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念願のマスターソンを読み始めた

情報の取捨選択に怪しさは残るものの、H・コフート著『自己の分析』を各章ごとにまとめることができてスッキリ。長い旅だった。

そして結構前から気になっていたJ・Fマスターソン著『自己愛と境界例』を読み始めた。
咀嚼し切れない部分も多々残しつつ、夢中になって読んでいたら全13章のうち9章まで来ていることに気づく。過集中にご用心。

消化不良部分はあとで入念に読み直すとして、概要を知るためにもひとまずは読み切ってみようと思う。

いくつかの症例を読むうちに、生い立ちだったり、親のパーソナリティが自分の場合とかなり似たケースを見つけてしまった。

自閉傾向の強い受動攻撃型の母親に、典型的な男根的自己愛型でBDを持つ父親という組み合わせ。

この2人の間に生まれた私をマスターソンの理論に照らしてみると……「自己愛型防衛を使うBPD傾向を持った人間(おまけにBDもアリ)」という見解がしっくりくる気がした。

とは言え、究極的には(よく分からない存在でも)「私は私でしかない」のだから精神医学的/心理学的ラベルをベタベタ貼って自分の正体に迫ってみることもできる、と軽めに考えることにした。

そしてマスターソンが提唱したと思しき、撤去型対象関係部分単位(WORU)と報酬型対象関係部分単位(RORU)という概念。

第一印象で字面が「汎用人型決戦兵器人造人間」みたいだな、なんて思ったがふざけている場合じゃない。

いまは具体的に説明できるところまで落とし込めていないので詳細は控えるが、このWORUとRORUはBPDの行動原理や心の構造を説明する上でかなり重要だと感じた。

また、スキーマ療法で学んだことも役立ちそうで嬉しい。

推測の域を出ないが、WORUは懲罰的(ペアレント)モードと、RORUは脆弱な/見捨てられたチャイルドモードと関連づけて考えられる気がした。

また何か分かれば追記してみたい。

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