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旧・中石器時代まとめ

ムンディ先生のYouTubeで世界史の勉強中。今回はこちらの記事↓の補足として、各地の旧・中石器時代についてまとめていこうと思います。

※このページには、人間の執筆とAI生成の要素が含まれています


アフリカ

オルドワン石器

オルドワン石器は堅いハンマーで打撃を加えて作られた剥片やチョッピング・ツールを特徴とする石器文化である。約250万年前からアフリカやアジアの各地で2万年前まで製作され、初期段階の石器の一つとされている。

オルドワン石器はホミニン(ヒト族)が過酷な世界で生き抜く上で欠かせない道具だった。原始的な物ではあったものの、意図を持って作られたこれらの鋭利な刃の石器は地理的に広く拡散し、長く続いた最初の技術であったとされている。

2023年2月にはケニア南西部のニャヤンガ遺跡で、オルドワン技術を用いた石器としては世界最古のものとされる300万年ほど前の石器が発見された。また動物の骨数百本とパラントロプス(初期のホミニン)の歯も発掘されており、知能を持っていたのはヒト属だけではない可能性を示唆する研究成果も発表されている。


イベロマウルス

イベロマウルス文化は紀元前15,000年から紀元前10,000年の間に北アフリカの海岸地域全体に広がったと考えられる文化である。北アフリカ最古のブレード産業を有し、オラン文化に属する文化である。

イベロマウルス文化のものとされる標本には、眼窩上隆起が不連続か、場合によっては全くないものがある。一方後述するジェベル・イルードの標本は眼窩上隆起が連続しているため、古いホモ・サピエンス、アテル文化のものとされている。

紀元前9000年から紀元前5000年にかけてはカプサ文化が出現し、イベロマウルス文化に影響を及ぼした。


ジェベル・イルード

ジェベル・イルードはモロッコ南部にあるタンタンという町の北東ドラア川北岸にある堆積物中にある遺跡である。1960年代に鉱山として発見され、発掘調査で石器や謎の頭蓋の破片が発見された。

ドイツなどの研究チームはこの遺跡で発見された30万年前の化石が、これまでに発見された中で最も古い現生人類(ホモ・サピエンス)の化石であると論文を発表した。著者たちはジェベル・イルードのヒト族化石は、ホモ・サピエンスの最初期の進化段階のものであると考えている。


セビル文化

セビル文化はエジプトの上エジプト、クーム・アンブー(コム・オンボ)近郊の3m段丘で発見された石器文化である。セビル文化は3期に分かれ、中期以降細石器化の傾向が顕著である。

セビル文化は北アフリカのカプサ文化やレヴァントの後期旧石器文化の石刃石器文化に対するルヴァロワ型の剝片石器文化(エピ・ルヴァロワ型)である。

セビル文化は紀元前19000年頃に上エジプト南部からスーダン北部にかけての地域に集中的に出現した石器文化のひとつで、この時代の人々はナイル川の豊富な漁業資源や水鳥、植物に支えられて安定した生活を営んでいた。


ルヴァロワ技法

ルヴァロワ技法は石核を調整して剥離する技法である。ヨーロッパ、アフリカ、西アジア、中央アジア、西シベリアの前・中期旧石器時代に広くみられ、約30万年前から3万年前に発達した。

ルヴァロワ技法ではあらかじめ出来上がる剥片を想定し、石核をよく調整したのち剥離する。砕いて形を整え、最後に薄く剥離させてナイフとする。

ルヴァロワ技法は石核調整技術を代表する技法で、命名は標式遺跡のあるパリ郊外のルバロアペレにちなんでいる。アフリカにはこの剥離技術の伝統が長く残存し、エピ・ルヴァロワ系の諸文化と呼ばれている。


カプサ文化

カプサ文化は旧石器時代後期から中石器時代にかけて北アフリカ、チュニジア、アルジェリアに分布した先史文化である。南チュニジアのガフサ市近郊エル・メクタの遺跡にちなみ、1909年にド・モルガンの命名によるものである。

