見出し画像

(メモ)未解決の復讐衝動

マスターソン著『自己愛と境界例』のまとめがようやく終わろうとしている。

いつかの記事で境界障害トライアドの話をしたがここにきて、その重要性がぼんやり分かったような。

おそらく説明は不十分すぎると思うが、いま閃いたことをメモ程度にまとめておきたい。

マスターソンの説によれば「分離-個体化の失敗が見捨てられ抑うつを誘発し、さらにそれが防衛を誘発する」。

     ・分離-個体化の失敗
     /                    \
 ・防衛----------・見捨てられ抑うつ

母親や父親との関係になんとなく違和感を覚えながら年齢を重ね、関係が分かりやすく破綻しても尚くすぶる思慕の情は厄介だった。

思慕の情、恋しいと思う気持ちはなんだか気恥ずかしく、いい歳をして抱え続けることにも葛藤があり。

一方で恋しさは「うらみ」的なものを覆い隠し、親に対して負の感情を抱かせないようにしていたような気もする。

幼き日に抱いた欲求は知らぬ間に凍結されていたのに「治療」が進むにつれ、記憶がいくつか蘇り、「本当はこうして欲しかったのに(叶えてもらえなかった)」という怒りを生んだ。

その怒りは復讐衝動を呼ぶ。
願望を挫折させた親に何らかの仕返しをしてやろう、という暗い欲求。

しかしここで問題になるのが親に対して直接の復讐をしないこと。対象の巧妙なすり替えを行う。
母親や父親の代わりとなる人を見つけだし、怒りや負の感情をぶつける。最低。

本丸である親に直接突撃できないのは先述した「思慕」のせいだと思われる。

親に対する復讐衝動と思慕を天秤にかけ、怒りをあらわにしたら親に罰される/嫌われる/見放されると考えるのかもしれない。

そうして見捨てられ抑うつに対する防衛をしていては治療は前進しない。

自らに潜む復讐衝動の存在を認め、「適切に」攻撃性を解放し、幼き日の欲求に耳を傾け、自分の思考や感情を主張する。

そうすることで復讐衝動を克服し、やがてくる見捨てられ抑うつの内容を吟味する。

見捨てられ抑うつは、言いようのない苦痛に満ちた感情をもたらすので不快感情に弱いBPD患者はさまざまな防衛を企てる。

それは親の良い部分を幻想のなかに保存して、悪い部分を他の誰かになすりつける「分裂」の形をとるかもしれないし、ひたすらに快を求めて「行動化」、はたまた問題そのものから逃走する「回避」の形をとるかもしれない。

いずれにせよ、見捨てられ抑うつに向き合わずにこうした防衛を続けるうちは親との問題を解決できないし、対象関係における困難も持続したまま。

私はたぶんまだこの復讐衝動を克服できていない。親にこうして欲しかったよ、と伝えられていない。

伝えても何も変わらない、どうせ通じないと諦めたふりをして逃げているだけだと気づいてしまった。

問題を先送りにして、なるべく親のことを考えないで済むよう訓練をしても治療は前進しないことにも気づいてしまった。

親からすると、急にいくつも精神的な何かを発症して昼の仕事をやめた時点で「攻撃」された、急襲に遭ったと感じているかもしれない。
「大学までお金をかけたのに台無しだ」と。

そう考えるなら私は疑いようのない加害者であり裏切り者であるが、幼き日に願望を抱くことすら許されず、家族一丸となって、という幻想を成就させるための潤滑油としての役割を付与され、個性を剥奪された犠牲者でもある。

ああ、被害者ぶるのは嫌いだからこのくだりは書いていて反吐が出そう。

でも現実問題、このサド-マゾ的な性質(あるいはその発展形)はいまも対象関係のなかで見え隠れする。

誰でもこんな感じの両面を持つのだとしても、不適切で気持ち悪い、と自責的になる。

病みそうだから今回はこの辺で終わっておく。

また内容を整理して、穏やかな気持ちのときに新たな記事として書きなおすかもしれない。

読んで下さった方には感謝を。
ありがとうございました🍀

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?