見出し画像

『友だち幻想―人と人の〈つながり〉を考える―』を読んで

著者は社会学者・菅野仁氏。
『友だち幻想』とは小気味良いタイトルだなぁと思い、ブックオフで少し前に手にとった。

「人を消耗させる形の"つながり"を見つめなおしてみませんか?」というのが本書のメインテーマ。

初版は2008年ということだが、2023年の今も私の心には十二分に響いた。
とくに印象深かった箇所をとりあげ、自由に感想を述べてみたい。

他者の二重性

人とのつながりを再考する前に、著者はまず「他者の性質」について目くばせをした。

他者とは自分以外のすべての人間のこと。
血縁であることや親しさの程度は関係なく、自分でない存在はすべて他者と呼ばれる。そして他者には以下の2つの特性がある、と紹介されていた。

・脅威の源泉としての他者
・生のあじわいとしての他者

「脅威の源泉」とは穏やかでない響きだ。
不安や傷を与えてくる「自分を脅かす存在」と言い換えることができるかもしれない。身近な他者の思わぬ一言で傷つく場合もこれに該当する。

「生のあじわい」という表現は私にはなじみがなかったが、承認や注目、あるいは称賛といった「生きるよろこびを与えてくれる存在」と説明されたとたんに納得した。

ここで注目すべきは「二重性」。
つまり他者は「脅威」であると同時に「生の味わい」であるということ。それゆえにどんなに孤独を好む人でも1人では結局なかなか生きていけない、という論が展開されていた。

意図的であろうと偶然であろうと、傷つけたり傷つけられたりすることに疲れてしまって「1人でいるほうが気楽だし、ストレスが少ない」と自発的な人とのかかわりを避けるようになったのに、こうやってnoteを書いている自分の心の中をのぞかれているような気分になった。

「私の好きなことを好きなように好きなタイミングで書いている」なんて「私」を軸にしているフリをして、結局は「誰かに読んでほしい、誰かと自分の考えや感情を共有したい」なんて「誰か(=他者)」を求めている自分に気づかされて「うーむ……」とうなるしかなかった。

書くことが好き、というのはまぎれもない事実なのだが。
他者をまったく介在させることなく書くことを楽しめるのか?と問われたら今のところ自信はあまりない。

並存性とニーチェのことば

著者は、従来望ましいとされてきた「みんな仲良く」(=同質性の重視)を信条とする人ではない。人間なのだから気の合わない人もいるよね、という考え方を持っている。

そのうえで並存性へのシフトを提案し、「お互い傷つけあわずに、気の合わない人と同じ時間/空間に居合わせる方法」を模索した。
(並存性には「異なるものが同時に存在する」という意味がある)

人間関係というと、つい「敵か味方か」という二者択一的な見方をしてしまう。(私だけ?)

しかし著者は「もし気が合わないんだったら、距離をおいてぶつからないようにする」ことも大切だという「態度保留」という第3の選択肢を示し、次のニーチェの警句を紹介した。

「愛せない場合は通り過ぎよ」

このことばに「あえて近づいてこじれるリスクを避ける発想も必要」という解釈を著者は与えている。

ことばの響きにうっとりする一方で、愛せない(=好感を抱けない)なら避けて通るのは当たり前では?と思ったりもした。

しかし引き続き示されるニーチェが扱ったルサンチマンの概念も併せてみると、「うっ」となった。

ルサンチマンと私

辞書ではルサンチマンは「被支配者あるいは弱者が、支配者や強者に対してため込んでいる憎悪やねたみ」と説明されている。

著者はそこに「誰もが抱きうる負の感情であり、自分がうまくいっていないときに『自分の力が足りないのだ』と反省するのではなく、世の中のせいにしたり、うまくいっている人を妬んでしまうものだ」と付け加えた。

己の足りなさを直視する勇気がなく成功者を目にして「反感」を抱き、「嫉妬」や「羨望」にわかりやすく駆られている自分を思い返し、恥ずかしくなった。

おまけにそうした負の感情に駆られるとわかっていながら、成功者のSNSをこっそり覗くのをやめられずにいることに気づく。

うん。愛せない場合に通り過ぎるどころか、突進してる。
15行前くらいに「愛せないなら避けるのは当たり前では?」とか言っていたのにまったく避けていない。

著者は優しくさとす。
「ルサンチマンは誰にでも起こりうる感情だが、そこにとらわれすぎたり、とらわれ続けていると自分自身の”生”の可能性を閉ざすことになる」と。

生の可能性、とは婉曲的な表現だが「閉ざす」とあるので「よくないことになるよ」というのは伝わってくる。負の感情を引きずって、人を恨んでも、妬んでも自己嫌悪以外なにも生まれないことは実感としてよく知っている。

負の感情をエネルギーに変換して(悔しさをばねにして)生きられるパターンもあるが、エネルギー変換中/精製中はことあるごとに負の感情を思い返して「カーッ」と感情が暴走しやすくなって疲れてしまう。

そうして乗り切ってきた場面もあったが、人より疲れやすく、感情コントロールもエネルギー配分も下手な私にはあまり建設的ではない方法かもな……とぼんやり思った。

* *

著者が示したかった「人とのつながりの再考」というメインテーマとはかけ離れた感想になった気はするが、自分のことを見つめなおす機会が得られたのでよしとしてみる。👐

この記事が参加している募集

読書感想文

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?