見出し画像

わたしという時間

お久しぶりです。2022も下半期ですね。
最近のわたしは文章よりも話をしたいのですが、コロナの後遺症なのかいかんせん喉の調子がよくありません。そして連続でnoteに綴っている言葉に触れて、なんとなく書きたくなりました。



2022年が半分過ぎて、わたしも1つ年を重ねました。
33歳。ゾロ目。なんかいい歳になる気がする。
そう思った矢先に、コロナに感染してしまいました。

規則正しい生活、基本3食自炊、毎日30分以上自転車を漕ぎ、朝はなるべくストレッチ。タバコもしないし、お酒は付き合いだけ。
こんなに健康的な生活をしているわたしがかかるなんて、コロナ菌おそるべし。

有無を言わさず10日間の自宅療養になったわけですが、熱が下がればまあ暇な時間が多いわけです。

そこで、自分を見つめ返す時間にしようとバケットリストを更新したり、この本のワークに取り組んでみたりしたわけです。


33歳、これからをどう生きるかってね。

もし今日が、あなたの最後の日であっても、後悔しないでしょうか?
一度しかない人生を「どう生きるか」がわかる100年カレンダー

この本の冒頭にこうあるのだけど、正直わたしは「後悔しない」って思っています。
死生観というのでしょうか。わたしはいつ死んでもいいし、生きている間に必ずやりとげたいこととか、使命感とか、そういったものが希薄です。

だって生きてると辛いこと多いもん。無理ゲーって感じ。
わたしが死んで悲しむ人がいないなら、このゲームから脱落したい。

わたしを生かしているのは、周りの家族や友人で。みんなが大好きだし、みんなが支えてくれるから幸せという土台があるわけで。

わたしには「守るもの」がない。子どもとかができたら違うのだと思うけど、少なくとも独身一人暮らしのいまと、今までは生きることにそこまで強い何かを持つことができていない。

どうせ生きるなら楽しく幸せに生きたい。

誰かが「『死』を意識すると時間を大切にできる」なんてこと言ってたけど、わたしにはその感覚がわからない。ていうか一見無駄な時間こそ、金じゃない?


まあそんなこんなで、本を読んでワークをしても死生観は変わらなかったのですが、自分が大切にしたいことは見えてきたわけです。

3つのキーワード


まずわたし自身のキーワードが3つ出ました。
「共有」「知る」「信じられる」です。

①共有

わたしは人と話すことが大好きなのですが、それは「経験や考えや感情をシェアしたい」という想いが強いのだと気づきました。
ワークで何回「共有」という言葉が出てきたのでしょう。

SNSが好きなのも「共有」ができるからなのでしょうね。
旅行にいくときも、1人で移動するのはいいけど食事はなるべく誰かと食べたいです。「美味しいね」「この店いいね」と共有したいから。

ああ、もはや趣味は「おしゃべり」と言っていいレベルで好きなのだと思いました。

②知る

これは勉強という意味ではなく、広い意味で「自分の知らなかったことを知る」ということです。
おしゃべりの中でも特に好きなのが「相手の経験やストーリー、ルーツ、思考・価値観などがわかる会話」。

わたしが一生わからないと思っているのが、わたし自身を含めた「人のこと」です。
どんなにわかったと思っても、明日にはまた別の経験をして、また別の人間になっていく。

だからその人の何かを「知る」のがたまらなく好きなのです。

そして、わたし自身が初めて何かを経験していくことも「知る」行為。
自分になかったものを手に入れる、レベルアップのような感覚があります。
もちろん、興味のある分野の勉強も楽しいです。

③信じられる

キーワードとしては少々くどくてごめんなさい。
これは、わたしはわたしの人生を支えてくれたのが「人から信じてもらう」という経験だったのだと思ったからこうなりました。

わたしは自己肯定感が低いとか、ネガティブとか、そんなことはあまりない方だと思うのですが、勉強も運動も平均点で特技もなく、人より優れている部分はコレ!と言えるものがなかなか浮かびません。

