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エッセイ / 書くことで繋がる / やせたガールの日常[青ブラ文学部]


(1) エッセイを書くこと


 私がnoteに書くことは創作も多いけれども、エッセイを書くときが素の自分にいちばん近い。
 楽しかったことを書く時もあるけれども、楽しいことは自分の胸に秘めておいたほうが楽しいから、noteにはあまり書かない。
 どちらかというと、矛盾を感じたり、頭にきたりしたときnoteを書く。

 だから、私の書くエッセイは、読む人にとっては、怒号が聞こえるかのように響くかもしれない。
 けれども「書く」という気持ちになるときには、既に何日か過ぎた後のほうが多いから意外と落ち着いて書いている。怒りがおさまって、冷静にならないと書けない。

(2) 愚痴を言うこと


 愚痴を言うと怒りやストレスを溜め込まずに済む、という人もいるようだけれども、私の場合は人に話せば話すほど、余計に嫌な気持ちが強化されてしまう。だから、あまり愚痴は誰にも言いたくない。人の愚痴も聞きたくない。愚痴なんて、言っても言われても経験上、ろくなことはない。問題解決へ近づかない愚痴は不毛であるとすら思う。
 私が愚痴を言えば、私の怒りが増幅する。相手の愚痴を聞いて何か言っても「冷たい」としか言われたことがない。いずれにしてもバカバカしい。

(3) 「書く」効用


 それに比べると、書くという行為は清々しい。誰から頼まれたわけでもない文章を綴るという過程自体が、散らかった思考の整理整頓になる。
 書くというプロセスは、ロジカルに考えることと同義であると思う。もちろん、気持ちや感情を書くのだが、筋が通らないような感情は矛盾を孕むから、そのままでは文章が続かない。たとえこじつけであるにしても、書くという行為は一貫性を志向するものだ。

 話した言葉はその場で消えていくが、書いた言葉は残る。書いたものを振り返ってみると、「今と変わってないな」と思う時もあるが、それでもやはり少しずつ考え方は変わっていく。同じことで躓いているなとか、今だったらそもそも怒ったり悩んだりしないだろうなとか。


 前置きが長くなったが、昨日は池辰彦さんとカンナさんが、記事を紹介してくださいました。
 SNSでは、直接話す場合とは違って、基本的に自分の好きなことを書き、自分の読みたい記事を読む。その中で、自分の書いたことに対して、「書く」ということで繋がることができるのは、たいへん光栄で嬉しいものです。ありがとうございます。


(4) ご紹介していただいた記事


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