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読書感想文 | 徳川綱吉

(1) 最悪の将軍?

朝井まかて(著)
「最悪の将軍」
集英社文庫

 朝井まかての歴史小説「最悪の将軍」。この文庫本の裏表紙には、次のようにあらすじが紹介されている。

生類憐みの令によって「犬公方」の悪名が今に語り継がれている五代将軍・徳川綱吉。その真の人間像、将軍夫妻の覚悟と煩悶に迫る。民を「政の本」とし、泰平の世を実現せんと改革を断行。抵抗勢力を一掃、生きとし生けるものの命を尊重せよと天下に号令するも、諸藩の紛争に赤穂浪士の討ち入り、大地震と困難が押し寄せ、そして富士山の噴火---。歴史上の人物を鮮烈に描いた、瞠目の歴史長編小説。

 この小説は、タイトルこそ「最悪の将軍」となっているが、綱吉をかなり好意的に描いている。
 学生時代に歴史を学んだ時は、「犬公方」のイメージが強く、とんでもない将軍として記憶に刻まれた。実際のところ、どのような将軍だったのだろうか?
「最悪の将軍」だったのだろうか?
それとも「名君」だったのだろうか?


(2) 徳川綱吉の政策

高埜利彦(著)
「天下泰平の時代」
~シリーズ日本近世史③~
岩波新書

以下、高埜利彦(著)「天下泰平の時代」(岩波新書)を用いて、綱吉の政策を見ていく。

政権の出発

 綱吉の政治は、四代将軍家綱の死後2日で出された「鳴物停止令」(なりものちょうじれい)から始まった。
 鳴物停止・普請停止とは、貴い人が死去したとき、一定期間、歌舞音曲や建物の普請などを停止することである。停止の期間が長ければ長いほど、死者の権威は高いということになる。
 その他の初期の政策は、農政をただし、幕府の財政基盤を安定化させたことが挙げられる。

武威から学問文化重視へ

  1683年7月、代始めの「武家緒法度」を発布した。
 前代までの第一条が「文武弓馬の道、もっぱら相嗜むべきこと」であったものを改めて、「忠孝と礼儀」を第一に重要なものとした。そして、儒学・仏教・神道・天文暦学・歌学・絵画などの学問・文化を重視する姿勢を示した。
 また、旧来の戦国時代的な価値観を転換できない「かぶき者」の検挙に乗り出した。
 一言で言えば、戦国の世の価値観から、天下泰平の価値観への転換を促す政策だと言える。

生類憐みの令

 生類憐みの令は、1685年頃から次々に発せられた。
 対象となったのは、犬だけではない。捨て子、捨て病人、行き倒れ人、道中旅行者の保護などの弱者も含まれた。
 生類憐みの令の目的は、戦場における殺傷行為に価値を置く武威の論理から対極にある価値観を浸透させることにあった。

服忌令(ぶっきれい)

 服忌令は、近親者が死亡したとき、自分自身の穢れがなくなるまで自宅謹慎している忌引きの期間を、詳細に規定したものである。

 ちなみに、現在の喪中葉書きを年末に差し出して新年の祝賀を避けるのは、この綱吉の服忌令という制度に由来するという。

大嘗祭の再興

 大嘗祭は、1466年、後土御門天皇が大嘗祭を挙行してから、221年間断絶していた。天皇・朝廷の権威を封じ込めるのではなく、朝廷儀礼を復興させる方針に転換した。

東大寺大仏殿再建

 1567年、松永久秀によって大仏殿が焼かれて以来、雨風にさらされていた盧舎那仏。焼けただれた大仏の鋳掛けを行い、1692年に開眼供養をおこなった。また、大仏殿も再建した。


(3)まとめ

 当然その他にも綱吉の行った政策はあるが、「生類憐みの令」は、戦国的な価値観から天下泰平の世にあった価値観への転換を図る一環として出された法令である。
 行きすぎた面もあったかもしれないが、命を尊重し、平和な世の中を作るという一貫した考え方に基づくように思われる。

 綱吉がいなかったら、現在の「喪中葉書」も修学旅行の「大仏」見学もなかったかもしれない。

 どんな政治家であれ、「功罪」はあるだろうが、「功」のほうが大きい将軍であるように私には思えた。

 現在にも生きている遺産という面から見ると、いわゆる「江戸幕府の三大改革」よりも、大きな影響があったような気もする。「最悪の将軍」ではなく「名君」だったのではないだろうか?

 数多くの史料にあたったわけではないが、比較的最近出版された本を読むと、暴君ではなく、名君だと考える歴史学者が多いようだ。
 歴史を考える場合には、イメージ・うわさに影響されず、実績をみることが大切だろう。

 私は、15人いる将軍の中で、綱吉に一番興味がある。次に興味があるのは「最後」の将軍慶喜。慶喜については、またあとで調べてみたい。


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