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苦手なことに出会うこと=自分への理解

824回目です。φです。

先日も「これは私にとって苦手なものだ!」に出会いました。年々出会っている気がするので、これは自己理解が深まっている、とみなしてよいのでしょうか。よいとします(笑)

私の苦手は”音”に由来することが本当にたくさんある。小さなことから結構大きなことまで。

話すことについては、人の声の高さや音量、トーン。これが苦手要素になっている。好きだなぁと思った動画や映画も、声次第では途中でストップせざるを得なかったり。

我慢できるできない、のレベルじゃないようで、これには少々私も辟易しています。プラカードがあったら、迷いもなくNoと書いたそれを叩きつけてしまいそう。話は聞きたい、けど聞けない。なんとももどかしいものです。

そして先日出会った苦手、は話すことについて。まぁ音も少しは関わってくるのだけども。

話の順番が整えられていないと、元から苦手な短期記憶がより一層混乱する。さっきの話に戻りまして、という流れになってしまうと、さっきの話を思い出すのにものすごーく時間が掛かったり。思い出せないこともしばしば。思い出せない方が多いかもしれない。

それにもはや慣れてしまった私は、「話を聴きながら改めて”それっぽい”理解をすればいいかな?」という雑なものになってしまう。話自体も全部聞き取れているわけではないので、頭の中にスッカスカのメモを残している、という風にも言い表せることでしょう。

そのスッカスカを埋めるために、大学やその他の講義系では”後で聞きに行く”という行為が必須になる。一応は「うまく聞き取れなくて」と言いながらね。

しかしながら、講義ではないものではそうはいかない。カジュアルな話とかで、話をいちいち確認していたら呆れられる。最悪、話を聴けと相手を怒らせることも。本人も話した内容覚えていなかったりすると、もう永久に闇の中です。

相手の声の癖や口調・よく使う単語を知っていないと、聞き取りは難しくなる。短期記憶は得意ではない。そんな日頃の状態に加え、話の話題が飛び交うものになると、あっという間に私の”苦手”を集約したものになってしまう。そしてこれはメンタルにもよろしくないようで、なんとも言えない負の感情を私は持て余す。

話すときは結論、理由、具体例、結論、にしてね。とはさすがに言えない。毎回議論しているのかってことになるし、話が理路整然としてないって言いたいのかと相手の気に障ることでしょう。

しかしながら、話はしっかり聞きたいという私の利己的な気持ちもある。なんとも難しいものですね。

話の順序、に私の苦手があるとは知りませんでした。まだまだ発見するものがありそうです。

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