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エッセイ | 明石家さんま 「オチを探す🔎」

 書きたいことを書きたいように書く。それが理想なんだよな、と思いながら書く。といっても、書いたことが相手に通じないようでは書いても意味がない。だから、話の構成を考える。
 書きたいことの構成が決まる。言いたいことは書き尽くした。これで、完了。投稿できる。

 一応、もう一度、自分の書いたものを読み直す。どうやら言いたいことは伝わるだろう。だがここで「分かるけど、オチがないなあ。書きかたを少し変えて、オチを考えねば。伝えたい内容は同じでも、面白いほうがいいだろう」と下手なアタマを使い始める。


 昔、明石家さんまさんのギャグで、「オチを探す🔎」というのがあったと思う。
 人の話を熱心に聞いたあとで、その話に「オチ」がないと、テーブルの上とか、床の上を手探りして「あれっ、ないなぁ」「オチがないなぁ」みたいな。


 noteに記事を書く場合、別に笑えるような「オチ」は必ずしも必要だとは思わないが、「で、結局、なにが言いたいんだろう?」という気持ちにさせるのは良くないかなぁ、と。

 わけの分からないことをグダグダ書くのも楽しいが、一応の「オチ」というか、「結論」があったほうがいいかもね、と。

 起承転結という言葉がある。短い記事ならば、「転」はいらない。しかし、「結🍑」はあったほうがいいかなぁ。


PS

で、で、で、😊、
この記事の「オチ」をつけるとしたら✨、こんなのはどうだろう?💫
「さんまつながり」ということで😊。



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