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視覚過敏とも生きていく

22回目です。φです。

 今日はなんというか、ひたすらに英語の勉強と読書してましたね。最高。私にとっての至福の過ごし方。家verではね。

 本当は外で走り回りたいし、動物もふりたいし、水遊びしたい。キャンプしたいし、ハイキングもしたい。

 自分ってインドアなのか、アウトドアなのか未だによく分かっていません(笑)

 しかしながら、私は昔から知る人ぞ知る「野生児」なので、アウトドア…?外は好き。曇りの日、雨の日、雪の日に限るけど。快晴とか無理…朽ち果てる。

 というのも、私は感覚過敏の中の「視覚過敏」もあるので、強靭な日光に負けてしまうのですよ。私の眼球弱い。弱すぎる。日光にくらい勝ちたかったー!サングラスしても私の目は眩しいと感じる。頑張ってよ眼球。
加えて、皮膚がホラー映画とかで地下鉄の下から出てくる人の肌の色にそっくり!とお褒め頂けるほどなので、日光にこっちも負けるんだよね。肌の色、確実に褒められていないね。しかしながら私自身も納得できるのが悔しい(笑)

 私の永遠の憧れ、テラコッタスキンを手に入れる日はくるのかなぁ…。
(日焼け止めせず半袖で外出すると、100%くらいで肌が赤くなって翌日皮がはがれるけどね!私の憧れはテラコッタ!)

 肌が白いと、すごく引きこもってる感あるし、健康的じゃない感じがするよね。ということで私自身は結構気に入らないけど、色白となぜか褒められます、時々地下鉄の誰かさんと言われるけど。

 残念ながら、高い気温にも負けるため…必然的に室内犬暮らしです私。外に出るときはサングラス+長袖+体温下げる効果のあるインナーな私。

 私は先天性無痛無汗症のため体温調整へたくそなんですよねぇ…そして体温上がったことを気づけないから、外で自爆して干からびてる。外出して数分で、私の干物、出来上がり!みたいな。熱中症は得意技です!自爆も得意技です!もう吹っ切れてます(笑)

 夏が近づくにつれて、機能不全やら難病やら障がいやらの宝庫である私は生き延びるために色々やっていかないといけないんですよね。面倒くさいけど(笑)

 そういうわけで、眩しくて目が開けていられないこともたくさんあります。それで、残念だなぁ、と私が感じることについて書いていきます。


サングラスは常備です

  春でも夏でも秋でも冬でも、眩しいものは眩しい!私は常にサングラスです。本音を言ってしまえば、室内でもつけたいくらい。

 どこの建物でも、めちゃくちゃ眩しい。蛍光灯やめてぇえ!という感じですね。そんなに光いる?と私は思うほど。学校とかも眩しかったなぁ…それで常に目を細めていたので、目つきが悪い人に思われていました(笑)
(実際私の目つき悪いかもしれないけど!道を歩くと絶対に人から避けられる。なぜ。説明してよ誰か。)

 私が幼少期育った環境は、間接照明の国だったので問題なかったようだけど。
文化比較で習ったのは、ものを見るとき、アジア人は光を欧米人よりも必要とするらしい。だからアジア系は暗い場所ではものがよく見えなくて、欧米系はわずかな光でも見えるらしい。

 割と薄暗い場所が多かったから無事にのびのび生きていたのだろうねちびっこ時代の私よ(笑)

 脱線したけど、眩しい場所ではとにかくサングラス頼りなのです私。

 ちょっと私の目は周りの目とは違うわけで、羨ましいなぁと思うことがある。それは、外に広がる綺麗な景色をそのまま見ることができないこと。

 例えば快晴の日の一面の花畑とか。海とか、川とか、空とか。

 そういった自然のものが一番輝いて見えるのは、すごく天気のいい日だよね。多くの人は天気が良いからよく映える、とか表現するから、そうなんでしょうね。一番綺麗な瞬間は、雲が多くなくて太陽があるとき。

