思っていた。馬の体温は人より高く、37度から38度。暑さに弱いのはこのためである。

だからこそ汗ばんでいるのだろうな、くらい思っていたのだが。

「首の汗は『頭を使っている』証拠です。乗り手の指示はどんなものかとか、次の指示はどんなものだとか。こう反応したらいいのかな、とか。とにかく、頭をフル回転させているとき、馬は首に汗をかくんです。」

これは知らなかった!熱、というほどでもないけれど、人で言うところの『知恵熱』だろう。知恵発汗だろうか。

「体を動かしているときには、汗はお腹側にかきます。鞍の周辺とかの汗は『単純に動いたから』ということですね。」

『ゆき』の腰辺りを見てみると、ここもまた汗ばんでいて。『ゆき』、全体的に汗ばんでいる。脳も筋肉も消耗しまくっているのだなぁ。文字通り全身で一生懸命さを示してくれる馬。改めて、この大きな草食動物が可愛いと思った。

「食べ方にも注目してみてください。『ドン』と『フラン』は食に貪欲です。口いっぱいに草を含んで、豪快に食べているでしょ?」

私を含め3人の視線が2頭へと注がれる。そこには草を噛めないくらいに大量に口にくわえる『ドン』『フラン』の姿。『食べてますが何か?』と言わんばかりの顔が面白い。2人から笑い声があがる。

「反対に、『アーモンド』と『ゆき』はお上品。ちょっと齧って、ゆっくり食べて、という感じの食事スタイルです。食意地が張っていないと言うか、食べるのがあまり上手くないと言うか…このばりばり食べてる2頭とは真逆ですね。」

確かに。『アーモンド』は大きな体の割にちょこちょこと食べていて、品の良いお嬢さんのような食事スタイル。『ゆき』も豪快さはない、ゆっくりとした食事光景。

馬は本当に面白い。草を食べる姿から、性格も分かる。最近擬人化されて大人気の理由も分かる気がする。某馬の娘さん。

「さて、そろそろ行きましょうか。彼らが満足できるまで待っていたら、明日の朝になっちゃいますから。」

明るい声で告げるスタッフ。私たち乗り手は笑いながら、名残惜しそうにしている馬の手綱を引っ張った。

『ドン』と『フラン』の最後の一口(ものすごく豪快)を見ながら。


外乗の醍醐味、駆足

「さて、ここから駆足しましょうか!」

スタッフの声。私の前を行く2人の背が伸びる。

駆足、というのは馬の走り方のひとつ。キャンターとも言われる。音で表すと、『パカラッパカラッ』。伝わることを祈る。

競馬で馬が走るのは、襲歩。ギャロップとも言われる。あれよりちょっと遅いのが、駆足。ジョギング以上全力疾走以下、と言ったところだろうか。

私はこの走り方の馬に乗るのが好き。あの浮遊感や、馬の反動に自分の体を合わせることが楽しいのだ。馬との一体感を味わえる、と個人的に思う。

「では駆足行きます!」

スタッフの声と同時に、ほぼ全頭が走り出す。乗り手の指示なしに走るとは、なんと賢い馬なのか。群れで生きる動物の感覚を目の当たりにし、動物本能の素晴らしさを実感。

馬によって脚の速さは違い、速い馬もいれば、遅い馬もいる。馬の1歩だって馬それぞれ。大きさだって違うため、一列を維持し、速度を合わせるのは案外難しい。

速度に気を配りつつ、『ゆき』の動きと意思を邪魔しないよう。さまざまなことに気を遣りながらも、心地の良い駆足を満喫。反動が小さい馬もいれば、反動が大きい馬もいる。反動が大きいとそれに合わせないといけないため、それはそれで私自身楽しくもある。

馬たちの蹄の音を聴きながら数分間走る。自分が走るのでは味わえない風が頬を撫でる。車でも味わえない揺れを味わう。

馬に自分の意思を押し付けすぎるのもよろしくない。馬のやりたいことをさせ過ぎるのもよろしくない。うまく『協働』『意思疎通』する必要がある。

乗馬とは馬に乗る、と書くが、それ以上のものが求められる『馬と人のコミュニケーション』。

馬と自分を一体化させる。それこそ乗馬の醍醐味である。

「はい、止まりましょう!いい駆足でしたね!」

スタッフの声に速度を落とす馬たち。駆足から速足へ、そして並足。軽く首筋を叩き、いい走りだね、と『ゆき』に私は伝えた。


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