史上最高に長かった舞台裏。
新年、ということで新たな気持ちでというにはショックな出来事も多かったですし、そもそも今年の年越しを中国・蘇州で過ごしたこともあり、どちらかと言えばふだんの新しい月の始まりとそう変わらない。ただ、クリスマスイブの大切な定期公演については何のまとめも(けじめも)できておらず、これではなんだか締まりがないので自分で区切りをつけたいと思っています。
今回の定期公演は「オマージュ」というタイトルで、坂本龍一さんの音楽を「忘れず、残す」という気持ちを持って、クレモナの音楽として創作をして行こうと取り組みました。
2023年は精一杯尽くした、と思う。
2023年、クレモナは室内楽コンクールを開催したり、シンフォニーで定期公演を開催したりと、その他もきっと今後大きな力となるできごとが本当に多かったし、正直思い返してみると、よく頑張ったよなあと、自分たちを褒めたくなるくらい頑張った年でした。もちろんそれには体力的にも、精神的にも重い負担になることが伴って、私は人生初の膀胱炎になったり、円形はげを2個作ったり、落ち込んだりすることも多かった。
別れることが辛かった1年
また、本当にたくさんの方とのお別れがありました。大切なお客さま、響先生、それから、あまりオフィシャルには言っていなかったですが、私の大切な祖母も3月に逝去しました。私に気丈に生きること、賢くプライドを持って生きることを教えてくれた大切な祖母でした。気が強いのはこの祖母譲りです。
「Aqua」という曲を弾くときに、ピアノのタッチを悩んでいました。あまりにも優しい曲で、どうしても力強い私の奏法には向かないから、どうしようかなと。
大切なものを触るように、と言われたときに、死んだ直後まだ温かい祖母の頬を触った感覚をふと思い出したんです。まだ温かいんですけど、もう死んでいるんですよね。生きている人の張りはもうそこにはないんです。その感覚がどうも手に残っていて、それをタッチとして表現してみようと試みました。こう言ってみたら不気味な気もするんですが、これが重要な表現となったと自負しています。
表現と現実とのはざまで追い詰められる自分との闘い
そんなことで、きっとこの公演が色んな記憶の残るものであろうと準備の段階から感じていて、気を強く持って立たないといけないのだろうと、ある意味メンタル面でも鍛え上げたいと思っていました。いずれにせよ10月以降ずっと仕事に追われていて、休む間も無く、というか、体力的にも精神的にも色々な限界と闘いつつ最終週を迎えていました。必要な準備は早めに終えていたものの、次から次へと仕事が浮かんでくる。色々なものが後ろ倒しになり、同時に練習時間も刻々と削られ、追い詰められている状態だったと思います。
「今かよ!」と声に出してしまった訃報
だから、前日リハーサルの朝にきた一本の電話は本当に堪えました。クレモナにとっての恩人であり、私のうたごえ教室の恩師である、アコーディオン奏者の杉村先生の訃報です。
そういえば、いつもなら2週間くらい前に「行ったらええんやな」「楽器は持って行かんでええか」「演奏せんでええか」と必ずくる先生からの電話が、来ていなかった。確かにどこか気にはなっていましたが、まあ、来てもらえるやろとたかを括っていました。もちろん。8月、そして10月と、先生が少しずつ弱ってきている、そんな気はしていました。これが最後かも知れない、と毎度思うようにはしていましたが、本当に最後になるなんて思ってなかったわけです。わたしって本当に都合の良い生き物ですよね。
みーこはその電話の時に一緒にいて、それから監督に電話、あやめに伝えて、音響の伊藤さんに伝えて、ゆきに伝える。みんなの表情がグッと変わるのを見るのも辛いし、無理に受け容れないと次に進めない、明日の準備ができないことがわかっていたので、進めるしかない。感情を強く抑え込むしかできませんでした。
リハーサルで「アクア」の順番になって、ピアノに持ち替えた瞬間、どうしようもなく溢れ出すものを押さえ込むことができず、嗚咽しながらピアノを弾くということになってしまいました。明日の宣伝と隣で監督が動画を撮っていたのですがそれどころでなかった。でも、これで取り敢えず明日この曲で泣くのは止そうとちょっと整理がついた気がしました。
その後メンバーには「管楽器は泣かれへんからピアノはずるいわ」という旨のことを口々に言われましたが、特権特権と流しました。
全日23日もリハの後に本番
その日は夜にクリスマスの演奏の仕事が入っていたので全員で移動。控え室では「先生が死んだなんて悪い冗談ちゃうん」とか無理のあることを言って、なんとなく口をつく言葉が先生との思い出話で、ああ、みんな無理矢理にでも受け容れようとしているんだなと感じました。お通夜とお葬式の日程が全体のメッセージに届いた時に、これは冗談ではなさそうだなと。
猫の出産