 しかしながら、私は太陽が出ているとサングラスを掛けなければ光が直接目に入ってくるようで、見えない、というか目を開けられない。

 私は!目を!開けるぞ!という固い意志のもと自分の目をこじ開けると、真っ白というか、なんというか見えない。

 外の一番綺麗な景色を、私はサングラス越しにしか見えない。サングラスのレンズの色で、ちょっと染まってしまった景色しか見えない。それが少し悲しい。


カラフルなほど目が拒絶。

 さらに、色彩がありすぎる綺麗な景色だと、注意を分散することができないので極彩色が目に飛び込んでくる感じ。色があり過ぎて、長くは見ることができない。色が眼球に張り付いて、そのまま脳に入ってくる感じ?伝わるかなぁ。

 顔面ぶつけながらテレビ見てる感じ!鼻折れる!とか思いながらテレビ見てる時の色の飛び込み方、っていうと伝わるよね!伝われ!
(伝わらない方はどうぞテレビと顔面こんにちはしてみてください。多分分かるようになるから。多分)

 ある程度の暗さがあれば、色が多くても多少は脳が処理できるようで、本の少し長く注視することができる。けど、光+カラフルは本当に…ダブルパンチとダブルキックって感じ。
(書いてみたけど、私はそこまで壮大なバトルはしたことがないので想像です。想像上のダブルパンチとダブルキック。)

 花畑とか、色んな花が咲き誇っていてきれいなんだろうなぁ、っていつも思う。どうやって見えてるんだろう、他の人。といつも思う。

 小さな花の集合体、と捉えているのだろうか?

 文字で表現するって難しいけど、花畑(小花小花小花小花…)って感じ?
私は小花小花小花小花…って目に入ってくる。全部が詳細に見えてしまって、ひとつひとつがくっきり見えていて、度数の合わない眼鏡で見る感じ?ピントがすべてに当てられている感じ?とにかく、そういう処理が脳でなされていると私は感じる。

 写真で見ても、本物で見ても、私の目はどっちも「集合体」として認識できていないようで。モノクロだったら違うとは思うけどね。多少は。


視覚過敏の目

 前回は私の聴覚過敏について触れたけど、今回は視覚過敏について書いてみた。

 どっちもすごく日常生活をするだけで刺激が多くて、毎日戦場のよう!生きていくには目と耳が働いている人は、それを使って生きていかないといけない。でも、自分で目を閉じ続けたいほど、耳を閉ざしてしまい続けたいほど、刺激が私にとって強すぎる。感覚が「一般的」と表現できる人たちにとっては些細なもの、と知っていても、これはどうしようもない。私にはコントロールができない。

 しかしながら、感覚過敏を持つ人は人口で比較すると、明らかに「少数派」に当たるでしょ?

 私の主張を通すことは難しい。なぜなら「少数派」であり、他の大多数の人にとっては「些細なこと」なのだから。気にもしていない程度の刺激なんだと思う。

 なかなか少数派の意見は通らないものですよ。「私、眩しさを感じています!蛍光灯を消すか破壊しても宜しいでしょうか!」と言っても、多分私が「わがままな人」という認識をされて、周りからの圧で黙ることになるでしょう。私の想像だけどね。理解を示してくれる人もいるとは思うけど。

 「自分が過敏である」ということは理解していても、それで脳が「OK!ちょっと鈍感にしておく!」と空気読んでくれることはないし、変わることもないのです。
(そんな忖度できる脳がほしかった。売ってたら絶対私買う。)

 だから、周りに悪影響を与えず自分を守るための「室内でのサングラス」であったり、「しばらくの時間のアイマスク」だったりするわけです。
ここまで読んで、それでも「外せ」と感覚過敏の傾向のある人に対して言いますか?

 生きていくためのアイテムたちなんだよね、アイマスクとかサングラス。別におしゃれのためとかじゃない。

 感覚過敏の傾向を持たない人たちが、少しでも分かってくれたら嬉しいな。このnoteを読んで、「だからあの人はサングラス/アイマスクをつけていたんだ!」という気づきが誰かにあればいいな、と私は思っています。

 もっと理解したい!と思われた方は、ピントの合わない眼鏡で過ごしてみるか、瞳孔開く目薬を目に落としてから過ごしてみるかで、多分視覚過敏の世界は体験できると思うので、どうぞお楽しみください!運転だけはしないでね!事故っても私は知りません!自己責任でよろしくです(笑)

 

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