Taylor Swiftと都知事と私(たち)の世界線
「さもありなん」と、頭の中だけで思い巡らし、1人で納得し終わる”劇場事案”がまたしても発生しました。
今回の気づきは来日中のテイラー・スウィフトのファンの1人と見られる、ある方のX投稿でした(抜粋は致しません)。
ファンの1人と見られる、その方のX投稿では上記〈テイラーはこんなふう〉なのに〈それに引き換え私は〉「友人と数時間会っただけで社会的に消耗、磨耗しちゃって…」※この言葉は投稿の言葉そのままではありません
と書かれていました。
ふむふむ。そうだよなぁ。
ここで一旦共感したのですが、そこで松浦弥太郎さんの著書の一冊『仕事のためのセンス入門』に、こんなことが書かれていたのを思い出したのです。
本には明記されていませんが〈東京都全体を自分が何とかしなければならないというスケール〉を読んで私が想起したのは、やはり?でしょうか、小池百合子さんでした。
ここから一旦テイラー・スウィフトを離れて私の妄想劇場
取材陣や秘書に同行され、百合子が(※note限定での愛称とします)ヒールを鳴らしながら、カツカツと分刻みのスケジュールをこなしていく。
一方、その隙間にそっと抜け出し、またただっ広い部屋を一人でカツカツと歩いている。
コートを脱ぎ、ハイヒールを脱ぎ、百合子は少しため息をつき、キングサイズのベッドかソファに「ぽすっ」と身を投げ出す。
テイラーが「プライベートジェット」に乗っている間に、百合子はホテルのスイートルームやビジネスクラスのラウンジで少しだけ昼寝をしているのだった。
そんな情景。(失礼ここまで)
「責任と暮らしぶり」
松浦さんの言葉そのものに深く納得するし、先のファンのツイートも確かに真理だし、、両方とも正しい。
ちなみにこの章で、最も心に残ったのは続く締めくくりでした。テイラー・スウィフトに限らず、この先、「あるセレブ」を見る上で一生忘れずに意識しておきたいと思いました。
古くからの言葉では「同じ土俵」かどうか疑え。という教えと同義かもしれません。
人のステータスに合わせた責任の範囲、活動量、そして生活という意味でのそれぞれの「LIFE」がある。
テイラー・スウィフトと東京を治める人は極端な例でしたが、私たちは日頃の人間関係でも、人と人の仕事量、仕事時間比べだけで気持ち的に消耗するというのも、やってしまいがちな思考パターンです。
この「癖」を、一旦ここでは ”人生比べ” と呼んでみます。
そんな人生比べをして引け目を感じてばかりの女性同志がいればインプットしてあげたい思いですが、これは自分にも言い聞かせられます。
私(たち)には私(たち)の、守るべき身の丈がある。
今の私など、テイラーが歌い出し、ファンが熱狂し始める19時、それより深くデジタルでラブコールが騒ぎ出す深夜まで考えると、「さあ今からだ」という17時台には毎日デジタル機器類はおやすみモードに入らせ、自分を休ませ、早いと20時台には眠り込んでいるのです。
転じて、私(たち)には私(たち)の、自由な選択がある。
こう言い換えて、無闇に人生比べをして、引け目を感じるのは、時間の浪費だと考えられるのであります。
これを読んでいるあなたが今、一時的な病気やさまざまな事情で家の中から一歩も出られなくても。
あるいは対人関係に疲れてしまって「仕事」という「仕事」をしていなくても。
言葉で、行動姿勢で、いつも誰かの背中を押してあげられるようでいたいと思います。
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