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WEB3おばさんを目指して〜WEB2.0実は魂を抜き取られていた?

便利さの中に、私たちは大切なものを・・

もう今では、翌日に届く通販や映画の配信、片時も放せないスマートフォンなど巨大企業のサービスを享受している。
けれどそれの代償として、自分の個人情報を渡しているんですよね。
さらに言うと、こういった文書発信サービスや音声サービス、youtubeだってそのプラットフォームを利用するために手数料を要求してくる。
実際には無料で使っているが、有料コンテンツを作成するとその中から手数料を徴収する。無料でゲーム本体をダウンロードさせて、ゲームを進めるうちに課金させる手段と大きくは変わらない。

仮想通貨は自立分散型!?

この自律分散というのが最初の難所かもしれない。
そして、仮想通貨やNFTについて書籍がまだまだ少ないし、何を読んだらいいかもぱっとはわからない。と言いつつ、2冊ほど本は読んだ。
読んでみると、一番面白かったのが「NFT」。非代替性トークン、デジタル画像データが仮想通貨のチェーン上で取引され、1件1件の取引履歴が公然と残される。基本的にレプリカではなく本物の作品の取引である。
以前から美術館通いをしている私は、名画作品を鑑賞してはその記念に気に入った絵画の絵はがきを買ってきていた。
ただ、このNFTは本物を手に入れることができるのだ。しかもプロジェクトの初期に立ち会えば、絵はがき3枚程度の値段で手に入れることができる。

さて、小見出しにある「自律分散型」について。これは、前述の大きなプラットフォームを利用せずにPeer to Peerの取引ができることを言う。

Peer to Peerとは、複数のコンピューター間で通信を行う際のアーキテクチャのひとつで、対等の者同士が通信をすることを特徴とする通信方式、通信モデル、あるいは通信技術の一分野を指す。P2Pと略記することが多く、以下本項目においてもP2Pとする

ウィキペディア

プラットフォームを利用するとその家主に手数料を払うが、仮想通貨は取引所などへの利用料や、データの書き換えが起きるときのトラッキングに乗じた「ガス代」などを支払うものの、交渉相手との直接取引にぐっと近い状態になる。いわゆる「中抜き」がないのだ。

この状態を指して「自由な」という表現がよくされている。
後に話すが、だからといってWEB3は何かもが自由ではない。実は各個人が直接自分で考えて行動するし、利他の心をもって当たらないと周囲にいる仲間に不利益が生じる可能性もある。
いくつかのDAOに入ってプロジェクトの為に活動する人々をみていると、当初私が勝手に持ったイメージ「社会に縛られない自由人の集まり、会社社会でのはみ出し者」などは、きれいに払拭された。
互いにコミュニケーションをよく図り、対話し、せっせと活動する。実は普通に会社員として過ごす方が安穏でずっと楽かもしれない。実力主義で必死に走り続けなければならないが、何か不思議に満足感に溢れる場所である。

さて、次回はいよいよ「Crypto Ninja Partners」についてお話したい。


【88年新卒】バブル過渡期の金融会社は天国から地獄へ

バブル期直前に、わざわざ証券会社に入社した。当時何も考えておらず、親のコネでの入社だった。なので、営業所へ配属にならず本部機構で過ごすこととなる。
もちろん当時の証券外務員資格は取得した。これは国家資格なので、未だに履歴書に書けたりする。まあ、FXなどは扱えないので、現在では投信や簡単な株式投資の営業しかできない。
だが、本部機構に置かせてもらった事は幸運だったと思う。

国際部なんてねぇ

営業所では同期たちがバブル期絶頂時代の猛烈営業をしていた。みな、本当に大変だったと思う。足を棒にして何軒もお客様巡り、研修部長はお客様に水をかけられた話しをしてくれた。
その中でも、女性は投資信託を主に商品として扱うことになっていたが、同期に群を抜いて成績のよい人がいた。そんな彼女のことを「枕営業」などと誹謗する声があがり、何ともやるせない気持ちになったものだ。
さらに、バブルが陰りを見せ始めると、主に株式の信用売りを進めていた男性の同期達にも影が差し始めた。信用取引をするのに、当時は保証金として300万円を入金する。だが買い建てまたは売り建てた銘柄の含み損、担保にしている株の値下がりがあった場合には「追加保証金」=「追い証」を納めて貰わなければならない。その支払を頑なに拒否する顧客のために、同期たちは借金をして、かわりに追い証を納めていた。
私は5年で証券会社をやめ、これまたコネで関連のファイナンス会社へ移ったのだが、そこでもと同期たちに借入金の支払督促状を送ったことがあった。やるせないを通り越して、地獄だと思った。
足かけ10年ほど金融機関勤めをしたが、ファイナンス会社は今度は資金回収がメインの業務になっていて、ここではじめて「五寸釘」を見せてもらった。なぜ「五寸釘」?差し押さえた住宅物件に、他に債権証書を持った人々が入り込んだり居座ることを阻止するために、扉を「五寸釘」で打ち付けるのだ。そんな情景も目の当たりにした。
このバブル期は何だったのだろう?この時代でも、必死に走り続けてはいた。朝8時に出社し帰りは23時すぎ。ニュースステーションで久米宏が締めの言葉を語っているのを、誰もいない食堂のテレビでタバコを吹かしながら眺めていたものだ。だが、この職場、コミュニティにずっと属したいとは思わなかった。

私の今後の生き方を決定づけたのは、やはりバブル後の地獄のような風景だったと思う。金融業、お金をおもちゃのように扱う仕事はしたくない。
何かコツコツと作る続けるような仕事、そんな事をやりたいと思うようになった。

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