Φ-Nonaka

JGバラードよろしく、今後のテクノロジカルランドスケープの変容、それに伴う人間の変容を…

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JGバラードよろしく、今後のテクノロジカルランドスケープの変容、それに伴う人間の変容を描きます

マガジン

  • テクノロジカルランドスケープの彼方から

  • 「自分語りしてみよう」の会です

    性指向とか恋愛観とか自分のことについて語ってみようかと。まあ僕が日記でやってることと大差ない。

最近の記事

Never Rarely Sometimes Always ~邦題と日本語圏~

注:当記事は、私の鑑賞した映画に関するもので、ネタバレマシマシでお送りするものです。ネタバレ回避をご希望の方は、鑑賞後にお読みになられることをお勧めします。映画館でも上映中ですし、英語版ならDVDも既に出ているようです。 映画館を出て一度然るべき絶望を味わい、その後二度、無いに越したことはない絶望を味わった。『Never Rarely Sometimes Always(邦題:17歳の瞳に映る世界)』を観た後のことだ。映画自体は素晴らしいものだった。余白、残余が多分に含まれて

    • (私的?)ラジオの現在地

      ラジオ。みなさんとラジオの関りは是非とも知りたいところ。今回は僕が自分とラジオとの関りについて考える中で、ラジオの復権が起こっているのではないか、という仮定を立てた、という話。僕がそうした仮定を立てるに至った要因を分析する過程で、我々の身の回りの生活と技術の関係性の変容、テクノロジカルランドスケープの変容についての視点を提供することができればと思い、筆を執った。 ただし、繰り返しになるが、あくまで私的なラジオとの関りから出発したものであるし、あくまで仮定にすぎない。データ的

      • 一旦飽きてしまった

        (はじめに、毎度のことだが、以下の内容を読んで、不快に感じたら、このページを離れるか、このタブを閉じることを推奨する。無理に読み進めるのは精神衛生上よろしくない。もっとも不快な思いをしたいんですという奇特な人は構わないけれど) 3月下旬から5月中ごろまで(注:執筆時は6月下旬)というもの、これほど自由に過ごせた時期も最近ないのではないかというぐらい、自由に過ごした気がする。羽休めというか荷を下ろして、落ち着いて今後何をすべきかを考えられた。もっとも考えた結果、かえって迷走を

        • 崖を上ってきたかのような

          (この記事は「自分語りをしてみよう」の会です、というマガジンの五本目、五回目だ。三日坊主で風呂敷をたくさん広げる、というかたくさんの風呂敷を用もないのに畳の上に広げまくって散らかす僕にしてはよく続いた方だなと。あとどのくらいの回数、どれくらいの頻度で続くか自分自身見物だと思っている。) 前回の「娘であり女でないということ」では議論が乱暴すぎたと反省している。とりわけ母のことについては。勿論、きちんと思うところがあって批判している部分もあるのだが、それを他人に伝える上では二つ

        Never Rarely Sometimes Always ~邦題と日本語圏~

        マガジン

        • テクノロジカルランドスケープの彼方から
          3本
        • 「自分語りしてみよう」の会です
          6本

        記事

          娘であり女でないということ

          (#母娘関係のタグ貼ったはいいが、だいぶイレギュラーな話になったな) 今年度の前半、4月から9月ぐらいまで、とても辛い時期を過ごした。ただ今年の中では一番辛かったとか、人生の中で二番目に辛かったとか、そういう話はしたくない。今まで辛いことは様々あったが、どれも質の違うものだったし、今まであった辛いこと同士を比較することで、辛かったことのうちのいくつかをなかったことにしたくない。比較する以外で何か述べるとしたら、連日眠くなるまでお酒を飲み続けるようになるぐらいには辛かった。

          娘であり女でないということ

          攻撃性という切り口で

           嫌なことが二つあった。一つはtwitterのTLを見ていた時のこと。引用リツイートが流れてきて好奇心から引用されているアカウントをのぞいてみた。男性の裏垢で何人かの女性と約束してセックスし、女性の同意の上でその模様を撮影し、身バレしないように加工してあげていた。本人曰くSMプレイをしていて、その動機は「自分がSだからというよりは女性に喜んでもらいたいから」だという。一方で女性が喜ぶ様子を見て「征服欲が満たされる」とも書いていた。要は「性行為で女性を喜ばせるというロールプレイ

