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短編小説 | 慈雨

 昭和○○年のある初夏の頃、こんなことがあった。


 買い物を済ませた帰宅途中、大雨が降りだした。遠くで雷鳴が響いていたが、ここにこんなにも早く雨が降るとは思っていなかった。
 あっという間に、まるで川が氾濫したかのような深さになった。

 なんとか無事に家にたどり着くことができた。ぐっしょりと濡れた衣類を脱ぎ、シャワーを浴び、新しい服に着替えた。そのときやっと、気持ちが落ち着いてきた。

 気持ちが落ち着いたら、お腹がすいていたことを思い出した。今日は夫は出張で帰って来ない。凝った食事を用意する必要はない。私は買ってきたウィンナーを焼き、ケチャップとマスタードをテキトーに付けた。ビールを飲みながら、ウィンナーを食べ始めた。

ピンポーン。

 呼び鈴が鳴った。こんな雨の降る中、一体誰だろう?

「すみません。急な雨で思いきり濡れてしまいました」

 玄関を開けると、美少年が立っていた。

「すみません。少しの間、雨宿りをさせていただけないでしょうか?」

 非常事態だから、少年をすぐに家の中へ入らせてあげたかったが、私はこう言った。

「たいへんですね。しかし、今、家の中は私1人です。女1人の家の中に、男性を入らせるわけにもいきません。ごめんなさいね」

「そこを何とか。家の中まで入るつもりはありません。玄関で構いません。少しここにいてもよろしいでしょうか?」

 私は躊躇した。しかし、この少年からは何の邪気を感じなかった。濡れた服を着替えさせ、雨がやむまで、家の中で休んでもらってもいいだろう。こんな大雨の中、1人困っている少年を外へ放り出すのは気の毒に思えた。

「そんなことはおっしゃらず、中へどうぞ」

「ありがとうございます。本当にすみません」


 少年に風呂に入ってもらった。

「着替えはここに置いておきますね」

さいわい主人と同じ体格だったから、着替えてもらった。

「何から何まで、感謝に堪えません」


 雨は降り続いた。やむ気配がない。

「あなたはここらへんにお住まいですか?」

「いえ、今日は遠出していたのです。とくに目的があって歩いていたわけではありません」

「そうですか?親御さんに連絡しましょうか?」

「いえ、両親は僕が幼い頃に亡くなりました。兄弟もいません」

「あら、それはお気の毒ね。あなたには身寄りがいないのね」

「はい。高校へも行っていません。中卒で働き始めました。最近、いろいろと嫌になって、1人旅をしているのです」

「ご苦労されているんですね。今日はたまたま主人は出張していて、寝る場所も空いていますから、よろしかったら、泊まっていきませんか?雨はおそらく明日の朝にはやんでいるでしょうし。あなたの服は、アイロンでもかけて、朝までには乾かしておきますよ」

 自分自身、少年とはいえ、見知らぬ男と同じ屋根の下、一夜を過ごすことは、脇が甘いと思った。しかし、少年の目を見ていたら、自然と慈愛の気持ちがあふれたのである。


「じゃあ、お休みなさい。私はとなりの部屋に寝ます。なにかお困りのことがあったら、起こしてくださって結構です」

「どうもありがとうございます」

「じゃあそろそろ電気を消しますね」


 消灯してから数時間後、私は不意に目が覚めた。相変わらず雨が降り注いでいる。隣りの部屋の少年はどうしているかしら。

 そっと戸を開けて、少年の部屋を覗き込んだ。ぐっすり眠っていた。私はそっと近づき、布団をかけ直した。豆電球1つが、少年の顔を照らしている。間近で見ると、実に美しい顔立ちをしている。私は思わず、少年の口唇に私の口唇を重ねた。こういう息子が私にもいたらよかったのに。

「あぁ、柔らかい口唇ですね」
少年が言った。

「ごめんなさい。つい…。本当にごめんなさい」

「いえ、とても嬉しいです。あなたのことは初めて見たときから、他人とは思えなかったのです」

 気がついたときには、私は少年の胸の中にあった。私たち二人は夜明けまで愛し合った。


「本当にお世話になりました」

 明くる日、嘘のように雨がやんだ。私は名残惜しい気持ちを抱えながら、少年を見送った。おそらくもう二度と彼と会うことはないだろう。


 夜になった。夫が帰ってきた。私は何事もなかったように夫を出迎えた。

「お疲れ様です」

「あぁ、ホントに疲れた。出張して、君のありがたさが身に沁みたよ」

 その夜の夫は、いつになく激しく私を抱き締めた。私は乗り気ではなかったが、二晩つづけて男と結ばれることになった。


 それから一頻りの時が過ぎた頃、生理がとまった。もしかしたら、と思い病院に行くと、やはりそうだった。
 今までずっと望んでもできなかった命が私の腹に宿ったのだ。しかし、産んでよいのだろうか?
 迷っているうちに、お腹の命はあっという間に大きくなっていった。もう引き返すことはできない。


 あの雨の日からおよそ10ヶ月経ったとき、私は男の子を出産した。
 その顔は、あの日の美少年の生き写しだった。


(1996字)

おしまい


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