店へ帰ると、愛猫のほっけがいつになくわめいています。あ、今日なのか。と急いで家に連れて帰りました。本当は、最後のピアノの確認とか、MCの確認とか、しないといけないことはたくさんあったのですが、ただ、もうどうしようもなく眠たくって、猫のベットだけ作っておいて、2時には力尽き、5時30分にこんぶが起こしに来て、何事、と走り寄ると子猫が1匹生まれている。しかし胎盤は二つ。もしやと毛布をめくると瀕死の子猫。しかも、今まで上手く育った試しのない全身トラ柄の猫。取り敢えずほっけを所定の位置に戻し、子猫をおっぱいの近くに置いていると、壮絶な感じで3匹めが生まれる。しかしこの3匹め様子がおかしく、しかも総柄。この子は長くないかもなと思いつつ処置をしているうちに、4匹めが1番小さくも非常に元気に誕生。この猫は生まれた時から母親のおっぱいを探し当て、たくましく飲んでいる。
とにかく4匹出た時点で6時40分。タオルなど取り替えて、シャワーを浴び、7時50分のルークカフェ集合に向けてこんぶだけ連れて出発。心配な1匹めにしても3匹めにしても、この時点で人間がついていてもいなくても、生き残れない子はそもそも難しい、と割り切ることにして家を出ました。
本番当日。
ということで、フェニックスホールへ向かう道中も風船の紐を握りしめるような気分で、心を繋ぎ止めるのに必死で、準備も楽しんでやりつつ、限られたリハーサル時間の中で(非常に短く感じた)ピアノのチェックやファゴットの音出しをして、リハ終わりですでに開演1時間前を切っていて、自分自身の全てのコンディションを整え(言い聞かせると言っても過言ではなかった)舞台袖に入ると、どうしても居た堪れなくなって、メンバー一人一人に「手を握ってくれ」と頼む始末。
最近こんなに本番前に緊張することはなかったのですが、(記憶に残る大緊張はフェニックスホールでの着物の本番と、シンフォニーホールの1回目の本番)久しぶりに込み上げてくる内臓と、叫びたい衝動と、(これは恒例の)逃げ出したい葛藤を押さえつけるのにもう必死でした。
演奏についてはこの動画をぜひみていただければと思います。ダイジェストであやめが編集してくれました。ここまで裏話を読んで、どう聴いていただけるでしょうか…?
先生の話をすべきだったかどうか
ここで良かったのはMCを前々日までに用意していたことで、精神状態のことを考えても、早めの準備でよかったなあと本番しみじみ思ったわけです。
杉村先生の話は、先生のことをご存知ない方ももちろんおられるとは思ったのですが、私たちの口からきちんとお伝えしないといけない人がたくさんご来場されていたし、本編が終わった、アンコールの時であれば、このステージのすべての人にとっての「ライブ」を、お伝えできると判断したため、アディオス・ノ二ーノの前できちんと話をしようと決めました。案の定、演奏は涙でボロボロになったわけですが、それでも演奏家として事実を受け容れ、昇華させようという私たちの意志でした。
最後の最後で先生が美味しいところをステージで持って行った感が否めないのですが(苦笑)、「お客さまが目の前に一人でもいる限り、わたしたちは婆さんになっても最後まで演奏し続ける」という気持ちを、一人でも多くのお客さまに受け止めていただければと、勝手ながら思っています。エンターテイメントとしては、ちょっと熱くて重いんですが、人生をかけて芸術を行う、演奏活動をするということは、たくさんの出来事や別れや出会いを受け止め、受け容れながらステージに立つということを実感せざるを得ない、そんな2023年になりました。
中国にて
余談、なのですが、演奏会の1週間後、お客さま皆さんに万歳で送り出していただき、中国・蘇州へ池田市の観光大使として、初の海外旅行として、行ってまいりました。
1番大きなレセプション(蘇州の要人と、領事館関係者、日系企業の社長の皆さんが集まる100人くらいの会)にて演奏して欲しいと、当日依頼を受け、リクエストされたのが「北国の春」でした。用意されているのはローランドの88鍵ない中くらいのキーボード(ペダルもなかったです)。
私ね、この曲まともに聴いたことがなくて、何で勉強したかというと、杉村先生が歌声喫茶でのアコーディオン伴奏をされている時の演奏を耳コピしたんですよね。だから前奏も、先生のアコーディオンの音色で覚えているわけです。中国ではネット環境が劣悪で、検索や歌詞の確認もできない中で、まさかこんなところで先生に助けてもらえるとは。。。と、蘇州にて心震えました。戦メリと雪山讃歌(中国ではハッピーニューイヤーの曲だそうで)も加えて、ステージは完遂。また一つ強くなった気がしました。
2024年のクレモナぴかりんとしての抱負
2024年、大きな飛躍のチャンスがあればもちろん掴みたいところですが、私としては、引き続き経験と実力を丁寧に積み上げて、わざわざジャンプして掴まなくても、目の前でほいっと余裕でチャンスや結果を掴む、そんな一年にしたいと思います。高望み、ではなく、なるべく高いところまで積み上げるのだという気持ちです。
本年もどうぞわたしたちクレモナの活動にご注目ください。
皆さんの応援だけが励みになります。
2024年1月18日 バンドマスター 久保田ひかり
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?