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感情を育てる。

やほまる☻ あっきーです。




感情は突然やってくる。
そんな直感的なものだと思っている。




映画を観て、
ああ。彼は彼女を失ったから悲しいんだ。
それを見て僕も悲しいんだな…。
悲しいなぁ。

なんて手順は踏まない。




子供が道路で遊んでいて、
微笑ましいなと思うその感情も
その情景が自然と抱かせてくれるものだ。



話を聞いて、



モノを見て、



気づけば感情は、既に僕の中に生まれているのである。






ここ最近で、
感情は育てるものだと思うようになった。


感情が僕の中に生まれた時、僕はその感情について考えるようになったのである。


何かに繋げようと考えるようになったのである。





先に述べた通り、
感情は気づいた時には既に自分の中に生まれている。

能動的なプロセスを経由せず、
半ば強制的に得た物
であるはずなのに、
人は感情を得たこと自体に満足してしまう。


僕はそれを許さないことにした。




ある日、友人はこう言った。

「小説を読むと、この人はこういうことでこんな気持ちになるんだってわかることが面白いね。」



ああ、だから彼女は人の気持ちがわかる人なんだなと思った。



小説を読むという経験から、『面白かった』や『悲しかった』という感想だけでなく、

己の感受性の拡張に繋げているのである。


こんな風に、芽生えた感情を何かに繋げられるようになりたい。




さて、

僕が感情の中で最も重要視しているものは
すごい』という感情だ。


すごい』という感情は分かり易い。

まさに、自分に足りないものを目の当たりにしたときに生まれるからである。



これまでの僕は、
輝く人を『すごい』と認識し
美術展の展示品が如く捉えていた。



なぜなのか。
なぜ、これまでの僕は、
輝く人になりたいと思わなかったのだろうか。
近づこうと思わなかったのだろうか。



輝く人に憧れや好意を抱く一方で、
自分自身は見る側で満足していたのである。
『すごい』という心を揺さぶられる感情を得て、それだけで満足していたのである。



自分の力でもないのに…。




それに気づいた僕は、
もう許さないことにしたのだ。




この先、僕が好意を抱くであろう友人も同僚も
その人たちは輝いているだろう。

そのとき、
僕も同じように、相手に『すごい』と思って貰える何かを持っていたいと決意する。




だから今から感情を育てるのだ。



『すごい』という感情から、「真似できるかな?無理かな?でも、僕ならこれができる。やってみよう。」というところまで持っていく。








話を聞いて、
モノを見て、
感情は自然と生まれる。

感情のない人生など、想像するに耐え難い。

だからこそ人は、
映画、本、絵画、他者との交流、趣味…。
そんな感情の源泉に、心惹かれるのだろう。


芽生えた感情を育てる。
そして、何かに繋げる。


今度は僕が。
今度こそ僕が、周りに良い感情を与えられるような人間になるのだ。


僕はそんな人間になりたいのである。

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