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フリーランスとは「わたしの一部貸し」な気がする

2023.12.25

さて、日本から帰ってきて一か月と少し。
ここに戻ってくることの方が安心するようになった。
まあ、日本には自分だけの家がないので、「独り」になれる場所がないからだろうな。
つくづく私は人と生活することが難しいと感じさせられる。
もちろん100人いれば1人や2人くらいは少し変わった人がいるんだと思うけど。

12月の生活

友人の誘いで、新しい仕事に関わらせてもらった。
初めましても得意ではないし、二度目ましてもまた別の意味で得意ではないけど、
「私のことを分かりきった(と私は勝手に思っている)人が近くにいるならいいか」と足を踏み入れてみたら、これが案外とても楽しくて良かった。
仕事の内容は多分ここには書かないけど、そういえば世の中の仕事って「結果」と「成果」だけではないんだよなと思い出させてもらった。
大学を出て7年間、ずっとたくさんの子どもたちの中にいて、見えないものをたくさん伝えて来たというのに、この1年半少しでその気持ちをすっかりどこかに落として来てしまったらしい。
結果も成果もなければお金にならないのは分かっているけど、それでも楽しく続けられる仕事があればいいのになと毎日のように考える。

やっぱり組織に向いてないな

この仕事を楽しかったと思えたのは、部分的に「この仕事」のみに関われたからだろうと思う。
私は企業には属していないので企画やチームの立ち上げからは関わっておらず、部分的に相手の需要と私の供給がたまたまマッチし、仕事を引き受けたという感じ。言わば美味しい所取りのようなもの。
何か仕事をするために一つの企業に入って、誰かの下で働いて、もしくは誰かを動かして、評価されて、という形がそもそも私には合っていないというのは何年も前から気付いているけど、
やっぱり今回も、もし私の仕事の幅がもう少し広かったら、多分簡単に心が折れていたかもしれないと思う。

企業の理念には多分一部にしか共感できないだろうから、共感できたこと以外の仕事は出来ない(やる気がなくなる)。
上司と馬が合わないと仕事に行きたくなくなる。
評価の基準がよく分からない。楽しくない仕事で評価されても嬉しくない。社内だけでしか通用しない評価に興味がない。何なら私も会社を評価し返してやりたい。
分野関係なく、チャレンジできそうなことや楽しそうなことなら何でもやりたい。企業だとある程度分野は絞られるのが好きじゃない。

つまり私は、自分の好きなことだけを好きなだけやりたい。
やりたいことはずっとやりたいし、やりたくないことには目も向けたくない。
ただただ私のわがままを通したいだけ。
でもそれでいいじゃないかと、最近は開き直っている。
それがフリーランス(ですか?)。

だから、どこかの企業の顔として、会社を背負っていることを誇りに思うフリをしながら働くのではなく(一生懸命働いている人、会社自体に愛着のある人、ごめんなさい)、共感した部分にだけ、私を一部貸すような形で一緒に仕事をしていくというのはどうだろうか。

それで言うと、Podcastは楽しいかも

最近本当にノリだけで始めた一人喋りが結構楽しい。
これぞ成果も結果も関係なく、私がただやりたいと思ってずっとやりそうなこと。
それでも結構予想外に色々な人のお耳のお供になっているらしく(一応数字だけは見てます)、これまたびっくり。ありがとうございます。
今後も引き続き適当にうるさく喋りますが、まだまだネタにしたいことはたくさんあるので好きな時に聴いてください。
いい加減にそろそろちゃんとタイトルを決めたいです。

さて、それで何をしていこう

いま自分がやってるのは
・動画編集
・シナリオ制作
・日⇔中翻訳(まれに通訳ですが苦手です)
・中国語を使った何か
・ひとり喋り
ーーー
これから出来たら嬉しいこと
・翻訳はやっていきたいかも
・長尺より短尺のシナリオ制作
・ひとり喋りを続ける
・少し遠い位置(現場以外)から子どもに携われたらいいな

本当に何でも屋さんですね私は。
2024年も楽しく過ごせますように。

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