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相手は自分の鏡というけれど。


相手は自分の鏡、と聞いたことがある。
聞いたときはそうだねぇとしか思ってなかったけど、
自分を少しだけよくする、自分が少しだけ幸せになるきっかけがあると最近ようやく気づいた。

自分の無意識というか本能的な思いを見直してみたら。

意識的な行動は5%程度で、ほとんどの行動や現状は自分の無意識が表面化している結果だとかなんだとか。

そして自分がどんなに人を見下してしまっているかもわかってしまった。
いや、もちろん人を見下して生きてなんかいない。
「それぞれいろんな生き方がある」
「それはいいと思う!」
という言葉を他人にはかけている。つもり。

ただ、どうやらそれは頭で考えた、いわゆる「世を上手に渡っていくための自分」として恥ずかしくない表現なのだ。

そうなると、本当は直感的に、言うなれば本能的にどう思ったのかと尋ねられると、
「それぞれいろんな生き方がある」→「僕はそんな生き方はしたくないけど」
「それはいいと思う!」→「『君にとっては』、ね。」
などということが多い。
なんて性格が悪い。

社会的には立派に生きているくせに思考的には貧相な発想で生きている。

こんな人、僕だけだろうか。
他に居ないでいてくれるといいな、世界は明るくあってほしい。
居てくれたら……一緒に脱してみたいな。

愛のある無意識には愛のある現実。
貧相な無意識には貧相な現実。

そんなこんなで生きていると、自然と同じような性悪な発言をかけられる。不思議と。

「なんでこんなことをしてるの?(自分だったらしないのに)」
「元気なさそうだね、昔は元気だったのに(ホント何してんのコイツ、いつまでもイジイジしちゃってさ)」

自分の本能的なアンテナが性悪解釈方面を向いてしまってるのだ。

だから言ってる相手にはそんな気持ちは微塵もサラサラないのに、自分には()に書いたことがモロに聞こえてきてしまう。

相手は言ってないのに、自分の無意識が解釈を築き上げて、さも相手が言ったかのように頭に認識されて記憶される。

それを認めたくない、できるだけクリーンで過ごしやすい世界で生きていきたいがために、意識的に建設的な解釈を伝えつつ明るい発言に変えるのにとんでもない労力がかかる。

95%の無意識による現実を5%の意識で変える・戦うには分が悪すぎる。

そして、頭で都合よく論理立ててその場を収めた解釈で、相手を納得させた解釈で、自分の頭を騙す。

不快な思いは埋没したまま。そりゃそう、無意識の自分の解釈は残ったままなのだから。

引き寄せの法則、などと表現する界隈がある。
自分の描いた現実がマジでやってくる、というのもある。
その一部には自分の無意識が解釈した虚構の現実を認識してしまう、というのもある、と思う。


相手と僕の無意識

相手は変わらないのだ。
相手はただただ自分の無意識に従って行動してくる。

もちろん、自分の無意識が投げかけた言動によって更新された無意識に従ってるから、正しくは自分の無意識の延長線上に相手の無意識が醸成される訳だけど。

今回は、相手の無意識の言動を受けた自分の話をしよう。

相手にこう言われた、やった!!
相手にこう言われた、カチーン!

おっと待て待て、僕の感情の引き金、見てみよう。

あぁ、これは僕が相手に(他人に)思ってることだ、ってなることだろうと思う。

そんなことない!って思うならそうだろうし、無意識による自動解釈だから本当の言動の意味はわからない。

明るいこの人はいいことを言ってくれる友だ!って思ってる人からは含蓄のある言葉が飛んでくるし、

何かしらの問題をいつも持ってくる奴だ!って思ってる人から飛んでくる言動の中に、トラブルあるいはトラブルを解決するタネがないかと必死に探そうとする。

自分が感情を表す、その前。
相手の言動の解釈は、自分の無意識の鏡なのだ。


わかったところでどうする、自分の無意識。


自分の無意識が素敵な人はどうかそのままで自分を幸せに。みんなを幸せに。


自分の無意識が自分の本能的に嫌な感じだった人はまず自分を幸せに。

似たようなこと言ってるけど、どちらも実は同じ。

自分がまず幸せになる。幸せを感じるところが必要なのだ。

自分が幸せじゃないから他人が妬ましい、嫌味を言いたくなる。
自分が幸せだと思っていたいから自分の考えは正しいし、他人の意見には文句を言いたくなる。

そして返ってくる言動にも同じ解釈をする。自分の意見に対しては嫌味が返ってくるものだ、と。

そしたらコイツ嫌な奴だと思って、「なんて貧相な発想をする奴だ、かわいそうに、俺はコイツより幸せだ」と、相対的な幸せを幸せだと勘違いする。


自分の解釈したマイナスな相手の像と、マイナスな自分との差分がプラスだからといって、自分がプラスではないのだ。

だから他人とか関係なく絶対的な幸せを獲得する。幸せを感じるのだ。

飯がうまい(誰にまずいとか微妙な顔されても)!
今日は相手に愛情持って接することができた(相手はもうちょっといい感じにほしいとか言ってたけど)!

人としての最低限な道は踏み外さず、自分の感じる幸せを手に入れると、無意識の自分は相手を悪く解釈するニーズがないのでやめる。


簡単な話。


引き寄せの法則とかマインドフルネスとかが大事なのも頷ける。

ただ、なぜ大事かわからない人にとってはとりあえずそんなもんと「理解」して頭で意識的にやるハメになるからうまくいかない。


自分ごとに当てはめて「納得」してみればいい。

僕は長くかかったけど、そうやって納得できた。

みんなの納得の仕方とは違うかもだけど、どこかにいるあなたに役立ちますように。

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