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アダムスミスの世界④ | an invisible hand (見えざる手)について


(1)
国富論で「見えざる手」が登場する文脈


 アダムスミスと言えば「(神の)見えざる手」(an invisible hand)という言葉が有名である。
 しかし、「見えざる手」という表現が用いられているのは、国富論の中でたった一度だけである。
 まず最初に、どのような文脈で登場する言葉なのか確認しておこう。
 「an invisible hand」という言葉が登場するのは、国富論の「第4篇 経済学の諸体系について、第2章 国内でも生産できる財貨を外国から輸入することにたいする制限について」である。


⚠️日本語訳は、
アダム・スミス( 大河内一男[監訳] )『国富論 Ⅱ』(中公文庫)、pp.119-122、
英語原文は、
"An Inquiry Into the Nature and Causes of the Wealth of Nations, volume Ⅰ,"(the Glasgow Edition), pp.455-456を用いる。

⚠️読みやすさを考慮して、適宜改行する。


第4篇 経済学の諸体系について
第2章 
国内でも生産できる財貨を外国から輸入することにたいする制限について


 ところが、すべてどの社会も、年々の収入は、その社会の勤労活動の年々の全生産物の交換価値と、つねに正確に等しい、いやむしろ、この交換価値とまさに同一物なのである。

But the annual revenue of every society is always precisely equal to the exchangeable value of the whole annual produce of its industry, or rather is precisely the same thing with that exchangeable value. 

 それゆえ、各個人は、かれの資本を自国内の勤労活動の維持に用い、かつその勤労活動をば、生産物が最大の価値をもつような方向にもってゆこうとできるだけ努力するから、だれもが必然的に、社会の年々の収入をできるだけ大きくしようと骨を折ることになるわけなのである。

As every individual, therefore, endeavours as much as he can both to employ his capital in the support of domestick(ママ) industry, and so to direct that industry that its produce may be of the greatest value; every individual necessarily labours to render the annual revenue of the society as great as he can. 

 もちろん、かれは、普通、社会公共の利益を増進しようなどと意図しているわけでもないし、また、自分が社会の利益をどれだけ増進しているのかも知っているわけではない

He generally, indeed, neither intends to promote the publick(ママ) interest, nor knows how much he is promoting it. 

 外国の産業よりも国内の産業を維持するのは、ただ自分自身の安全を思ってのことである。そして、生産物が最大の価値をもつように産業を運営するのは、自分自身の利得のためなのである。

By preferring the support of domestick to that of foreign industry, he intends only his own security; and by directing that industry in such a manner as its produce may be of the greatest value, he intends only his gain, 

 だが、こうすることによって、かれは、他の多くの場合と同じく、この場合にも、見えざる手に導かれて、自分では意図してもいなかった一目的を促進することになる。

and he is in this, as in many other cases, led by an invisible hand to promote an end which was no part of his intention. 

 かれがこの目的をまったく意図していなかったということは、その社会にとって、かれがこれを意図していた場合に比べて、かならずしも悪いことではない。社会の利益を増進しようと思い込んでいる場合よりも、自分自身の利益を追求するほうが、はるかに有効に社会の利益を増進することがしばしばある。

Nor is it always the worse for the society that it was no part of it. By pursuing his own interest he frequently promotes that of the society more effectually than when he really intends to promote it. 

 社会のためにやるのだと称して商売をしている徒輩が、社会の福祉を真に増進したというような話は、いまだかつて聞いたことがない。もっとも、こうしたもったいぶった態度は、商人のあいだでは通例あまり見られないから、かれらを説得して、それをやめさせるのは、べつに骨の折れることではない。

I have never known much good done by those who affected to trade for the publick good. It is an affectation, indeed, not very common among merchants, and very few words need be employed in dissuading them from it. 


(2) 「(神の)見えざる手」の意味


 「(神の)見えざる手」とは、ザックリ言えば、みんなの利益のために経済活動するよりも、個々人が自分の利益になるように行動すれば、自然と社会全体から見て、望ましい経済状態が達成されるという意味である。


(3) 需要と供給


 需要と供給の関係によって、社会全体の資源配分が最適化されるという意味で「神の見えざる手」という言葉が使われることもある。

 需要と供給の関係については、次の記事(↓)を参照してください。

https://note.com/piccolotakamura/n/n8c8878f2742e


アダムスミスの世界
①~③はこちら(↓)

https://note.com/piccolotakamura/n/n839209950915

https://note.com/piccolotakamura/n/nc465159ca2b6

https://note.com/piccolotakamura/n/n3246107cbd60


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