見出し画像

「ボヘミアン・ラプソディ」を見た

先日、楽しみにしていた映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見た。
年齢でいえば、当時のQueen世代よりほんの少し若いくらい。それでも、大学時代に2度ライブを経験した。その後の西武球場でのライブコンサートは熱が冷めはじめていたところで、行かなかった。きっとまた来日するさ、そんな気安さで。

まもなく11月24日、フレディの命日となる。
あの日、私は証券会社に勤めていた。そして日経新聞の夕刊の片隅に、フレディ・マーキュリーがHIV感染を発表という記事を目にした。
「ああ、そうか。そうかもしれないな・・」
「メンバーはどんな風に受け止めているんだろう?」
そんな気持ちでいたところへ、今度は時事通信のモニターからニュースが流れてきた。

『英国ロックグループ、Queenのリードボーカル死去』

日本の新聞にHIVの記事が掲載されるには本国と1日ほどのタイムラグがあったのだろう。矢継ぎ早のニュースに私は呆然とした。

という重苦しい話はここまで。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」は、作り話しである部分が気になりつつも、当時から気になっていた「ゲイであるフレディとメンバーの関係性」の自分ではわからなかった部分を補完してくれた。

まずは、Queenのメンバー。やっぱりみんな真面目。やっている事は異端で最先端でマイナーなのだけれど、イギリスの田舎の一軒家に連れてこられてアルバム作りに精を出すところは、真面目!としか言いようがない。彼らの自身の楽曲を作れることが、本当に楽しかったのだろうし、クリエイターとしてもやりがいがあったのだろう。

この頃は後のフレディの怒りの吐露にもなるが、皆それぞれ曲を書き自分のクレジットを入れて、しっかりと印税をそれぞれが取っていた。だから、アルバムやシングルへ載る曲の数が少なかったジョン・ディーコンは生活が苦しかったとも聞く。

そのバンド間でのゆがみ構造はおいておいて、ロジャーが作ったロック基調の曲について。
『I'm In Love With My Car』
高校生の私にですら、この英語の歌詞がちょっとおかしいぞと思えるもの。
『オペラ座の夜』というアルバムは、A面の曲が切れ目なく4曲くらい続いていく。最初ハードロックで緊迫感をあげておいて、すぐに「気怠い日曜日」をユーモラスに歌った後、かなり古臭いバリバリのロックロールが続く。ロジャーはすこししわがれた高音でめちゃくちゃかっこよくシャウトしている。
そのめちゃめちゃハードでかっこいい歌が「オレはオレのクルマにぞっこんだ」というタイトル。歌詞もその通り追っていけば、オレのクルマを褒め称え彼女には「おまえといるより、新しいキャブレター買ったほうがましさ」と言って追い払い、挙句に「クルマは文句言わねぇ、今やオレの親友さ」と歌いあげる。
その当時から、少女マンガ風のイケメンロジャーが一番の推しではあったけれど、この歌詞にはちょっとドン引き。歌詞はふつう散文だったりポエムになっていてあれこれ意味を考えないと理解できないものなのに、普通の英文を訳すように意味がわかっていく。
その後、これはかなり卑猥な意味も含んでいるのだとわかったのだが、それはそれで、まったく比喩にも暗喩にもなっていない。ブライアンが「冗談だろ?」とからかう意味もよくわかるというもの。
映画でも「Metaphor!」と言っているけれど、表現がもろすぎて却ってそういう歌だとわからなくなっている。
そういう意味もふくめて、ロジャー、アホの子と笑っていたところが図星に描かれていて、あのシーンは見れて幸せだった。

もう一つ、ゲイであるフレディとメンバーの関係について。
バンドを結成した当初は、メンバーは気づいていなかったのかもしれない。フレディ自身もはっきりと表明していなかったのだろう。ガールフレンドとも付き合っているし、女性物を羽織るのはフレディのファッションセンスと考えていたのかもしれない。

そんな中、映画ではガールフレンドから「あなたはゲイよ」と突きつけられ、それからというもの、制作の現場にはびったりとボーイフレンドが付きまとうようになる。
その状態に激しく拒否を示したのがロジャーだった。出て行けと言ってもいなくならないそいつの存在に、そこにいる事は諦めたようだったが、何か余計な口をだすたびに「お前はでていけ!」とすごむロジャー。
そしてある晩、フレディはゲイ仲間とバンド仲間を集めてパーティを開くのだが、そのパーティがそういったものだとわかった途端、メンバーはその場を去っていく。それでも、あれがギリギリのラインだったのだと思う。端から断るわけではなく、フレディの顔をたててパーティ会場には集まってみた。だが乱痴気パーティが始まるとわかると、それ以上の付き合いはしない、と帰っていく。今から30年以上前の話しだ。私はこのシーンで、メンバーがフレディのことは受け入れていても、それ以上の面では受け入れられなかったのだと理解した。

このシーンは、却ってフレディの孤独感高めていった。
そして、映画の主題の一つでもあるのだと思う。文化としてのゲイの有り方にはどうしても馴染めないメンバーが、それでもフレディという個人には態度を変えずに友情を育んでいく。彼らがフレディの全てを認めて受け入れていくという夢のようなストーリーにしなかった点が、この映画のすばらしいところだろう。

人間は人それぞれである。いろいろなカラーがあるし、考え方もある、生きてきた経験もそれぞれ違う。ただ、その一つ一つで人とのつながりを考えるのではなく、まるっと大きく抱え込んで受け入れられるものは受け入れ、だめなものは無理せず流しさる。そんな風につながれるようになるといい。この映画はそんなメッセージを投げかけてくれたように思う。

おまけ

I'm in love with my car

The machine of a dream
Such a clean machine
With the pistons a pumping
And the hubcaps all gleam

When I'm holding your wheel
All I hear is your gear
When my hand's on your grease gun
Oh it's like a disease, son

I'm in love with my car
Got to feel for my automobile
Get a grip on my boy racer roll bar
Such a thrill when your radials squeal

Told my girl I just had to forget her
Rather buy me a new carburetor
So she made tracks saying this is the end now
Cars don't talk back
They're just four wheeled friends now

When I'm holding your wheel
All I hear is your gear
When I'm cruising in overdrive
Don't have to listen to
no run of the mill talk jive

I'm in love with my car
Got to feel for my automobile
I'm in love with my car
String back gloves in my automobile



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?