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中二病と現実主義

 かなり多くの人が昔は"中二病"だったのではないだろうか。少なくとも若い頃に、何か客観的にみて痛々しい言動をしたことがあると思う。では、私達はなぜ中二病ではなくなったのか。

 私の考えはこうだ。まず、中二病の人間に対して、大人や同世代の現実主義者が冷ややかな目を向ける。そうして当人がいつしか回りの目を内面化してしまい、中二病的行動を"黒歴史"として片付ける。最後には自身も現実主義者になってしまう。

 つまるところ、中二病からの回復は、他人の目線の内面化による同一化という構造がみてとれるわけだ。

 確かに、中二病から現実主義者になることで、周りからは大人として認められるかもしれない。だが、そこには周りの目を気にし過ぎて、自分の生き方を失った、いわば日本人らしい性格が表れてくる気がしてならない。そこに、大人(現実主義者)になることへの息苦しさがあるのではないだろうか。というのも現実主義者という呼称を使ったが、実際彼らが見ているのは、現実ではなく、ほとんど他人の目なのである。彼らは他人の目を気にし過ぎて疲れているのである。

 いや中二病患者も実際のところ他人の目を気にしている。だが、自尊心や自己愛によって、他人の目線に必死に抵抗する。

 そう考えると、単に現実主義者とは他人の目線に敗北した者だと捉えられる。

 これは中二病と現実主義者どっちがいいという話ではない。ただ中二病という揶揄には、現実主義者達の、大人になってしまった(他人の目線に敗北してしまった)ことに対する、正当化の一面を持っていることに注意してもらいたい。

 



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