出土品によって前期と後期に分けられ、細石器や大型石器のほか、後期では骨器やダチョウの卵殻を利用した調度品なども発掘されている。また、ひし形や十字などの単純な図形や動物を描いた絵画作品も見られる。特に東スペインの岩陰遺跡(ピレタ、コグール、アルペラ、シェラ、モレナなど)は狩猟や祭儀の光景を描いて有名である。


カダン文化

カダン文化は上ナイル渓谷のヌビアに住んでいた中石器時代の集落の集まりとされている。カダン文化は15,000年前に上エジプトで発生し、4,000年後に消滅したとされている。

カダン文化の人々はナイル川沿いで野生の穀物を収穫し、植物を集めたり処理したりするために鎌や研磨石を開発した。カダン文化の人々は約14,000年前にジェベル・サハバという埋葬地を建設した。


ジェベル・サハバ

ジェベル・サハバはスーダンにある先史時代(1万3400年前)の墓地遺跡である。人間の戦いがあったことを示す最古の遺跡の1つで、人類の歴史の最初期に起きた大虐殺の記録だとされている。

ジェベル・サハバは北スーダンのナイル川の東岸に位置し、世界で最も古い埋葬地の1つである。集団で埋葬されたとみられる人骨が61体も見つかり、そのうちの6割に同じように傷がついていたことから、狩猟漁労採集民が小規模な紛争を繰り返していたことが示唆されている。


アテル文化

アテル文化はモーリタニアからエジプトまでの北アフリカの広域、並びにオマーンやタール砂漠で見られる中期石器時代(または中期旧石器時代)の石器群によって特徴づけられる文化である。

アテル文化は多くのモロッコの遺跡で初期の人類と関連づけられている。最古のアテル石器は15万年前に遡り、モロッコのイフリ・ナンマル遺跡で発見されている。

アテル文化の石器群には様々なヴァリエーションがある、ルヴァロワ型(制作する剥片の形を想定し、注意深く調整された石核から剥片を剥がす技法)の剥片などが含まれる。


ハルファ文化

ハルファ文化は上ナイル川流域の晩期旧石器時代の文化のひとつで、約2万2千年前頃に現在のスーダン共和国北部で誕生したと考えられている。

ハルファ文化はヌビア地域で発生した社会文化的価値観のひとつで、カダンやセビル、タシアン、バダリ、Aグループなどとともに古代エジプト文化の源流をなしている。


アシューリアン石器

アシューリアン石器とは約175万年前のエチオピアで出現した大型の打製石器で、「ハンドアックス」などが代表例である。ハンドアックスは「握り斧」とも呼ばれ、原石の全面を涙のしずくのような形に加工して手で握り、切る、削る、掘るなど何にでも使用できた。

アシューリアン石器は巨礫から10〜30cmにも及ぶ大きな剥片を剥がし取る。前期旧石器時代に発見されたアシューリアンハンドアックスの原石は黒曜石であり、石核の両側を刃に用いていた。

アシューリアン石器を使用するようになったホモ=エレクトゥスは、動物の皮を切りさき、肉を取り出し、骨を割って骨髄を取り出して食べたことで、人類は常習的に肉食をすることができるようになった。また肉食と共に火の使用も始まった。

アシューリアン石器文化は100万年以上以上にわたって存続するため、石器文化の停滞期と長らく捉えられてきた。


アジア

ソンヴィー文化

ソンヴィー文化は紀元前1万年頃に地球が温暖化し始めた東南アジアで、礫の周囲を打ち欠いた石器を主とする先史時代の文化である。ベトナム北部やその周辺のホアビン省ではソンヴィー文化の打製石器や洞穴が多数発見されており、ホアビニアン(ホアビン文化)とも呼ばれている。

ソンヴィー文化人は先史時代のベトナムと東南アジアに広く分布し、ホアビン文化の先祖とされている。ホアビン文化はソンヴィー文化を起源としており、年代は紀元前18,000~7,500である。


