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エッセイ | 読書の終わりってあるのかなぁ?



 1冊の本を読み終えるとは、いったいどのような状態を指すのだろうか?

 最初から最後のページに目を通せば、一般的にはその本を読んだと言われる。しかし、その中身をちゃんと理解しないまま読んだ気になっているだけかもしれない。

 古典とか不朽の名作と呼ばれる作品は、いい意味で曖昧なものが含まれている。きちんと読んだつもりでも、あとになってから読むと、最初に読んだ時の感想とは異なることがある。というかむしろ、二読、三読するうちに、思わぬ発見や読み手の気持ちが変化するからこそ、名作は名作と呼ばれるのだろうとすら思う。

 曖昧なものを含むものが名作だと書いたが、ここでいう曖昧とは、分かりにくいという意味ではない。理路整然と書かれているにもかかわらず、読み手の成長や時代の推移とともにテキストから読み取れることが変化していくという意味で曖昧なのだ。


 ところで、読み方が時とともに変化していくのは、誤読するからだろうか?思うに、普通に生きてるだけでも経験値は上がるからだろう。読解力が上がるからだとは思わない。感情の機微が理解できるようになるからだと思う。

 国語の試験では、文章に書かれていること以外のことを根拠に答えたら誤読になるが、試験を離れれば、自分の人生を投影しながら読むのが普通だろう。それを以て誤読ということには抵抗感がある。

 作者の意図通りに読むことが正確な読み方だろうか?作者の意図した通りに読んで何も新たな発見がないよりも、作者の意図から外れるという意味で誤読だったとしても、創作意欲を刺激されたり、新たなものを生み出す原動力になるのなら、積極的に誤読した方がいいように思う。どうだろう?
 マルクスはアダム・スミスを誤読して新たな思想をもった。レーニンはマルクスを誤読して新たな思想をもった。

 その思想が正しいか、正しくないかということはさておき、誤読により新たな思想や考えが生まれるというのは真実だと思う。

 なんのはなしですか?

 なんの話をしていたんだっけ?



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