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緒真坂「アラフォー女子の厄災」を読む(読書感想文)

今年になって、再読してみた。
昨年読んだときは「あとがき」を一番先に読んだのだが、今回はページ通りに読んでみた。

この本には三編の小説がおさめられている。
「ささやかな償い」
「アラフォー女子の厄災」
「別れの季節は三月だけとは限らない」

 表題作が「アラフォー」だから、「アラフォー」について書くのがいいのかもしれない。
 しかし、「アラフォー女子の厄災」は私には感想が書きにくい。
 というのは、連作短編小説のようになっていて、単独でひとつひとつ読めるけれど、相互に結びついている話だからひとつだけ取り出して感想を書くとバランスがよくないからだ。
 というわけで、今回の記事では「別れの季節は三月だけとは限らない」の感想文を書くことにしたい。

「別れの季節は三月だけとは限らない」は、主人公のモノローグで始まり、モノローグで終わる。
 物語の中心は2つのモノローグの間にある。ある高校で起きた「事件」を主人公が謎解きする。事件そのものは学校でないと起こらないような事件だが、似たようなことは、会社でも起こりそうである。
 おっと。これ以上は書けません。読んでみてのお楽しみ(😃)/💕

 あとは、超個人的なおはなしです。

 私は小学生🎒のとき、2回転校を経験している。1度目は小学1年生の夏休み前。2度目は小学5年生の11月のとき。
 今回3つの短編の中で「別れの季節は三月だけとは限らない」を選んだのも、タイトルが私の実感にあっていたからである。
 私の場合は「別れ」というと転校の記憶が真っ先に脳裏に浮かぶけれども、この本の主人公のように、ある程度年を重ねれば、三月以外の別れも何度か経験していることだろう。
 それは、人事異動かもしれないし、失恋かもしれない。多かれ少なかれ、誰もが経験することだと思う。だから、感情移入しやすい物語だと思う。

 もうひとつ思ったこと。
それは「別れの季節は三月とは限らない」という短編とこの本の「あとがき」が、ひとつの作品のようにつながっているかのように感じられたこと。
 作品それ自体とあとがきは、別個のものなのだが、最後の短編とあとがきの言葉がシンクロしているように思えた。いずれも同じくらいの熱量を感じた。
 こういう読み方はいけないのかもしれない。けれども、同じ作者の作品を数冊読んでみると、心のなかで作者と握手したかのように思えることがあるものだ。こういう気持ちになったのは、サマセット・モーム、ドストエフスキー以来のことかもしれない。

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