          攻撃性という切り口で

          先がない(のかもしれない)

          明確に気づいたのは去年だった。自分が終わった恋愛を人より引きずるタイプだと。終わった恋愛を引きずるのは去年に始まったことではない。今まではみんな自分と同じぐらい引きずるものだと思っていたのだ。 きっかけは友人に悩みを打ち明けたことだった。悩みというのは僕は以前から日記をつけていたのだが一時日記の文面が同じ所をグルグル回っていたことだった。気づいたら以前付き合っていた人との印象深いいくつかの思い出をローテーションさせて何度も繰り返し思い出しては書いていたのだ。 さす

          先がない(のかもしれない)

          実は過程が違う

          《下ネタ入っているので不快に感じたら無理をせずページを離れてね》(大した下ネタじゃねえじゃねえか、みたいなツッコミはやめてね。下ネタ垂れ流すためにこれ書いたわけじゃなくて、あくまで下ネタは手段だから) 先日、高校時代の部活の集まりで、恩師に自分のtwitterでのつぶやきについて「真面目だな。真面目なことつぶやいてんな」と言われた。僕は当初否定的なニュアンスだと思って「ごめんなさいね。真面目なツイートばかりで」と言ったのだが、どうも誤解だということがわかった。「真面目にマジ

          実は過程が違う

          白塊

          緩い上り坂が終わって、下り坂に差し掛かった。坂の下は平地になっていて、いくつか屋根が見える。どれも少々枯葉をかぶっていて、雨樋が詰まっていた。屋根の群れは少し先で切れていて、平地の向こうの端では、青白い塊がドーム状に盛り上がっている。  遠山から聞いた通りの場所にあの塊は位置していた。ただ予想より少々大きい。ここに来るまでの間に更に大きくなったようだ。  風が冷たい。乾燥していて指の先がぱっくりと割れそうだ。  はじめ景観を損ねていたかに見えた塊は案外調和を取り、こちら

          現代バラード概論 第一回 恐怖と狂気

          JGバラードの世界観を基に、今後のSFの在り方、作り手/読み手の在り方を考察しようという現代バラード概論のコーナー。大いなるバラードの世界の片鱗に触れていただけたら幸いです。 『クラッシュ』は、「極端な状況における極端なメタファー、極端な危機の折にのみ利用される自暴自棄な手引書なのだ。」 JGバラードは『クラッシュ』の序文でこう記している。『クラッシュ』では、主人公のバラードが、交通事故を起こした後、自動車事故に倒錯した性的快楽を見出す男ヴォーンにつきまとわれる。バラード

          現代バラード概論 第一回 恐怖と狂気

          稚拙な過去が役立つとき

          Ingressの進化形としてのポケモンgoが大流行を目にしながら、両者が同列に扱われることに対して、大きな違和感を抱いていた。確かに両者のプレイスタイルは酷似している。スマホ片手に外に出ていくのだ。しかし、両者はその設定や物語の強度――ここでは解釈の余地がどれだけあるか、を指す――において全く異質なものだ。すなわち、Ingressの設定・物語には一定の強度が存在するが、ポケモンgoには全くと言っていいほどそれがない。従来の主たるポケモンゲームが、冒険し、ポケモンを捕まえ、ポケ

          稚拙な過去が役立つとき

          technology orchestra-1

           突然の砲声に驚いて身をかがめた。目をやると、官舎の上部が二つに割れていた。目線を外さずに、立ち上がった時にはすべてを悟っていて、落ち着きを取り戻していた。驚く必要などないのだ。丘の下に並ぶ彼らは自らの演奏を中断し、楽器を置いた。しばらくの間、彼らは何が起こったのかわからなかったようで、官舎の崩壊を呆然と眺めていたが、やがて、一斉に――ロートを伝ってビーカーに落ちる水のように――走り出した。バーナードに抗議しに行こうというわけだ。 「全く、何もわかっていないんだな。あいつら

          technology orchestra-1