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Taylor Swiftと都知事と私(たち)の世界線

「さもありなん」と、頭の中だけで思い巡らし、1人で納得し終わる”劇場事案”がまたしても発生しました。

今回の気づきは来日中のテイラー・スウィフトのファンの1人と見られる、ある方のX投稿でした(抜粋は致しません)。

下情報として、テイラーがグラミー賞をアフターパーティーまで出席からのプライベートジェットで来日し、4日間毎晩全身全霊のパフォーマンスをこなし、さらには恋人がいるスーパーボウルが開催される次の日曜日までにアメリカへ帰る...というシナリオを描き、パパラッチが追いかけているようで。

ライブに参加した日本のメディアさんもその肉体的、精神的な頑強さ(タフネス)に驚嘆したと書いていましたが、確かに出席する場、移動距離、こなす仕事量、全てにおいて彼女の持つスケールは凄い…と恐れ入りました。(ちなみに私はテイラーと生まれが約4ヶ月しか違いません。)

ざっとpigiste調べ


ファンの1人と見られる、その方のX投稿では上記〈テイラーはこんなふう〉なのに〈それに引き換え私は〉「友人と数時間会っただけで社会的に消耗、磨耗しちゃって…」※この言葉は投稿の言葉そのままではありません
と書かれていました。

ふむふむ。そうだよなぁ。


ここで一旦共感したのですが、そこで松浦弥太郎さんの著書の一冊『仕事のためのセンス入門』に、こんなことが書かれていたのを思い出したのです。

人にはそれぞれが背負っている責任があります。(中略)
責任が大きくなれば、そのぶん強いストレスにさらされ、時間と体力も必要とされるでしょう。(中略)
責任を背負っている人は、働き続けることができるように、それぞれのコンディションを守ることに気を配り、その環境をととのえておかねばなりません。環境をととのえることで、初めて社会から与えられた課題に向き合えるのです。

ここでの「人」はテイラー・スウィフトを思って読む

責任や信用にもスケールの違いがあります。(中略)
その人が自分の責任を果たすために必要とされる環境は、仮にワンルームのアパートであるとしましょう。一方、東京都全体を自分が何とかしなければならないというスケールですと、こちらの人の責任はもっと大きくなります。(中略)
さらにその責任のスケールが日本全体、あるいは東アジア全体と広くなっていくなら、それに合わせて環境をととのえることが必要となります。
住環境だけでなく食事も違ってくるでしょう・・・

松浦弥太郎さん「責任と暮らしぶり」

本には明記されていませんが〈東京都全体を自分が何とかしなければならないというスケール〉を読んで私が想起したのは、やはり?でしょうか、小池百合子さんでした。


ここから一旦テイラー・スウィフトを離れて私の妄想劇場


取材陣や秘書に同行され、百合子が(※note限定での愛称とします)ヒールを鳴らしながら、カツカツと分刻みのスケジュールをこなしていく。

一方、その隙間にそっと抜け出し、またただっ広い部屋を一人でカツカツと歩いている。

コートを脱ぎ、ハイヒールを脱ぎ、百合子は少しため息をつき、キングサイズのベッドかソファに「ぽすっ」と身を投げ出す。

テイラーが「プライベートジェット」に乗っている間に、百合子はホテルのスイートルームやビジネスクラスのラウンジで少しだけ昼寝をしているのだった。

そんな情景。(失礼ここまで)


〈妄想〉百合子の休憩 昼編:あくまでイメージです
〈妄想〉百合子の休憩 夜編:あくまでイメージです(ニューヨークだし…)


「責任と暮らしぶり」

松浦さんの言葉そのものに深く納得するし、先のファンのツイートも確かに真理だし、、両方とも正しい。

ちなみにこの章で、最も心に残ったのは続く締めくくりでした。テイラー・スウィフトに限らず、この先、「あるセレブ」を見る上で一生忘れずに意識しておきたいと思いました。

“成功した人は大きな家に住み、贅沢をしているように見えますが、それは贅沢ではありません。その人が活躍するために必要な環境なのです。

“しっかり休み、心身をととのえ、全力で社会のために働けるように、住むところや食べるものを充実させる、そのために自分の収入を使うのです。”

“正しく仕事をして、正しく社会的責任を背負って仕事をしている人たちの暮らしぶりがよいのを、贅沢をしていると考えるのは勘違いだと思います。

松浦弥太郎さん「責任と暮らしぶり」



古くからの言葉では「同じ土俵」かどうか疑え。という教えと同義かもしれません。

人のステータスに合わせた責任の範囲、活動量、そして生活という意味でのそれぞれの「LIFE」がある。

テイラー・スウィフトと東京を治める人は極端な例でしたが、私たちは日頃の人間関係でも、人と人の仕事量、仕事時間比べだけで気持ち的に消耗するというのも、やってしまいがちな思考パターンです。
この「癖」を、一旦ここでは ”人生比べ” と呼んでみます。

そんな人生比べをして引け目を感じてばかりの女性同志がいればインプットしてあげたい思いですが、これは自分にも言い聞かせられます。

私(たち)には私(たち)の、守るべき身の丈がある。

今の私など、テイラーが歌い出し、ファンが熱狂し始める19時、それより深くデジタルでラブコールが騒ぎ出す深夜まで考えると、「さあ今からだ」という17時台には毎日デジタル機器類はおやすみモードに入らせ、自分を休ませ、早いと20時台には眠り込んでいるのです。

転じて、私(たち)には私(たち)の、自由な選択がある。

こう言い換えて、無闇に人生比べをして、引け目を感じるのは、時間の浪費だと考えられるのであります。

これを読んでいるあなたが今、一時的な病気やさまざまな事情で家の中から一歩も出られなくても。

あるいは対人関係に疲れてしまって「仕事」という「仕事」をしていなくても。

言葉で、行動姿勢で、いつも誰かの背中を押してあげられるようでいたいと思います。

今の私の世界線

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