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ギャップを感じること。

721回目です。φです。

ちょっと話題になった記事などを読んでいると、「あ、そうなんだ。」と思うことが増えた気がします。最近それを感じたのはストレスか何かについてのもので、ストレスを感じて以下のことが起こったら、云々、みたいな。

それに書かれてあったのは、”信頼の置ける人、本音で話せる人、母親などに~”という解決策。ストレスを自分で抱え込み過ぎないようにね、みたいな内容。

そこで、「母親ってそうなんだ、へぇ。」となんだか壁を感じた。”一般的には”そんな存在なんだなぁ、すごいなぁ母親って。と。

私は昔、摂食障害で入院したことがあります。1か月間、学校を休んだ…だったような気がする。あれ、休みの期間中だったっけ。記憶力が悪すぎますね(笑)

その間、まぁ家族にも何かと面談みたいなものがあったらしく、母親と父親から「本当のことを言ってもいいから。自分の気持ちを話して。」と言われ、さらに手紙ももらった。当時の私は確か返事をしつつも、半信半疑だった。本当のことを言ったら、またいつかのように「あんな子ども誰が育てたんだ」と言われるんだろうなぁ、みたいに思っていました。

以前noteに書いたような書いてないような気がするこの件。母親の誤送信により、父親への私の愚痴メールが届いたわけですよ、私に。当時小学生で、携帯電話をもらったばっかりで、メールにまだ新鮮味を覚えていて、楽しんでいた頃。

母親からのメールに、何だろう、と思いながら開いた。見ると自分のことが書かれていて、長文で。さくっとまとめると上気した通り「あんな子ども誰が育てたんだ」みたいなこと。私が言った不満とかも詳しく書かれていたもの。私がそれを言ったとき、普通の態度だったのに、みたいにショックを受けた。

まぁそのとき辺りから”本音と建て前”のようなものを身に染みて理解したのだと思う。同時に毎回こうやって報告されているんだろうなぁ、みたいな。あれですね、大人の階段を登ったみたいな(笑)

それ以降は態度を変えないようにしつつも私はしゃべることが少なくなったし、いわゆる”無口”な子どもになった。不要なことを言っても、どう取られるか分からないし。「しゃべらなければいいんだ」、みたいに。まぁメールの件があるないにかかわらず、母親の態度は彼女自身の気分次第で変わったし、それで無視されたりすることはしょっちゅうだったんだけども。

それから数年後…確か2年もしない間に、母親から突如俗にいう”ブチ切れ”をされて、より一層母親に本音を話すことのリスクを考え始めるようになった、ような気がする。

ブチ切れ事件。彼女が事あるごとに私に言う「お母さんは〇〇だから~」ということに対して、まぁ私は肯定していたわけですよ。体型に関すること。で、私が検査結果を受けて、母親から「良かったね、ただのデブで!」と言われまして。まぁ当時はなかなかの体重でした、私。「分かってはいるけどそれはひどくない?」とぼそっと本音を言ったところ、「自分だって私に言ったじゃない!」とキレられまして…数週間無視される感じで大変でしたね当時。「え?いじめ?」という思う毎日がうっすら記憶にあります。

そんなこんなで、私は本音で母親と話したことはない。信頼の置ける人物と聞いて、母親を浮かべることもない。父親とはあまりしゃべらないし。父親から母親へ流れる情報ってめちゃくちゃあるし。私と話したことは、根掘り葉掘り聞きだすらしい。

毒親育ちって、色々な場面で「そうなんだ」という衝撃的なことに出会う。自分が当然で、それはすべての人に適応されているはずだと思っていた道が、全く違ったりする。家族についてのことで、私が「分かるー!」と思ったことは、割と読み終わると「毒親」「依存する親」などの文字があったりもする。

世界って広いんだなぁ、良いご家庭だなぁ、なんて思って笑う。それで済ませた方が、私にとっては心の整理になったりする。自分とは違う環境があるのは当然で、自分だけが悪い環境だったってわけじゃないし、自分が幸福だったというわけでもない。ただ違うだけ。憧れても妬んでも過去は変わらないし。「新しいことを学びました」で済ませること程楽なものはない。

じゃあ今から幸せな時間を自分で作っていこう。そう思えた方が、自分の冒険みたいで面白いじゃない。

人生いろいろあるけど、変えられるのは”これから”だけです。前を向いて、自分が好きだと思える場所に足を運ぼう。それが一番の解決策なんじゃないかな。

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