ホアビン文化

ホアビン文化は東南アジアの中石器または新石器時代初期の文化で、1920年代にフランスの考古学者M.コラニがベトナム北部のホアビン地方の洞窟遺跡で発見した石器類によって命名された。

インドシナ、タイ、マレー、スマトラなどに分布し、礫器、握斧、スクレーパー、短石斧などがあり片面加工のものが多いのが特徴である。初期のホアビン文化は紀元前1万年前頃から紀元前5000年頃まで継続し、旧石器時代に属する。土器はなく、局部磨製の石斧が増し、バクソン文化との関係が考えられる。

この頃の東南アジアには狩猟採集民が住み「ホアビン文化」と呼ばれる文化圏を作っていたと考えられている。


バクソン文化

バクソン文化はインドシナの中石器または新石器時代初期の文化で、ベトナム北部のトンキン平野の北、バクソン山塊の洞窟に遺跡が発見されたことにより命名された。紀元前8000-6000年頃とされている。

バクソン文化はホアビン文化を引き継いだ石器文化で、打製石器に加えて刃の部分だけを研磨した石斧も見つかっている。貝と野獣をおもな食料としたと考えられている。

バクソン文化の遺跡には次のようなものがある。

  • タインホア省タブート遺跡:淡水の大きな貝塚遺跡で、丸い深鉢形の土器が出土している。放射性炭素年代では約6000年前である。

  • ゲアン省クインヴァン遺跡:海の貝からなる大きな貝塚で、大きな石を打ち割った石器や少量の全磨製石斧、粗雑な尖底の土器が出土している。放射性炭素年代は4700年前である。

最近ではバクソン文化とホアビン文化をまとめてホアビン文化と呼び、バクソン文化はその地方的様相とみる説もある。


ダブート文化

ダブート文化は紀元前4000年頃、ベトナム北部の海岸地方で土器が作られるようになった文化で、中石器時代末から新石器時代初めにかけての紀元前6000年以降のものである。ベトナム北部のソンヴィー文化、ホアンビン文化、バクソン文化と辿ることができる。

2014年4月8日にはベトナムのタインホア省で新石器時代ダブート文化の墓70基が発見されている。


タボン洞窟

タボン洞窟はフィリピンのパラワン島中部西岸、ケソン地区のリプウン岬一帯にある石灰岩洞窟遺跡群である。1962年5月28日にフィリピン国立博物館のアメリカ人人類学者ロバート B. フォックスによって発見され、1962~65年に調査が行われた。

タボン洞窟では約1万年前の後期旧石器時代と考えられるチャート製の剥片石器文化が発見されている。またタボン洞窟で発見された遺跡「タボンマン」には、女性の頭蓋骨の化石化した破片や16500年前に遡る3人の顎の骨が含まれている。


ナトゥーフ文化

ナトゥーフ文化は紀元前12500年から紀元前9500年にかけてレヴァント地方に存在した亜旧石器文化である。ヨルダン川と死海の両岸からユーフラテス川中流にかけて広がり、新石器時代の直前にあたる。

ナトゥーフ文化の人々は氷河期末の温暖化に適応した定住的狩猟採集民で、三日月形の細石器を特徴としている。骨や角を用いて錐や箆、鎌柄、銛、釣針、手斧など多様な道具を製作していた。


長浜文化

長浜文化(ちょうひんぶんか)は台湾で発見された最古の文化で、旧石器時代に台湾と中国大陸が陸塊で繋がっていた頃に存在した文化である。漁労と採集で生活し、人口は多くなく、海辺の洞穴や岩陰に居住していた。農耕や牧畜は知らず、陶器も作っていなかった。

長浜文化の主要遺跡は、台東県長浜郷にある八仙洞遺跡と成功鎮信義里の小馬洞窟遺跡である。八仙洞遺跡では大量の石器や墓穴が発見されており、約3万年前のものと考えられている。小馬の海蝕洞窟からは埋葬墓1箇所が発掘されている。八仙洞は断崖を波が削ってできた海蝕洞群で、地質景観として重要であるだけでなく考古学的にも重大な意義を持っているため、人気の観光スポットとなっている。

