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エジプト1(下エジプトの先王朝時代など)

世界各国史まとめ、まずは北アフリカ編。今回はエジプト・アラブ共和国の下エジプト先王朝時代などについて書いていきます。ちなみに先王朝時代とはエジプト王朝以前の時代の話です。


ナブタ・プラヤ

サハラが湿潤なサバンナだった頃に存在した遺跡。牛飼いの遊牧民達が窪地(プラヤ)に出来た水場に集まり、乾燥期が来ると再びナイル川流域に戻る生活を5000年に渡って繰り返した。やがて極乾燥期と共にその地を去り、ナブタ・プラヤの歴史は幕を閉じる。

ナブタ・プラヤの住民にとって牛はとても大切な存在で、ある時は砂漠での運搬用具として、ある時は血液や牛乳などの『歩く食糧貯蔵庫』として(肉は食べていない)、ある時は雨乞いの為の生贄として、ある時は権力や富の象徴として多数の牛が所有された。象徴としての牛はやがてバト神として神格化される。

ナブタ・プラヤやその周辺からは家畜を繋いでおく繋牧用の石が発掘されており、遊牧民が既に牧畜を行っていた事が示唆される。ヒツシやヤギなどの骨も見つかっているが彼らの野生祖先種はアフリカには生まれておらず、南西アジアから持ち込まれたものと思われる。

彼らは水源として当初身内だけで掘れるような浅い井戸を利用していたが、次第にウォークイン式の深い井戸へと変わっていく。大きな井戸を作成する為にはそれなりの集団と彼らをまとめ上げて計画を実行に移すリーダーが必要であり、『社会的統率力』誕生の最初の兆しとされる。

ナブタ・プラヤは集会場(祭儀場)として情報交換や物々交換、冠婚葬祭を執り行う場となっており、次第に祭儀場に集まる遊牧民が増え階級組織が充実していくと、巨石を用いた建造物などの『共同作業』が可能となった。

彼らは長い年月をかけて夏至の太陽が雨季の到来を告げると把握するようになり、カレンダー・サークル(環状列石)を作って北の方角と夏至の太陽が昇る方向が正確にわかるようにしていた。

また巨石群が直線に並んだ列石は明るい星(シリウス、アルクトゥルスなど)の方向を指しており、シリウスの日の出前の出現時期とナイル川の増水時期が被る事から雨季の確認に使用されていたと思われる。


ファイユーム文化

ファイユーム盆地は上エジプトと下エジプトの結節点にあり、ナイル川の分流が流れ込んで形成されたカルーン湖を中心とした文化。エジプトで初めて農耕・牧畜を導入した文化である。砂漠の拡大が続いたため、エジプト人の初期の祖先はナイル川周辺に定住する事を余儀なくされた。

農具や調理器具の石器が数多く発見され、織物の為の紡錘車、骨製の針や土器も発見されている。しかし狩猟や漁労の重要性は依然として高く、ガゼル、象、カバやワニなども狩猟の対象としていた。

ファイユーム文化で初めて織物が確認され、この時代の人々は後のエジプト人とは異なり死者を居住地の近くや居住地内に埋葬した。


メリムデ文化

下エジプトのナイル川西デルタ地帯にあるメリムデ・ベニ・サラマという遺跡の周辺に集中した文化であり、ナイル川流域における完全な定住集落の最古の証拠を示している。

この地域では様々な旧石器時代の石器群が発見されており、ナイルデルタだけでなく上エジプト、ヌビア(現スーダン)、リビアなど他の地域で特定された石器群と相関している。

住居の形態は一期二期三期と進化していき、二期の時点で貯蔵用の穴や炉が設置された。牛の繁殖の役割も増大したが、依然として狩猟が重要な役割を果たしていた。

三期では竪穴式住居を完成させており、集落のあり方はパレスティナ、キプロス、メソポタミアといった東地中海地域との共通点を示す。

一期からエンメル小麦の栽培が認められ、動物飼育は牛、羊、ヤギ、更に豚も認められる。また狩猟においてはカバが重要な対象で、竪穴式住居の地下に降りる足がかりとしてカバの脛骨が用いられていた。

メリムデ・ベニ・サラマの北東にあるサイスからも新石器時代の集落が発見されており、新石器時代前期では漁業キャンプとして始まったが、中期から後期にかけて氾濫原の開墾のため農業従事者が定住するようになった。


オマリ文化

メリムデ文化に続くと思われる下エジプトのアル・オマリ遺跡は、それぞれ時代の異なる3住居と2墓地が発見されている。まだまだ獲得経済がメインであり、生産経済は補助的な役割だった。

オマリ文化の特徴は円形の地下式住居である。ナイル川から離れた高台に位置する為、確実な水供給の手段が存在した事が窺われる。


マーディ・ブト文化

メリムデ文化やオマリ文化を引き継ぎ発展したものと思われるマーディ・ブト文化。獲得経済の重要性が下がって生産経済の重要性が上がったが、漁労は変わらず盛んに行われていた。埋葬は至ってシンプルで、墓の規模や副葬品の格差も見られない。

ワインやオイルを入れて運んだと思われる(南レヴァント産の)輸入土器や、エジプトでは得られない銅やインゴットなどが発見されており、レヴァント(東方)貿易が頻繁に行われていた事が窺える。

マーディ遺跡では一般的な住居の他に地下式住居も発掘されており、炉址と埋没土器がある事から貯蔵施設でなく住居と考えられている。

ブト遺跡はドイツ隊が現地に伝わる伝説を史実かどうか突き止める為、地下水を組み上げ調査し先王朝時代の地層が検出されて発見された。こちらでも良質なレヴァント系土器が発掘されている。

マーディ・ブト文化は下エジプトの全域から発見されているが、やがて上エジプトから広がったナカダ文化に飲まれ独自性を失っていく。

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エジプトは先王朝時代ですらめちゃくちゃ情報が多いので、詳しく知りたい方は以下の参考サイトなどで調べてみて下さい。特にナブタ・プラヤについて書かれたサイトはめちゃくちゃ詳しく解説してあるのでお勧めです。


参考サイトなど

『ナブタ・プラヤ −サハラ砂漠の牧畜民が生んだ太古の天文学!−』https://www.eonet.ne.jp/~libell/1mokuji.html

『HUNTER: 古代文明 ニュース・データベース −ナブタ・プラヤと古代の天文学者−』https://mystery-hunter.net/?p=354

『GIGAZINE −世界最大の砂漠である「サハラ砂漠」はかつて緑にあふれていた−』https://gigazine.net/news/20190903-sahara-desert-green-landscape

『歴史の世界を綴る エジプト文明:先史⑬ ファイユーム文化』https://rekishinosekai.hatenablog.com/entry/ejiuto-faiyuumu

『歴史の世界を綴る エジプト文明:先王朝時代⑨ マアディ・ブト文化/下ヌビア/南パレスチナ』https://rekishinosekai.hatenablog.com/entry/ejiputo-maadi-but

『Wikipedia −エジプト先王朝時代−』https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E5%85%88%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E6%99%82%E4%BB%A3

『Wikipedia −Nabta Playa−』https://en.m.wikipedia.org/wiki/Nabta_Playa

『Wikipedia −Prehistoric Egypt−』https://en.m.wikipedia.org/wiki/Prehistoric_Egypt

『Wikipedia −Merimde culture−』https://en.m.wikipedia.org/wiki/Merimde_culture

『Wikipedia -Merimde Beni Salama-』https://en.wikipedia.org/wiki/Merimde_Beni_Salama

『Wikipedia −Sais, Egypt−』https://en.m.wikipedia.org/wiki/Sais,_Egypt


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