利潤率の低下は資本主義の崩壊を意味するか

意味を見出す過程、すなわち仕事をなす過程とは寄り添う過程であって格差を縮小する。一方、意味を与える過程はヒートポンプの過程、すなわち“差別”化を図る過程であって格差を拡大する。

ドイツ国民であるとか、ユダヤ人であるとか、そういったレッテルを貼るのである。組織的に。

権威主義においてはどこをとっても同じであって状態数が1、すなわちエントロピーが0の結晶構造である。劈開に沿って容易に割れる状態、つまり異方性のある状態である。

第一次世界大戦による多額の賠償金といったように良くも悪くも変えられない環境、つまり安定した環境に直面した存在は振り分けているエネルギーを削減するために「可能性の探求という自由」からの逃走をなすのである。

利潤率の低下は階級の定義からの必然であるが、それ自体は本来、環境が安定したことしか意味しないはずである。にも関わらずマルクスがそれを不安定化の根拠とする背後にはこうしたカラクリが潜んでいるのである。

これはケインズにも言えることであるが、状態数が多ければ、どれかしらの産業が生き残って他を牽引することが可能なのである。だからこそGDPを増加させるように介入する必要があるのである。

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