人に恵まれやすい運と、人を信じることができる。
そんな、赤の他人には「?」と思われそうなことしか人より優れてると思えません。

それでも人生を思い返せば「人に信じてもらえる」ことが多かったなと思うのです。
仕事を任せてもらえたり、秘密を打ち明けてもらったり、SNSから初めて人に会う相手として選んでもらうことも多かったり。

「ぴいちゃんなら」は魔法の言葉です。
わたしの自信がない部分に、これまでついた心の傷に、塗り薬のように沁みていきます。なんせ、書いている今だって涙が出そうになる。

それはわたしの信条が
「心を開かせようとしない、自分から心を開く、自分から相手を信じる、相手の未来を信じる」
といった「信じること」にフォーカスしているから、逆に信じてもらえるのかもしれません。

何がそう思ってもらえるのかは具体的にはわからないけど、自分がそういう人間であることは誇らしいし、好きだし、これからもそういう人間でありたいなと思います。

だから、わたし自身がちゃんと信じられるか、信じてもらえる人間で在れているのか、というのを大切にしたいです。


ちなみにもっと細かくわたしの「歓びの種」を分解するとこんな感じでした。

  • 人と共有する(景色、体験、話、頑張り、企画、目標、楽しさ・悲しさなど感情、つくり上げる、自己開示)

  • 喜んでもらう、役に立つ

  • 感情が動く

  • 得意を活かす

  • 努力してよりよくなる(レベルアップ!)

  • 新しいことを知る(パズルの穴埋め的な)

  • チャレンジ(新しい世界を知るワクワク)

  • 育成、人のことに悩む・考える

  • 信じてもらう

5つのやらないこと

そして、バケットリストに書いていた「やらないこと」にぐはぁと来ました。そうだ、わたしはこれをやりたくないんだ。と。

  1. 妥協

  2. 卑下

  3. 楽しくないこと

  4. 頑張りたくないこと

  5. 合わない人と過ごすこと

これはね、部屋の壁に貼りましたよ。
「どうせ生きるなら」に近しい部分です。

わたしは、人の成長や心に関わる仕事をしており、献身欲も強い方だと思います。
でも先日上司に「忘れないでほしいのが、仕事は『人のため』にやるんじゃないよ『お金のため』にやるんだよ、そこを吐き違えちゃダメ」「人のためだったら、無休でボランティアでもできるの?って話になるでしょ」と言われてその通りだと思いました。

どうせ生きるなら楽しくて好きな仕事をしたい。
その「好き」がわたしにとっては「人のため」と言われるような仕事なのだけど、わたしは人のためになっても自分が楽しくなければ続けることができません。

そう、3つのキーワードをしっかり満たしてくれる仕事だからできているだけ。
楽しくないことに仕事という多くの時間を費やせないだけ。

そして今日、もうひとつ壁にメモを貼りました。

僕のことを好きじゃない誰かのことでくよくよする時間はないんだ。
僕は、僕を大好きでいてくれる人を大好きでいるのに忙しすぎるから。
スヌーピー

わたしは、わたしを大切にしてくれない人は嫌いだ!と最近思うことがありまして。笑
わたしを好きでいてくれる、わたしを大切にしてくれる人を大事にしたい。わたしもわたしの心を優先したい。嫌な人に振り回されたくない。わたしの心ファーストがいい。
そうやって、えこひいき体質を強めている気がします。




33歳。2022下半期。
自分をちゃんと世界の中心に置きたいなと思うのです。
どうせ生きるなら、楽しく幸せに生きたいから、ワガママでもいいじゃない。自分勝手でもいいじゃない。誰かを傷つけるわけじゃないのなら。

好き勝手やって、嬉しくて楽しくて笑いが止まらなくて、でも時には悲しくて苦しくて辛くて痛くて痛くてたまらなくて、ムカついて。そうやって心が動いて、信じた結果バカみたいな想いをしても、何も感じない人生よりも面白い。
苦しんだ分楽しいし、辛かった分幸せだし、心が揺さぶられた分だけ大好きな共有が深くできる。きっと、自分という人間が前より深くなる。

そうか、わたしはたぶん、わたしを味わって生きていきたいんだ。



この記事が参加している募集

自己紹介

私は私のここがすき

いただいたサポートは人のケアに使える勉学に使って周りに還元させます!