長浜文化という名称は、著名な考古学者である李済博士が長浜郷の地名をとって名付けた。


公州石壮里遺跡

公州石壮里遺跡(コンジュソクチャンニいせき)は韓国の忠清南道公州市石壮里洞にある旧石器時代遺跡で、大韓民国指定史跡第334号に指定されている。1964年に朝鮮半島南部で初めて発見された旧石器時代の代表的な遺跡の一つで、錦江中流域右岸の標高約13~17mの河岸段丘上に立地し、地層は27の層位で形成されている。

石壮里遺跡の傍には、石壮里遺跡で出土した遺跡の展示や旧石器時代の文化に関する教育・学術活動が行われている「石壮里博物館」が設置されている。石材や作り方、使い方の図表などもあり、分かりやすく学ぶことができる。


ヨーロッパ

ドマニシ遺跡

ドマニシ遺跡はジョージアのクヴェモ=カルトリ州にある集落で、考古学的遺跡として知られている。ジョージアの首都トビリシから南西約90kmのマシャヴェラ河谷に位置し、アフリカ以外では最古の人類遺跡とされている。

ドマニシ遺跡では約175万年前の原人の化石が相次いで発見されており、脳容積は600〜770立方センチ、身長は140cmほどで、これまで東アジアで発見されていた原人よりも原始的である。また約180万年前の頭蓋骨からは初期化石人類は単一の種であり、同一系統に属する可能性があるという結論が得られている。

ドマニシ遺跡では1991年にホモ・エレクトゥスの頭骨が発掘され、2021年には先史時代のイヌの化石も発見されている。また2005年4月7日号のNature ハイライトでは、ドマニシ原人はアフリカで200万年ほど前に進化してユーラシア全域に拡散したホモ・エレクトゥスに似ているが、他の場所で見つかったホモ・エレクトゥス標本よりも原始的で身長も低いとされている。


クラクトン文化

クラクトン文化は前期旧石器時代(約30万年前~約20万年前)にヨーロッパ大陸を中心に栄えた剥片石器を特徴とする文化である。燧石の芯から厚く不規則な剥片を打ち出し、斧や粗いナイフ、スクレイパーとして使用した。柄や軸に取り付けられていたことを示す刻み目付きのものもあり、加工されたものは珍しく、破片に顕著な打撃痕があることからハンマーストーンを使用したことが窺える。

ブリテン島ではクラクトン型と呼ばれる石器で槍を作り、狩猟をしていた人類の痕跡がある。人類は少なくとも25人以上の団体で行動し、動物を追って移動していたとされている。


ムスティエ文化

ムスティエ文化はヨーロッパの中期旧石器時代に栄えた文化で、7万5千年前から9万年前までに発生し、3万5千年頃に後期旧石器時代に受け継がれた。ネアンデルタール人による文化で、ル・ムスティエ遺跡で発見されたことに由来している。

ムスティエ文化の主な特徴はルヴァロワ型石核を用いた剥片剥離で、剥片素材の削器と尖頭器が多数発見されている。骨角器はほとんど認められていないが、木器は多く用いられたと想像されている。また生活地域の周辺に不要物を山のように捨てた跡や、赤色顔料を塗って死体を埋葬する観念をもつに至った最古の証拠も残されている。

ムスティエ文化の痕跡は主に北アフリカ、ヨーロッパ、近東で見られるが、シベリア、アルタイ地方まで分布が見られる。スピー洞窟(ベルギー)、シャペル・オー・サン洞窟、ムスティエ岩陰、キナ遺跡、フェラシー遺跡(以上フランス)などに人骨の出土が確認されている。


