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格好悪く足掻いている君へ

二〇二一年 十一月二十二日
拝啓
 ある一つの本を読み終えたので、まずは君に手紙を書こうと思った。僕はいま、京都にいる。今の生活は僕にとって退屈であり、嫌気が差している。教授の機嫌は七色に変化し、息子さんが好きな「すみっこぐらし」のチョコエッグを賄賂になんとか機嫌を取ったりする。僕はよくできた人間であるから、教授にはぺこぺこするのも慣れているのだ。後輩はというと、それはそれは僕を頼りきりである。何度も言うが、僕はよくできた人間だからである。「秋山さんは怖い。」なんて噂が耳に入ることもあるが、僕は依然として僕を貫くのである。(実はとても気にしていて、なんでもない時に後輩たちにピノを分け与えていることはここだけの秘密である。)
 そんな立ち位置で研究などという終わりもないことに延々と取り組んでいるわけだが、この生活が退屈なのは僕のせいなのである。嫌気が差しているのは僕に対してなのである。
 僕ほどではないが、君は昔からよくできた人間であった。ある程度の聡明さとある程度の阿呆さ、ある程度の運動神経を持ち合わせていた。それ故に、少しだけ傲慢さが顔を出していたぞ。俗に言う「客観的視点」から逃げてきた君には理解できないかもしれんが。そんな君も、もしかしたら退屈な生活と闘っていて、なんとか足掻こうとしているかもしれないと啓示があったので、この本を読み終えた次いでにと、この度は筆をとった次第である。あくまで君のためを思ってのことであり、僕のためではない。僕はそんな暇ではない。

 秋の虫が知らせてくれたことであるが、君は最近“備忘録”なるものを書いているそうだな。気持ちを言語化したいとは、如何にも君らしさが溢れている。なんとも可愛くない君らしさである。ただ、気をつけ給え。君が良かればと考えているその行為に、その行為に満足してはいけない。

何編も何編も恋文を書いては破き、書いては破いているうちに、俺は文章というものが何なのか分からなくなってきました。「文章を書く」という行為には、たくさんの罠がひそんでいる。俺たちは自分の想いを伝えるために文章を書くというように言われます。だがしかし、そこに現れた文字の並びは、本当に俺の想いなのか?そんなことを、誰がどうやって保証するのか。書いた当人だって保証ができるかどうか分からない。自分の書いた文章に騙されているだけかもしれない。じいっと考えては書き考えては書きしていると、不思議でならなくなってくるのです。自分の想いを文章に託しているのか、それとも書いた文章によって想いを捏造しているのか。 
そうなると自分が、「恋心」を文章で捏造する行為に夢中になってるだけではないかと思われてくるのです。

P.190


 そんな事はないと君は言うだろう。君の言葉は君の言葉であると信じて疑わないだろう。しかし、文通武者修行をやり遂げた守田一郎は、手紙を書けば書くほど「文章を書く」ことが広げる壮大な泥濘みに足が捕らわれるのであった。
 それではどうしろと言うのだ!と卑屈になって怒りを向けてくる君が容易に想像出来てしまうので、守田一郎直伝の恋文の技術を教えてやろう。

   一、大言壮語しないこと。
   一、卑屈にならぬこと。
   一、かたくならないこと。
   一、阿呆を暴露しないこと。
   一、賢い不利をしないこと。
   一、おっぱいにこだわらないこと。
   一、詩人を気取らないこと。
   一、褒めすぎないこと。
   一、恋文を書こうとしないこと。

p.254-255


 なんだ急におっぱいとは。おっぱいとはなんだ。と君は言う。しかし、それは重要ではない。重要であるが重要ではない。現に、作中にはおっぱいという言葉が百と八回も出てくる手紙もあるけども。(これはおっぱいの恐ろしさも学べる良い作品である。)

僕はたくさん手紙を書き、ずいぶん考察を重ねた。
どういう手紙が良い手紙か。
そうして、風船に結ばれて空に浮かぶ手紙こそ、究極の手紙だと思うようになりました。伝えなければいけない用件なんか何も書いてない。ただなんとなく、相手とつながりたがってる言葉だけが、ポツンと空に浮かんでる。この世で一番美しい手紙というのは、そういうものではなかろうかと考えたのです。

p.337

 あまりにも応用がすぎるので、僕には実践できそうにない高等技術である。しかし、なんだかこれまでの引用文の流れを見て「言語化とは如何なるか」を感じた気がしたのだ。これまでの君の備忘録を読んではいないが、それがある程度素晴らしい文章であることは僕が保証しよう。なんせ、僕はよくできた人間であるから、それくらいのことはわかるのである。しかし、備忘録を残すという行為が日常と化したとき、いつしか無理に言葉を生み出してしまうことはやめて欲しいと思う。ただ、備忘録を残すことをやめないでほしい。「矛盾だ矛盾だ!」と君は言う。今回ばかりは、よくできた人間である僕も負けを認めよう。矛盾である。しかし、そういうことなのである。

 ここ一ヶ月、君は様々な人物と会って話をしただろう。(なぜ君の行動が僕に筒抜けであるかは、アリストテレスでさえ解明できぬ。だから、おっぱいのことを考えるのもよした方がいい。君のためである。)君が起こした行動全てに理由を求める必要はない。君の行動は間違ってはいないが、些か無理がすぎる。義務を持ってこじつけて得た答えは、決して使い物にならないことを今の時点で知っておくべきである。僕は、こんな真似をしてまでそれを伝えたかった。

今回の死闘と、このお話から何が分かるか。 教訓を求めるな、ということです。 教訓を得ることもできない阿呆な話が人生には充ち満ちているということです。

p.164

 ただ、君の一番の理解者は僕である。よくできた人間である僕は、いま君の格好の悪さを認めている。格好悪く足掻くのは、成長を目指す者の特権である。僕は君を笑いはしないし、道を踏み外しそうなときは頼るといい。それでは、お返事お待ちしております。
敬具

                  よくできた人間

格好悪く足掻いている君へ

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