オーリニャック文化

オーリニャック文化はフランスのピレネー地方を拠点とするヨーロッパの後期旧石器時代文化で、紀元前3万年から2万2千年の間にクロマニョン人が築いたと考えられている。石器や骨器、女性裸像(ビーナス像)、洞窟絵画などを残しており、洞窟の壁画や衣類の使用などを特徴としている。

オーリニャック文化の壁画はフランコ・カンタブリア美術とも呼ばれ、1940年にフランスのモンティニャック村の少年によってラスコー洞窟で発見された。


グラヴェット文化

グラヴェット文化は紀元前330,000年頃~24,000年頃にヨーロッパで栄えた後期旧石器時代の文化である。石刃を原材として尖頭器、ナイフ形石器、刻器、削器などの石器や骨角器を作成し、イベリア半島から西シベリアに至る広大な地域で「ヴィーナス」と呼ばれる婦人像を多く制作した。

グラヴェット文化はオーリニャック文化に後続し、フランスなどでは同一地域に両文化がみられるところもある。後期旧石器時代後葉にはそれぞれの地域でその環境に応じて多様化し、地方色豊かなものになっている。


マドレーヌ文化

マドレーヌ文化とは約1万7000年~1万2000年前の西ヨーロッパに存在した後期旧石器時代最後の文化で、フランス南西部ドルドーニュ地方のマドレーヌ岩陰遺跡にちなんで命名された。骨角器の発達と洞窟絵画・彫刻が特徴で、ラスコーやアルタミラなどの洞窟壁画が有名である。

また約1万7000年~1万2000年前の西ヨーロッパでは、葬儀のために「共食い(カニバリズム)」をする文化的慣習が広まっていたという研究結果も発表されている。


フォスナ文化

フォスナ文化はノルウェー西岸の縄紋時代と同時期の文化で、前8000年頃までさかのぼると推定されている。一定地域を巡回しながら狩猟生活を送っていたとされている。

フォスナ文化では南のヘルゲランから北のナルヴィクまで先史時代の彫り岩が少なくとも15箇所発見されており、フォスナ=ヘンスバッカ文化とも呼ばれている。またノルウェー中部、メーレオロムスダール県、西部沿岸の港湾都市クリスティアンスンには、前8000年のフォスナ文化までさかのぼると推定される遺跡がある。


マグレモーゼ文化

マグレモーゼ文化は紀元前7500年頃~紀元前6000年頃にかけて北欧で栄えた初期中石器時代文化である。氷河期が終わり森林が拡大する時期にあたり、森林に適応した文化といえる。

マグレモーゼ文化の人々は森林と沼沢地帯で木、骨、燧石による細石器を用いて漁労と狩猟を営み、樹皮で建造された小屋に住んでいた。また犬を飼っていた形跡も見受けられる。

この文化の特性としては、鋭い刃を持つ燧石の細石器を使用した槍の先端と鏃、漁労用具としての銛などが挙げられる。

マグレモーゼ文化の居住した領域は、北欧の海面が現在の高さに達していなかった紀元前6000年頃までは水没していなかった。


エルテベレ文化

エルテベレ文化はバルト海西部とデンマークを中心とする石器時代文化で、炭素14法による測定年代は前3800~前3200年である。狩猟用のイヌを飼っていたが、家畜を育て農耕を始めるのは数百年先のこととされている。

エルテベレ文化の特徴は貝塚が盛んに作られ、定住が進み、土器が使用されるようになったことである。この文化を特徴づける貝塚はカキを主体とし、海岸線に平行して長いのが特徴である。また小型の石器(細石器)を多数製作した。

エルテベレ文化の人々は新しい段階では農耕文化と交渉をもち、煮炊き用の尖底土器と土製ランプを使うようになった。


おわりに

北アフリカの情報量(特にエジプト)が凄まじいので、先王朝時代については別の記事にまとめようと思います。

ひとまず〈1〉の補足はこれにて終了、次からは〈2〉の話に進んでいきます。カタツムリ並みのスピードですが、ご容赦ください。

−おわり−


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